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Report#75「喪失」 作:ランペル
梨沙と渚がデュエルを始めだしたその時、身の安全を考えフロアの更なる奥深くへと逃げて行った白衣の男、河原。ふらつく足取りのままに地面へゆるりと倒れ込むと、右の拳を地面へと叩きつける。
「情けない……」
自らの不甲斐なさを嘆くも、体の震えは止まらない。その事が腹立たしく、そして苦しくてまた震える右手を何度も何度も地面に叩きつける。
「口だけで、本当に何も出来ない男だ……。死がチラつくだけで、体の震えが止まらない……あぁ、情けない……。
情けない、情けない、情けない!!!っ…………」
打ちつける拳に血が滲み始めると、痛みから自傷さえも躊躇する。そんな仕草の一挙一動が情けなくて、悔しくて……。自らの右手の拳を左手で抑え込み、奥歯を噛みしめた。
「おじいちゃん、叩くと痛いよ?」
「うわっ……!?」
突如声をかけられたことで河原は、飛び上がると共にすぐさま振り返った。そこに立っていたのは、大きな瞳に左目の下へ星のフェイスシールを貼りつけている少女だった。河原が少女を認識する上で、何よりも危惧し動揺したのは、彼女が左腕へつけているデュエルディスクだ。
「や、やめてくれ……私はデュエルが出来ないんだ……殺さないでくれ……」
モンスターによる圧倒的な力。デュエルディスクを持たない者は、その圧倒さの前には余りにも無力だ。たとえ、目の前に居るのが少女だとしても……彼女がモンスターを呼び出せばそれまで。瞬く間に自分の命など奪い去られてしまう。
その恐怖が、河原を包み込む。今は、自分を守ってくれていた渚を含める他の3人全員がデュエルしている状況下にある。もし、眼前の少女がモンスターを召喚すれば、その瞬間に自分の死が決定されるのだ。
「た、頼む……殺さないでくれ……」
必死の懇願に対し眼前の少女は、肩まで伸ばす髪を揺らしながら首をかしげる。
「ほのか、そんなことしないよ?」
「ほ、本当かい……?」
「うん」
抑揚をあまり感じない穂香の声だったが、それと同時に敵意も感じ取れなかったことで、河原は安堵の息を漏らす。
「ありがとう……。君は、穂香さんだったよね」
「うん、ほのかだよ」
「確か……梨沙さんだったかな?その子達と一緒に居た子だよね」
「うん、お化けのお姉ちゃんと、お祈りのお姉ちゃんと、お兄ちゃんと一緒に来たよ」
淡々とそう答えていく穂香。何かしらの愛称と思われる二人のお姉ちゃんに対し、お兄ちゃんだけは何も付随していなかった事に、少しだけ意識を逸らされた河原がそれを聞いてみる。
「……お兄ちゃんは、穂香さんのお兄ちゃんって事かい?」
「違うよ?」
「あぁそうなんだね……。じゃぁ、なんでお兄ちゃんだけはお化けのとかお祈りのみたいな愛称がついていないんだい?」
「あいしょうって言うの?お兄ちゃんは、まだどんな人かあんまり分からないからお兄ちゃん。おじいちゃんもどんな人かあんまり知らないからおじいちゃん!」
「なるほど……君なりに見つけた特徴だったんだね」
何気ない会話の応酬。小さな少女との会話は、殺伐としていた空気から一瞬だけだが逃れることができ、かつての平穏な雰囲気が醸し出される。
「さっき、お化けのお姉ちゃんに何か教えようとしてくれたよね」
「……!」
河原が渚へ口止めされ、引き下がってしまった時の話をする穂香。日常を感じ取らせてくれたこの少女もまた、こんな狂った実験に巻き込まれてしまっているという現実が、河原の胸を締め付ける。
「なんで教えてくれなかったの?お化けのお姉ちゃん知りたがってたのに……」
「それは……」
「鳥のお姉ちゃんが怖いの?」
「鳥の……お姉ちゃん……」
その名前に該当するであろう人物は、このフロアを統括する渚に間違いないだろう。河原は、穂香の語る人物が渚であろうことを察すると、自身の肩に手を置く。
「そうだね……。鳥のお姉ちゃんが怖くて、おじいちゃんは喋れなかったんだ……。情けない話だよ」
《盤外召喚》によって呼び出された渚のモンスター。自らが彼女に意見をしようとした時に、その鳥獣の鉤爪が抉り取った肩の肉。傷そのものはすぐに、久能木の効力を得たカード効果で治療されたものの、受けた傷に対する恐怖は自らの反抗心を穿つには十分すぎるものだった。
「鳥のお姉ちゃんも、ほのかが危ない所に行こうとしてたのを止めてくれたいい人だよ?」
「…………」
穂香の純粋な疑問に、河原は口を閉ざすしかなかった。黙りこくる河原の表情を伺うと、穂香は心配そうな表情と共に言葉を続ける。
「ひどいことされたの?」
「いいや……私がちょっと変なことを言ってしまってね。それで、怒られたのが少しだけ怖かった……という感じだよ」
本来であれば、何らかの形でここに居る彼女達も救うために自分は動いていたはずだったのだ。だが、結果は失敗し同じ実験に送り込まれ、助けるはずの人達に守られている状況。そんな守ってもらっている分際で、反対意見を言えば咎められるのは必然なのだ。しかし、それでも人を無差別に殺めるような行為を肯定までは出来なかった。何度もその行為がどれ程非人道的なものであるか物申そうと思っただろう。だが、何かを言おうと思い至る度に、抉り取られた肩の痛みが脳裏にちらつく。結局、死ぬのが怖くて渚の言いなりのままであった。
「わるいことしたの?」
「悪い事か……難しいね。私は正しいことだと思っていても、鳥のお姉ちゃんからしたら悪い事だったんだろうね」
「そっか……。おじいちゃんに味方はいなかったの?」
「味方…………」
その言葉で河原が思い返すのは、この実験へと送り込まれる直前の記憶。自分と意志を共にし、この狂気の実験を止めるべく行動を起こしてくれた2人の研究仲間。その2人が自分より先に送り込まれたこの実験内で殺された事……。スクリーン越しに見た死の瞬間の表情、そして響き渡った断末魔は、今でも鮮明に脳裏へ焼き付いている……。
「私に協力してくれたばかりに……いなくなってしまったんだ……」
河原は再び強い無力感に打ちのめされる。自分が協力を申し出てしまったことで、あの2人は命を落とした。自分よりも若く、勇気と覚悟を持ち合わせた2人が……。
拳を握りしめ、顔をしかめる河原。そんな彼へ穂香も憂いの表情を浮かべた。
「ひとりぼっち……寂しいよね……。じゃぁ、ほのかがおじいちゃんの味方になってあげるよ」
穂香が突然そのような事を言い出す。河原は彼女が一体どういった意図でそのような発言をしたのかが理解できず、首を傾げる他なかった。
「私の……味方に……?」
「うん、鳥のお姉ちゃんがひどいことしようとしたら、ほのかが守ってあげる!」
穂香は実に真剣な眼差しでそう告げている。彼女の言葉1つ1つ自体は実に端的なものである。しかし、その声色は彼女なりの気遣いが多分に含まれていた。
「おじいちゃんは、ほのか達を助けようとしてくれたんだよね?ほのかは優しい人の味方なの」
「助けようとした……か。確かに、最初はそうだったかもしれないね。結局は、何も出来ず死ぬ事を恐れるばかり…………。
こんな私でも、君は味方になってくれるのかい?」
疲弊した精神が自らの無能さを説き卑屈な返しをする河原。だが、その表情は穂香の声に絆されたのかまるで泣き出しそうになっていた。
「死ぬのはみんな怖いんじゃないの?ほのかも、いろいろ怖いことがあったよ。助けて欲しいのに助けてもらえない時の苦しいの、ほのかも知ってる……。だけど、お化けのお姉ちゃんやお祈りのお姉ちゃんは、ほのかの事を助けてくれたの!とっても優しい人なんだよ。鳥のお姉ちゃんや、お兄ちゃんも危ないところに居たら逃げてってしてくれた。
だから、ほのかも困ってる人が居たら優しくしたいし、助けてあげたいなって思ったの!助けてくれる味方が居るってだけで、怖い事があっても安心できるから」
自分の考えを、言語へと出力し何とか気持ちを伝えていく。そんな懸命さと共に、まるで包み込んでくれるかのような温かさを宿した彼女の言葉が、河原を動かす。
「私なんかを……助けてくれようと……?」
「ほのか達を助けようとしてくれたんだから、おじいちゃんも優しい人なんだよ。あと、ほのかよりもきっとたくさんの事を知ってるよね。ほのか、おじいちゃんの味方だから、おじいちゃんもお姉ちゃん達の味方になってあげて?」
「私が……味方に……」
孫の年代に相当する少女が、河原を含めた皆の為に行動を起こしていた。そして、そんな彼女が自分達にない何かを求め、自分を頼ってくれている。
外の世界に居た人間として、渚たちへ情報を提供すると共に身の安全を守って貰っている状態にあった河原。しかし、渚が彼へ向ける感情は失意以外の何物でもない。それも当然の反応だろう。遭難している元へ現れた人間が、自分達と同じように遭難している人間だと知ってしまえば、期待していればいる程に落胆も大きい。それだけにとどまらず、その人間はただただ死の恐怖に怯え、何の益ももたらさない不用品だ。
けれど……そんな不必要な自分を眼前の少女は頼りにしてくれている。あろうことか、自らの心の弱ささえも包み込む様に手を差し伸べてくれていた。これ程に幼い少女であっても、この環境で自分が出来ることをしようとしている。梨沙と名乗る少女も、こんな絶望的な状況でさえ希望を見失わず、何かを掴もうと頑張っているのだ。
そのヒントを彼は持ち得ている。渚の言うように、希望になり得るかは怪しいものではある。現に、渚はこれを否定した。河原自身も、この方法は万人が救われるものとも思えないし、それが修羅の道である事も理解している。
だが、希望を追い求める者がいるのであれば、それがどれだけ厳しいものであっても託すべきなのだろう。元々、自分の生活や今まで積み上げ来たものを捨ててでも、この狂気を告発する為に動いてきたはずだ。今更、己の命1つを惜しんでどうするというのか。
「そうだね……君を含めた皆が苦しむのをこれ以上見ていられなかったんだ。これ以上、ここへ連れてこられる人が増えるのも苦しかった。
君達はデータだけの存在と言って切り捨てていい存在なんかじゃない。人間を定義づけるのは、その人が作り上げた人格、記憶、思想、繋がり……人生。それらが人間を人間たらしめているんだ……!肉体がなくとも自己を確立した彼女達はれっきとした人間だ。その人権が奪われていいはずがない…………」
――たとえ、今の彼女達に救いの道が示されていなくとも……。それを彼女達が求め、抗うのであれば、自分こそがその手助けをするべきなのだ。それが、自分が出来る唯一の贖罪なのだから。
「おじいちゃん……?」
突如、力説する河原へ困惑する穂香。彼の放つ言葉は、穂香へ向けられたものではなかった。彼自身が己の意思を正すべく、そして覚悟するべく発した言葉たち。
彼の中で生み落とされた決意が、恐怖を何とか奥へと押し込んでいく。
「私を頼ってくれてありがとう穂香さん。
死ぬことの怖さと、自分の出来なさが苦しくて仕方がなかった……。でも、君の言っていたように元々みんなを救おうと行動していたことを思い出せたよ。助けようとした人達の為に行動出来ないなんて生き恥もいい所だ。私を生かしてここへ送り込んだことが失敗であったと、ここを運営する人達に教えてあげるぐらいの気持ちでなければ、本当にただの役立たずで終わってしまう!」
彼は穂香と目線を合わせる様にしゃがむ。ヒビの入った眼鏡の向こうで、目尻を下げほほ笑む河原が、力強く彼女へそう伝えた。
「味方になってくれるの?」
「あぁ。穂香さんだって頑張ってるのに、こんなおじいちゃんが怖いからって何もしないのは大人として恥ずかしいからね。梨沙さんと渚さんのデュエルが無事に終わったら……私の知り得る事を全て話そう。といっても、ほとんどは先ほど渚さんが話した事と同じだけどね」
「でも、きっとほのか達が知らない事もたくさんあると思うよ!みんな、分からなくて不安だと思うから、いろいろ教えてあげて欲しい」
河原の明るくなった雰囲気に合わせて、穂香の口元も自然と緩み、小さな笑みが垣間見えてくる。
「うむ、私の立場だからこそ発言できる事もあるはずだ……。君が求めてくれた期待に、少しでも応えられるよう頑張ってみせるよ」
立ち上がった河原が、ずれた眼鏡を指で持ち上げデュエルしているであろう梨沙と渚の方へと目線を向ける。
「……もう恐怖に屈しない。後は、彼女達がデュエルを無事に終えてさえくれれば……」
心配そうにそれだけを口にした河原。しかし、穂香が落ち着きのある声でその不安へ寄り添う。
「お兄ちゃんが怒って、お祈りのお姉ちゃんも怖いお姉ちゃんになって、お化けのお姉ちゃんが鳥のお姉ちゃんとデュエル始めて……本当は少し怖いの。でも、お姉ちゃん達は、ほのかが不安になってると助けに来てくれた。だから、ほのかはみんなが大丈夫だって信じてるんだよ。これから、おじいちゃんの話をみんなで聞いて、協力していけるんだって!
そう、信じるの!」
小さな手が河原の指先を掴む。彼女が梨沙達へ向けるその信頼の感情と、それによって穂香が得ている安堵の感情を読み取り、河原の口元が緩んでいく。
「そうだね。こんな絶望的な状況でも抗おうとしていた人達だ。
では、私も彼女達を信じて……君と共に待っていようと思う」
「うん。ほのかも、おじいちゃんと一緒に待ってるね」
信頼と期待を込めた祈りが停滞する。協力を得られた穂香も、存在を頼られた河原も心のどこかで事態が好転するだろう事を信じていた。
だが……積み上げて来た希望や、信頼関係などと言ったものは、たった1つ何かが失われるだけでいとも容易く崩壊する。希望を持つ者がその希望を広める事が出来るのならば……逆にその者が絶望に染まれば、絶望を伝染させる電波塔と成り果てる。
~~~~~
「クソ……間に合わなかった……」
白神が梨沙達の元へ到着したちょうどその瞬間に、彼女達のデュエルが始まってしまった……。
ピー
「先行は近久様、後攻は裏野様になります。」
[ターン1]
虚ろな瞳のまま即座にデッキから5枚のカードを引き抜く近久。それに対する梨沙は、立ち上がってこそいるものの初期手札を引き込む事無く、近久の方を睨みつけているばかりだ。その体中を血で染め、指先から滴る血は、フロアの赤い光と混ざりより一層赤を深めていく。
「《花積み》発動。デッキから花札衛3枚をデッキトップに固定させる」
手札:5枚→4枚
近久がカードを発動し、デュエルディスクの画面を撫でるとデッキから順番に3枚のカードが飛び出す。それらを掴み取ると、デッキがシャッフルされ、掴み取った3枚がデッキトップへと置かれた。
「《超こいこい》を発動。デッキの上から3枚をめくって、その中の花札衛を召喚条件無視で特殊召喚する。特殊召喚したモンスターの効果は無効にされ、レベルは2になり、もしめくったのが他のカードだったらそれらは裏側で除外されて1枚につき1000のライフをウチは失う」
手札:4枚→3枚
近久がデッキトップ3枚を一気に引き抜きそれらを翳す。先ほどの花積みで積み込んだであろう3枚の花札が露わとなる。
「めくったのは《花札衛-萩に猪》、《花札衛-紅葉に鹿-》、《花札衛-牡丹に蝶-》の3枚。よって、この3体を場に出すよ」[守1000][守1000][守1000]
フィールドに猪、鹿、蝶のモンスターそれぞれが描かれた花札板が並び立つ。
「チューナーである牡丹に蝶を含んだ、合計3枚の花札衛を取って、
シンクロ召喚。
《花札衛ー月花見ー》」[攻2000]
呼び出した3体のモンスターを素材に呼び出されるシンクロモンスター。着物を揺らし、左手に盃を、右手に扇を携えた芸者が優雅にフィールドへと舞い降りた。
「月花見の効果。デッキから1枚ドローして、それを確認。花札衛なら特殊召喚できるけど、次のウチのドローフェイズはスキップされる。
ドロー……」
手札:3枚→4枚
ゆっくりとカードを引いた近久がそれを梨沙に向ける。
「ウチが引いたのは《花合わせ》。そのまま、《花合わせ》を発動。デッキから4枚のカス札を場に出す。
デッキから《花札衛-桜-》、《花札衛-芒-》、《花札衛-柳-》、《花札衛-桐-》の4体を場へ」
手札:4枚→3枚
流れる様に引いたカードを発動し、デッキから一気に4枚ものカードがデュエルディスクへと置かれて行く。それと並行し、フィールドでは月花見の左右へ2枚ずつそれぞれの名を冠する絵が描かれた花札板が並び立つ。
「月花見はチューナーで、シンクロ素材全てのレベルを2として扱う効果がある……。ウチは、桜、芒、柳、桐の4枚と……《花札衛-月花見-》の合計5枚を取って、
シンクロ召喚。
《花札衛ー五光ー》」[攻5000]
月花見が着物を揺らすと舞い散る桜の花びら。無数に舞い散る花びらが5体のモンスターを覆い隠したかと思えば、下駄の音が響く。現れた重厚な武士は、鞘から日本刀を抜刀し構えた。
そのモンスターの登場にピクリと反応を見せた梨沙。振るわれた刀の剣先へと、視線が向けられていく……。
「5000……。
そうですか、このモンスターが……アリスさんを……」
そう呟くと共に背後で眠るアリスの方を振り返る。彼女の左肩と右腹部とを一直線に両断された身体は、最初に見た時には気づかない程に綺麗に切断されていた。しかし、梨沙が上半身を動かした事で、切断面からは彼女を人として構成していたであろう血肉と臓器がでろりと姿を覗かせている。
不意に、かつてアリスが口にした言葉が梨沙の中で響く。
(「…心配はもちろんあるけどさ、梨沙ちゃんがその優しさを持ち続けられているのは本当にすごいし、大切な事だと思ってる。
さっき自分で言ったことを否定するみたいにはなるけど……そのままで居てね。危ない所は、私もフォローするから!)」
人を殺さないデュエル。それは、この実験においてリスクしか伴わない選択だ。それを理解した上で、梨沙の選択を尊重し、手助けまでしてくれた。自分の甘い部分をしっかりと指摘しながらも、優しく導いてくれた。
今、自分の中に湧き上がってしまっている感情……。その激情へ任せてしまえば、彼女の献身的な助力さえ無駄にしてしまう。相手がどれだけ理不尽を押し付けて来ようとも、自分を抑えるしかないのだ。アリスが施してくれた事、そしてアリスが自分へ託してくれた想いを捨て去ることなど……絶対にしたくなかった。
「大丈夫、苦しそうにはしてなかったと思うから……」
アリスを見つめたまま押し黙っている梨沙へ近久がアリスの最期の様を口にした。間髪入れず、梨沙の感情を抑えた声がそれに反応を示す。
「大丈夫ってなんですか?私も苦しまずに死 ねるから、このモンスターに殺されてくださいって話をしてるんですか?」
「(梨沙さん…………)」
向き直りながら虚空を映す梨沙の瞳が、近久を捉える。アリスという人間の喪失によって、失意、悲しみ、後悔……怒りや絶望といった激情を抱えているはずの梨沙。しかし、つい先程までそんな激情の赴くままに涙し、声を張り上げていた彼女の感情は希薄になっていた。それどころか、同時に生気さえも抜けていくような……そんな感覚を白神は感じ取る。
「そうだよ。
アリスがあなたにとって大切な人だったのは見てるだけで分かる。だから、彼女の死は尊ばれ、価値あるものでないといけない」
「価値ある、死……?
アリスさんが死んで誰が幸せになったんですか?あなたですか?それとも、渚さんですか?実験してこの現場も見てるだろう人達の事ですか?」
梨沙の目元へとたまっていた最後の涙が、ゆっくりと頬を伝って流れ落ちた。
「幸せになんてなっていないよ……。あなたを含めて誰も幸せになっていない。だけど……今から幸せになる人が増えていくんだ。アリスが死んでくれたから、ここに居る人達が救われていくんだ。その為に必要なことだったんだ。でないと、アリスも誰も報われない」
近久がそう吐き捨てた事で、梨沙は静かに冷たく……ただただその戯言を諌める。
「あなたがした事を、アリスさんに押し付けないでください。人殺しの言い訳にアリスさんを使わないでください。報われないって、そりゃそうでしょ。こんなところで死んで、いったい誰が報われるんですか。
死んだら終わりなんです。もう、話すことも泣くことも笑うことも……温もりを感じることだってなんにも出来ないんですよ?それを、後から価値ある死だったなんて持てはやさないでください。
アリスさんは、あなたに死んでくれてありがとうなんて言われても、喜んだりしません」
「……身勝手は承知の上。ウチにはこうするしか殺した人達の価値を見いだせない。梨沙と違って、私はアリスと友達でもなんでもなかった……。
なのに、アリスはウチを生かそうとも考えてくれていた……。見ず知らずどころか、殺しに来ているウチを生かす選択を持っていた彼女の死に価値がない?いいえ、そんな事あっちゃダメ。彼女はとても素晴らしい人間で、他者への慈愛に満ち溢れた人間なんだ。死者へ価値を見出せるのは生きているウチにしか出来ない。彼女を殺したウチにしか出来ないことなんだ。
そんな彼女にとっても、きっと大切な人だった梨沙も素晴らしい人間だよ。そんな素敵な人達をウチみたいな奴が殺してしまう……そんな事は許される訳がない……恨まれて当然だ」
近久の凝り固められた思想が溢れ出る。必要に迫られたアリスの殺しさえも、渚に無意味と切り捨てられてしまったこと。自分自身がしてしまった非道な行いが何の価値も見出せないことが、近久には耐え難かった。それが、結局は自己本位な考えだと頭の片隅で理解していても、もう止められない。命を奪うという重圧に、他の術で近久は正気を保つことが出来ないから。
狂気へ足を踏み入れつつある近久に冷めた視線を送る梨沙。何かを言おうと口を開くが、喉まで出かかった言葉を飲み込む。そして、抑え込んだ言葉に代わり、近久の意思を今一度確認していく。
「…………。
それが分かってても、続けるんですね?」
掴みとった手札を梨沙へと翳しながら、近久はその問いへと答えていく。
「全部ウチの責任だ。ウチが梨沙を殺しても、例えウチが殺されることになっても全部ウチの責任だ……だからアリスのかたきを討つなら、遠慮しないで。ウチに許された道はここ以外にないから……。
《花札衛-桜に幕-》を見せて効果発動。デッキからドローして、それが花札衛ならこのカードを場に出せる。ドロー」
手札:3枚→4枚
桜に幕を右手で掴んだままデッキトップへと指をかけた近久がそれを引き抜く。そして、それを桜に幕と共に梨沙へと晒す。
「ドローしたのは《花札衛-松-》。よって、桜に幕を場に出す。
そのまま、《花札衛-松-》も通常召喚」[守2000][攻100]
手札:4枚→3枚→2枚
連鎖してフィールドへ花札板が並び立っていき、何度目かのデッキトップへ指をかける近久。
「松の召喚時効果で、ドロー。引いたのは《花札衛-柳に小野道風-》」
手札:2枚→3枚
素早い動きで引き込んだカードとは別の手札が場に出される。
「レベル10以下の花札衛がフィールドにある事で、《花札衛-柳-》を場へ。
その効果で、墓地からもう1体の柳をデッキに戻し1枚ドロー」
手札:3枚→2枚→3枚
結果的に手札を減らすことなく、どんどんとフィールドへと花札の描かれた板が新たに並び立っていく。ガコンという音と共に、他の板と連結する花札衛を目で追う梨沙がぼそりと呟く。
「……私も、本当は人を責められるような立場にありません。それは分かっています。
けど、近久さんの物言いはやっぱり言い訳です。自分のしてしまった事、その殺しに価値を見出そうとしてる。それだけじゃなくて、かたきとか何とか言って自分が殺されても仕方のない理由まで作ってる。アリスさんは、あなたの自 殺の道具じゃありません。
人間です……。笑ったり、泣いたり、怒ったり……誰かを助けたり、自分が苦しんだりする……そんな普通の人間なんです。なんでアリスさんを殺したあなたが、彼女の死を評価する立場にいるんですか?意味が分かりません。あなたにとって開き直って殺 人を肯定するのが、責任を取るって事なんですか?」
声の抑揚こそ落ち着き冷静だったが、それとは裏腹に近久の言動を多弁に責め立てた梨沙。言葉を返せなかった近久が、己の手札の中から1枚を取る。
「ウチは、ウチの責任を果たすだけだよ……。
場の柳を取って、《花札衛-柳に小野道風-》を場へ。その効果によりカードをドロー、それが花札衛なら召喚条件を無視して、場へ呼び出せる。
ドロー、引いたのは《花札衛-桐に鳳凰-》。よって、場へ」[守2000][守2000]
手札:3枚→2枚→3枚→2枚
五光を囲むように、既にフィールドには4枚もの花札板が並んでいた。近久は鳳凰の描かれた花札の効果を発動し、デッキよりカードを引き込む。
「桐に鳳凰が場に出た事でドロー。引いたのは《花札衛-桐-》。場には出さずそのままにして、松、桜に幕、桐に鳳凰の3枚と……《花札衛-柳に小野道風-》の合計4枚を取って、
シンクロ召喚。
《花札衛ー雨四光ー》」[攻3000]
手札:2枚→3枚
場に並び立った4枚の花札板を素材に呼び出されたのは、黒と赤に染まった大きな傘を差した人型のモンスター。雨四光が傘をくるくると回すと共に、傘が電気を帯び始める。
「レベル11以下の花札衛が居ることで、《花札衛-桐-》を場に出す。さらに、墓地から《超こいこい》を除外して効果発動。場に出した桐を取る事で、手札の花札衛を召喚条件を無視して場に出せる。
ウチは手札から《花札衛-芒に月-》を場へ出すよ」[守100][守2000]
手札:3枚→2枚→1枚
植物のモンスターが描かれた花札板が現われるも、すぐ様真っ黒の球体が描かれた花札板がフィールドへ入れ替わり呼び出された。そして、その効果によって近久がデッキからカードを引く。
「芒に月も他の花札衛同様に、場へ出た時にドローする効果がある。花札衛なら特殊召喚出来て、花札衛以外なら墓地へ送る。ドロー。
ウチが引いたのは魔法カード《札再生》。よって、墓地へ送られる」
「(ようやく……彼女の展開も打ち止めか……)」
二人のデュエルを心苦しくも傍観していた白神が、花札衛以外を近久が引きそれを墓地へと送ったことで、彼女の展開の終着を予感する。しかし、近久が最後に引き込んだその1枚こそが、この展開を締めくくる最後の1手であった。
「《札再生》が花札衛の効果で墓地へ送られたことで、効果を発動。ウチはデッキトップ5枚をめくり、その中から魔法か罠カード1枚を手札へと加えることが出来る。
1枚目、《花札衛-牡丹に蝶-》。
2枚目、《花札衛-紅葉に鹿-》。
3枚目、《超こいこい》。
4枚目、《発禁令》。
5枚目、《影のデッキ破壊ウイルス》……」
「……!」
最後にめくられたカードの出現で表情を強張らせた白神。そのコストとなり得るモンスターは、呼び出した2体のシンクロモンスターを除いても既に彼女のフィールドへ用意されている。
「ウチは《影のデッキ破壊ウイルス》を手札へ加え、残ったカードはウチが指定した順番でデッキの上へ戻す」
手札:1枚→2枚
手札へと舞い込んできた凶悪なウイルスを、近久はそのままでデュエルディスクへと差し込む。それを見ていた白神の視線は自然と梨沙の方へと向けられる。彼女は、依然として生気の抜けた表情のままに近久をまっすぐに見定めていた。
「カードを1枚伏せて、ウチはターンエンド……」
手札:2枚→1枚
近久ーLP:8000
手札:1枚
[ターン2]
「………」
ターンが移り変わっても、梨沙は動こうとしない。未だに初期手札の5枚すら彼女は引いていないのだ。
「梨沙さん……カードを引くんだ。僕なんかじゃ想像できない程にショックだろうけど……このまま君が殺される事をアリスさんも望んでいないはずだよ」
動きを見せない梨沙に向けて白神が声を発する。友を殺された彼女は、本来デュエルなど出来る精神状態にはないはずなのだ。しかし、デュエルが一度始まってしまった以上、何とかこのデュエルを乗り切ってもらうしか彼女の生き残る道は残されていない。
「………」
「梨沙さん……!カードを引け!キミも分かっているだろ、死んだら全部終わりなんだ。死んだって、死んだ人に会える訳じゃない!」
「落ち着いてください、翔君」
それはとても透き通った、落ち着き払った声だった。その声の主は紛れもない梨沙本人。白神が、今一度彼女の顔をよーく伺う。
フロアの赤い光に照らされた梨沙の表情に感情は残っていなかった。
「う……」
白神の背筋を嫌なものが伝う。
狂気に飲まれ、不愉快な笑顔を貼りつけていた時の彼女ともまた違った佇まい。その瞳もまた、あの時とは違っている。今の彼女の目は生きていない。死んだ魚のような眼でそこに立つ彼女は、まるで屍が立たされているだけのような……そんな無機質さすら感じられてしまう。
「心配しなくても、何もせず殺されるような事はしません。
どうあるべきか、考えていただけですから…………」
梨沙は意味深にそう呟くと、デッキトップからドローの分も含めたカード6枚を静かに引き抜いた。
「私のターン、ドロー」
手札:0枚→6枚
梨沙がカードを引き込んだ瞬間、近久のフィールドの雨四光が電撃を帯びた傘を梨沙へと向ける。
「相手がドローフェイズにドローしたことで、雨四光の効果発動。梨沙に1500のダメージを与える」
傘からは、無数の針のように細い光が放たれた。その針の雨を、梨沙は防ごうともせずに真っ向から全身に浴びる。
梨沙LP8000→6500
「梨沙さん……!」
梨沙の顔、腕、足など体の至る所へ痛々しく突き刺さった光の針はすぐ様に消失した。しかし、当然残された傷が消える事はなく、その傷の1つ1つから血が流れだす。確実に体へ与えられたはずの痛みに、梨沙は眉1つ動かさない。そればかりか、手札の1枚を相手へと翳しだす。
「私がダメージを受けた事で、手札の《ゴーストリック・マリー》の効果を発動。このカードを手札から捨て、デッキからゴーストリック1体を裏側守備表示で特殊召喚します」
手札:6枚→5枚
白神の心配を他所に、デュエルディスクの画面をタップした梨沙のデッキから1枚のカードが飛び出す。
「なら、守備力2000の《花札衛-芒に月-》を取って、《影のデッキ破壊ウイルス》を発動」
発動されたデッキ破壊ウイルス。近久のフィールドから、残されていた花札板が消え去ると共に、先程まで存在していた花札板の影。それが地面からぺらりと剥がれたかと思えば、まるで蝙蝠のように形を変え梨沙の方へと向かって行く。
「発動時に、相手のフィールドのモンスター、手札と梨沙のターンで数えて3ターンの間にドローしたカードの全てを確認して、その中の守備力1500以下のモンスターを全て破壊する……」
「く……(梨沙さんのデッキはゴーストリック……おそらくモンスターの殆どがデッキ破壊の効果範囲だ……)」
発動されたデッキ破壊ウイルスと、梨沙のデッキに眠るモンスターとの相性の悪さに口元を歪めた白神。しかし、対峙している梨沙の表情はその発動を受けてなお、一切揺れ動かない。まるで、本当に死人が喋っているかのように、抑揚のない落ち着き払った声が効果の処理へと従っている。
「私の手札は、《命削りの宝札》、《ゴーストリック・セイレーン》、《凍てつく呪いの神碑》、《トラップ・トリック》、《皆既日蝕の書》の5枚です。この中だとセイレーンだけ破壊されます」
手札:5枚→4枚
手札にあった《ゴーストリック・セイレーン》が、飛び立った影の蝙蝠へ触れられた瞬間、真っ黒に染まり朽ちてしまう。そして、デッキから飛び出した1枚を梨沙が手に取る。
「チェーンで発動したので、その処理後にマリーの効果が処理されます。デッキから特殊召喚する《ゴーストリックの妖精》をこれでは破壊できません」
影の蝙蝠が消え去ると共に、梨沙のフィールドへセットモンスターが呼び出された。視線を落とした近久は、少しだけ残念そうな声を漏らしながら、《影のデッキ破壊ウイルス》によりもたらされた梨沙の手札の詳細をデュエルディスクで確認していく。
「そう……なら、もう少し発動を待てばよかった訳ね」
「私は裏側の《ゴーストリックの妖精》を素材にリンクマーカーをセット。
リンク召喚。
LINK1、《ゴーストリック・フェスティバル》」[攻0]
梨沙がアリスと自身の血が混ざった指先で、呼び出した妖精を掴み墓地へと来る。解放されたEXデッキより、乾きつつある血と新鮮な血でカードを濡らしながらデュエルディスク上へと叩きつける。
召喚と共に、梨沙のフィールドへたくさんのオバケが現われると、フィールドを飾り付け、小さな笑い声達と一緒に盛り上げていく。
「近久さんが、先ほどのターン2体以上EXデッキからモンスターを呼んだことで、《ゴーストリック・フェスティバル》1体でオーバーレイネットワークを構築。
エクシーズ召喚。
ランク12、《厄災の星ティ・フォン》」[守2900]
楽しそうに明かりやカボチャを飾り付けていたオバケたちが突如、無数に蠢く紫色をした蛇のような物体に喰らいつくされてしまう。逃げ惑うオバケを逃すことなく消し去った蛇達が伸びていた元へ現れたのは、人型の機械生命体。肩に備えられた赤い装飾がまるで、目のように不気味に発光し、近久の2体のモンスターを威嚇する。
「…………クソ」
白神は顔をしかめ、自らの拳を握りしめる。
厄災の登場によって、楽しそうにしていたオバケ達は蹂躙された。そんなリアルソリッドビジョンの演出が、偶然か運営の意図的なものなのかは分からないが、まるで梨沙の今後を暗示しているかのように見えてしまった白神は吐き気を催す。無数の傷を抱え、血を流しながらも表情1つ変えない梨沙の振る舞いからは、楽し気にデュエルしていた彼女の面影など微塵も感じられない。
当然、友人の死を前に楽しそうにするなど、そちらの方がよほどおかしいのは理解している。それに、ここでデュエルさえしないような事になれば梨沙は無残にも殺されてしまうだけだ。アリスが殺された状況で、デュエルを続行できている事こそが、不幸中の幸いではあった……。
だが、だからこそ……梨沙が楽しみのないデュエルを強要されてしまっていることが悔しかった。同時に、このデュエルが始まる前に止めることが出来なかった自分の行動の遅さも悔やまずにはいられなかった。大切な人の死さえ満足に悲しむ事すらできずデュエルへと駆り出されてしまう……そんなこの実験の狂気と理不尽への怒りもまた、白神の中で積もっていく。
「私も……あなたと同じようにやるべきことをするだけです。
《厄災の星ティ・フォン》のオーバーレイユニットを1つ取り除いて、効果を発動」
自らが今為すべきことを心に留め、梨沙が静かに効果の発動を宣言する。ゆっくりと持ち上げられた右手とその人差し指が、近久のフィールドで構える《花札衛-五光-》へと向かう。その指先から……一粒、血の雫が零れ落ちた。
それとほぼ同時のタイミングで、変形した厄災の肩から巨大な黒鉄の蛇が放たれた――――。
「情けない……」
自らの不甲斐なさを嘆くも、体の震えは止まらない。その事が腹立たしく、そして苦しくてまた震える右手を何度も何度も地面に叩きつける。
「口だけで、本当に何も出来ない男だ……。死がチラつくだけで、体の震えが止まらない……あぁ、情けない……。
情けない、情けない、情けない!!!っ…………」
打ちつける拳に血が滲み始めると、痛みから自傷さえも躊躇する。そんな仕草の一挙一動が情けなくて、悔しくて……。自らの右手の拳を左手で抑え込み、奥歯を噛みしめた。
「おじいちゃん、叩くと痛いよ?」
「うわっ……!?」
突如声をかけられたことで河原は、飛び上がると共にすぐさま振り返った。そこに立っていたのは、大きな瞳に左目の下へ星のフェイスシールを貼りつけている少女だった。河原が少女を認識する上で、何よりも危惧し動揺したのは、彼女が左腕へつけているデュエルディスクだ。
「や、やめてくれ……私はデュエルが出来ないんだ……殺さないでくれ……」
モンスターによる圧倒的な力。デュエルディスクを持たない者は、その圧倒さの前には余りにも無力だ。たとえ、目の前に居るのが少女だとしても……彼女がモンスターを呼び出せばそれまで。瞬く間に自分の命など奪い去られてしまう。
その恐怖が、河原を包み込む。今は、自分を守ってくれていた渚を含める他の3人全員がデュエルしている状況下にある。もし、眼前の少女がモンスターを召喚すれば、その瞬間に自分の死が決定されるのだ。
「た、頼む……殺さないでくれ……」
必死の懇願に対し眼前の少女は、肩まで伸ばす髪を揺らしながら首をかしげる。
「ほのか、そんなことしないよ?」
「ほ、本当かい……?」
「うん」
抑揚をあまり感じない穂香の声だったが、それと同時に敵意も感じ取れなかったことで、河原は安堵の息を漏らす。
「ありがとう……。君は、穂香さんだったよね」
「うん、ほのかだよ」
「確か……梨沙さんだったかな?その子達と一緒に居た子だよね」
「うん、お化けのお姉ちゃんと、お祈りのお姉ちゃんと、お兄ちゃんと一緒に来たよ」
淡々とそう答えていく穂香。何かしらの愛称と思われる二人のお姉ちゃんに対し、お兄ちゃんだけは何も付随していなかった事に、少しだけ意識を逸らされた河原がそれを聞いてみる。
「……お兄ちゃんは、穂香さんのお兄ちゃんって事かい?」
「違うよ?」
「あぁそうなんだね……。じゃぁ、なんでお兄ちゃんだけはお化けのとかお祈りのみたいな愛称がついていないんだい?」
「あいしょうって言うの?お兄ちゃんは、まだどんな人かあんまり分からないからお兄ちゃん。おじいちゃんもどんな人かあんまり知らないからおじいちゃん!」
「なるほど……君なりに見つけた特徴だったんだね」
何気ない会話の応酬。小さな少女との会話は、殺伐としていた空気から一瞬だけだが逃れることができ、かつての平穏な雰囲気が醸し出される。
「さっき、お化けのお姉ちゃんに何か教えようとしてくれたよね」
「……!」
河原が渚へ口止めされ、引き下がってしまった時の話をする穂香。日常を感じ取らせてくれたこの少女もまた、こんな狂った実験に巻き込まれてしまっているという現実が、河原の胸を締め付ける。
「なんで教えてくれなかったの?お化けのお姉ちゃん知りたがってたのに……」
「それは……」
「鳥のお姉ちゃんが怖いの?」
「鳥の……お姉ちゃん……」
その名前に該当するであろう人物は、このフロアを統括する渚に間違いないだろう。河原は、穂香の語る人物が渚であろうことを察すると、自身の肩に手を置く。
「そうだね……。鳥のお姉ちゃんが怖くて、おじいちゃんは喋れなかったんだ……。情けない話だよ」
《盤外召喚》によって呼び出された渚のモンスター。自らが彼女に意見をしようとした時に、その鳥獣の鉤爪が抉り取った肩の肉。傷そのものはすぐに、久能木の効力を得たカード効果で治療されたものの、受けた傷に対する恐怖は自らの反抗心を穿つには十分すぎるものだった。
「鳥のお姉ちゃんも、ほのかが危ない所に行こうとしてたのを止めてくれたいい人だよ?」
「…………」
穂香の純粋な疑問に、河原は口を閉ざすしかなかった。黙りこくる河原の表情を伺うと、穂香は心配そうな表情と共に言葉を続ける。
「ひどいことされたの?」
「いいや……私がちょっと変なことを言ってしまってね。それで、怒られたのが少しだけ怖かった……という感じだよ」
本来であれば、何らかの形でここに居る彼女達も救うために自分は動いていたはずだったのだ。だが、結果は失敗し同じ実験に送り込まれ、助けるはずの人達に守られている状況。そんな守ってもらっている分際で、反対意見を言えば咎められるのは必然なのだ。しかし、それでも人を無差別に殺めるような行為を肯定までは出来なかった。何度もその行為がどれ程非人道的なものであるか物申そうと思っただろう。だが、何かを言おうと思い至る度に、抉り取られた肩の痛みが脳裏にちらつく。結局、死ぬのが怖くて渚の言いなりのままであった。
「わるいことしたの?」
「悪い事か……難しいね。私は正しいことだと思っていても、鳥のお姉ちゃんからしたら悪い事だったんだろうね」
「そっか……。おじいちゃんに味方はいなかったの?」
「味方…………」
その言葉で河原が思い返すのは、この実験へと送り込まれる直前の記憶。自分と意志を共にし、この狂気の実験を止めるべく行動を起こしてくれた2人の研究仲間。その2人が自分より先に送り込まれたこの実験内で殺された事……。スクリーン越しに見た死の瞬間の表情、そして響き渡った断末魔は、今でも鮮明に脳裏へ焼き付いている……。
「私に協力してくれたばかりに……いなくなってしまったんだ……」
河原は再び強い無力感に打ちのめされる。自分が協力を申し出てしまったことで、あの2人は命を落とした。自分よりも若く、勇気と覚悟を持ち合わせた2人が……。
拳を握りしめ、顔をしかめる河原。そんな彼へ穂香も憂いの表情を浮かべた。
「ひとりぼっち……寂しいよね……。じゃぁ、ほのかがおじいちゃんの味方になってあげるよ」
穂香が突然そのような事を言い出す。河原は彼女が一体どういった意図でそのような発言をしたのかが理解できず、首を傾げる他なかった。
「私の……味方に……?」
「うん、鳥のお姉ちゃんがひどいことしようとしたら、ほのかが守ってあげる!」
穂香は実に真剣な眼差しでそう告げている。彼女の言葉1つ1つ自体は実に端的なものである。しかし、その声色は彼女なりの気遣いが多分に含まれていた。
「おじいちゃんは、ほのか達を助けようとしてくれたんだよね?ほのかは優しい人の味方なの」
「助けようとした……か。確かに、最初はそうだったかもしれないね。結局は、何も出来ず死ぬ事を恐れるばかり…………。
こんな私でも、君は味方になってくれるのかい?」
疲弊した精神が自らの無能さを説き卑屈な返しをする河原。だが、その表情は穂香の声に絆されたのかまるで泣き出しそうになっていた。
「死ぬのはみんな怖いんじゃないの?ほのかも、いろいろ怖いことがあったよ。助けて欲しいのに助けてもらえない時の苦しいの、ほのかも知ってる……。だけど、お化けのお姉ちゃんやお祈りのお姉ちゃんは、ほのかの事を助けてくれたの!とっても優しい人なんだよ。鳥のお姉ちゃんや、お兄ちゃんも危ないところに居たら逃げてってしてくれた。
だから、ほのかも困ってる人が居たら優しくしたいし、助けてあげたいなって思ったの!助けてくれる味方が居るってだけで、怖い事があっても安心できるから」
自分の考えを、言語へと出力し何とか気持ちを伝えていく。そんな懸命さと共に、まるで包み込んでくれるかのような温かさを宿した彼女の言葉が、河原を動かす。
「私なんかを……助けてくれようと……?」
「ほのか達を助けようとしてくれたんだから、おじいちゃんも優しい人なんだよ。あと、ほのかよりもきっとたくさんの事を知ってるよね。ほのか、おじいちゃんの味方だから、おじいちゃんもお姉ちゃん達の味方になってあげて?」
「私が……味方に……」
孫の年代に相当する少女が、河原を含めた皆の為に行動を起こしていた。そして、そんな彼女が自分達にない何かを求め、自分を頼ってくれている。
外の世界に居た人間として、渚たちへ情報を提供すると共に身の安全を守って貰っている状態にあった河原。しかし、渚が彼へ向ける感情は失意以外の何物でもない。それも当然の反応だろう。遭難している元へ現れた人間が、自分達と同じように遭難している人間だと知ってしまえば、期待していればいる程に落胆も大きい。それだけにとどまらず、その人間はただただ死の恐怖に怯え、何の益ももたらさない不用品だ。
けれど……そんな不必要な自分を眼前の少女は頼りにしてくれている。あろうことか、自らの心の弱ささえも包み込む様に手を差し伸べてくれていた。これ程に幼い少女であっても、この環境で自分が出来ることをしようとしている。梨沙と名乗る少女も、こんな絶望的な状況でさえ希望を見失わず、何かを掴もうと頑張っているのだ。
そのヒントを彼は持ち得ている。渚の言うように、希望になり得るかは怪しいものではある。現に、渚はこれを否定した。河原自身も、この方法は万人が救われるものとも思えないし、それが修羅の道である事も理解している。
だが、希望を追い求める者がいるのであれば、それがどれだけ厳しいものであっても託すべきなのだろう。元々、自分の生活や今まで積み上げ来たものを捨ててでも、この狂気を告発する為に動いてきたはずだ。今更、己の命1つを惜しんでどうするというのか。
「そうだね……君を含めた皆が苦しむのをこれ以上見ていられなかったんだ。これ以上、ここへ連れてこられる人が増えるのも苦しかった。
君達はデータだけの存在と言って切り捨てていい存在なんかじゃない。人間を定義づけるのは、その人が作り上げた人格、記憶、思想、繋がり……人生。それらが人間を人間たらしめているんだ……!肉体がなくとも自己を確立した彼女達はれっきとした人間だ。その人権が奪われていいはずがない…………」
――たとえ、今の彼女達に救いの道が示されていなくとも……。それを彼女達が求め、抗うのであれば、自分こそがその手助けをするべきなのだ。それが、自分が出来る唯一の贖罪なのだから。
「おじいちゃん……?」
突如、力説する河原へ困惑する穂香。彼の放つ言葉は、穂香へ向けられたものではなかった。彼自身が己の意思を正すべく、そして覚悟するべく発した言葉たち。
彼の中で生み落とされた決意が、恐怖を何とか奥へと押し込んでいく。
「私を頼ってくれてありがとう穂香さん。
死ぬことの怖さと、自分の出来なさが苦しくて仕方がなかった……。でも、君の言っていたように元々みんなを救おうと行動していたことを思い出せたよ。助けようとした人達の為に行動出来ないなんて生き恥もいい所だ。私を生かしてここへ送り込んだことが失敗であったと、ここを運営する人達に教えてあげるぐらいの気持ちでなければ、本当にただの役立たずで終わってしまう!」
彼は穂香と目線を合わせる様にしゃがむ。ヒビの入った眼鏡の向こうで、目尻を下げほほ笑む河原が、力強く彼女へそう伝えた。
「味方になってくれるの?」
「あぁ。穂香さんだって頑張ってるのに、こんなおじいちゃんが怖いからって何もしないのは大人として恥ずかしいからね。梨沙さんと渚さんのデュエルが無事に終わったら……私の知り得る事を全て話そう。といっても、ほとんどは先ほど渚さんが話した事と同じだけどね」
「でも、きっとほのか達が知らない事もたくさんあると思うよ!みんな、分からなくて不安だと思うから、いろいろ教えてあげて欲しい」
河原の明るくなった雰囲気に合わせて、穂香の口元も自然と緩み、小さな笑みが垣間見えてくる。
「うむ、私の立場だからこそ発言できる事もあるはずだ……。君が求めてくれた期待に、少しでも応えられるよう頑張ってみせるよ」
立ち上がった河原が、ずれた眼鏡を指で持ち上げデュエルしているであろう梨沙と渚の方へと目線を向ける。
「……もう恐怖に屈しない。後は、彼女達がデュエルを無事に終えてさえくれれば……」
心配そうにそれだけを口にした河原。しかし、穂香が落ち着きのある声でその不安へ寄り添う。
「お兄ちゃんが怒って、お祈りのお姉ちゃんも怖いお姉ちゃんになって、お化けのお姉ちゃんが鳥のお姉ちゃんとデュエル始めて……本当は少し怖いの。でも、お姉ちゃん達は、ほのかが不安になってると助けに来てくれた。だから、ほのかはみんなが大丈夫だって信じてるんだよ。これから、おじいちゃんの話をみんなで聞いて、協力していけるんだって!
そう、信じるの!」
小さな手が河原の指先を掴む。彼女が梨沙達へ向けるその信頼の感情と、それによって穂香が得ている安堵の感情を読み取り、河原の口元が緩んでいく。
「そうだね。こんな絶望的な状況でも抗おうとしていた人達だ。
では、私も彼女達を信じて……君と共に待っていようと思う」
「うん。ほのかも、おじいちゃんと一緒に待ってるね」
信頼と期待を込めた祈りが停滞する。協力を得られた穂香も、存在を頼られた河原も心のどこかで事態が好転するだろう事を信じていた。
だが……積み上げて来た希望や、信頼関係などと言ったものは、たった1つ何かが失われるだけでいとも容易く崩壊する。希望を持つ者がその希望を広める事が出来るのならば……逆にその者が絶望に染まれば、絶望を伝染させる電波塔と成り果てる。
~~~~~
「クソ……間に合わなかった……」
白神が梨沙達の元へ到着したちょうどその瞬間に、彼女達のデュエルが始まってしまった……。
ピー
「先行は近久様、後攻は裏野様になります。」
[ターン1]
虚ろな瞳のまま即座にデッキから5枚のカードを引き抜く近久。それに対する梨沙は、立ち上がってこそいるものの初期手札を引き込む事無く、近久の方を睨みつけているばかりだ。その体中を血で染め、指先から滴る血は、フロアの赤い光と混ざりより一層赤を深めていく。
「《花積み》発動。デッキから花札衛3枚をデッキトップに固定させる」
手札:5枚→4枚
近久がカードを発動し、デュエルディスクの画面を撫でるとデッキから順番に3枚のカードが飛び出す。それらを掴み取ると、デッキがシャッフルされ、掴み取った3枚がデッキトップへと置かれた。
「《超こいこい》を発動。デッキの上から3枚をめくって、その中の花札衛を召喚条件無視で特殊召喚する。特殊召喚したモンスターの効果は無効にされ、レベルは2になり、もしめくったのが他のカードだったらそれらは裏側で除外されて1枚につき1000のライフをウチは失う」
手札:4枚→3枚
近久がデッキトップ3枚を一気に引き抜きそれらを翳す。先ほどの花積みで積み込んだであろう3枚の花札が露わとなる。
「めくったのは《花札衛-萩に猪》、《花札衛-紅葉に鹿-》、《花札衛-牡丹に蝶-》の3枚。よって、この3体を場に出すよ」[守1000][守1000][守1000]
フィールドに猪、鹿、蝶のモンスターそれぞれが描かれた花札板が並び立つ。
「チューナーである牡丹に蝶を含んだ、合計3枚の花札衛を取って、
シンクロ召喚。
《花札衛ー月花見ー》」[攻2000]
呼び出した3体のモンスターを素材に呼び出されるシンクロモンスター。着物を揺らし、左手に盃を、右手に扇を携えた芸者が優雅にフィールドへと舞い降りた。
「月花見の効果。デッキから1枚ドローして、それを確認。花札衛なら特殊召喚できるけど、次のウチのドローフェイズはスキップされる。
ドロー……」
手札:3枚→4枚
ゆっくりとカードを引いた近久がそれを梨沙に向ける。
「ウチが引いたのは《花合わせ》。そのまま、《花合わせ》を発動。デッキから4枚のカス札を場に出す。
デッキから《花札衛-桜-》、《花札衛-芒-》、《花札衛-柳-》、《花札衛-桐-》の4体を場へ」
手札:4枚→3枚
流れる様に引いたカードを発動し、デッキから一気に4枚ものカードがデュエルディスクへと置かれて行く。それと並行し、フィールドでは月花見の左右へ2枚ずつそれぞれの名を冠する絵が描かれた花札板が並び立つ。
「月花見はチューナーで、シンクロ素材全てのレベルを2として扱う効果がある……。ウチは、桜、芒、柳、桐の4枚と……《花札衛-月花見-》の合計5枚を取って、
シンクロ召喚。
《花札衛ー五光ー》」[攻5000]
月花見が着物を揺らすと舞い散る桜の花びら。無数に舞い散る花びらが5体のモンスターを覆い隠したかと思えば、下駄の音が響く。現れた重厚な武士は、鞘から日本刀を抜刀し構えた。
そのモンスターの登場にピクリと反応を見せた梨沙。振るわれた刀の剣先へと、視線が向けられていく……。
「5000……。
そうですか、このモンスターが……アリスさんを……」
そう呟くと共に背後で眠るアリスの方を振り返る。彼女の左肩と右腹部とを一直線に両断された身体は、最初に見た時には気づかない程に綺麗に切断されていた。しかし、梨沙が上半身を動かした事で、切断面からは彼女を人として構成していたであろう血肉と臓器がでろりと姿を覗かせている。
不意に、かつてアリスが口にした言葉が梨沙の中で響く。
(「…心配はもちろんあるけどさ、梨沙ちゃんがその優しさを持ち続けられているのは本当にすごいし、大切な事だと思ってる。
さっき自分で言ったことを否定するみたいにはなるけど……そのままで居てね。危ない所は、私もフォローするから!)」
人を殺さないデュエル。それは、この実験においてリスクしか伴わない選択だ。それを理解した上で、梨沙の選択を尊重し、手助けまでしてくれた。自分の甘い部分をしっかりと指摘しながらも、優しく導いてくれた。
今、自分の中に湧き上がってしまっている感情……。その激情へ任せてしまえば、彼女の献身的な助力さえ無駄にしてしまう。相手がどれだけ理不尽を押し付けて来ようとも、自分を抑えるしかないのだ。アリスが施してくれた事、そしてアリスが自分へ託してくれた想いを捨て去ることなど……絶対にしたくなかった。
「大丈夫、苦しそうにはしてなかったと思うから……」
アリスを見つめたまま押し黙っている梨沙へ近久がアリスの最期の様を口にした。間髪入れず、梨沙の感情を抑えた声がそれに反応を示す。
「大丈夫ってなんですか?私も苦しまずに死 ねるから、このモンスターに殺されてくださいって話をしてるんですか?」
「(梨沙さん…………)」
向き直りながら虚空を映す梨沙の瞳が、近久を捉える。アリスという人間の喪失によって、失意、悲しみ、後悔……怒りや絶望といった激情を抱えているはずの梨沙。しかし、つい先程までそんな激情の赴くままに涙し、声を張り上げていた彼女の感情は希薄になっていた。それどころか、同時に生気さえも抜けていくような……そんな感覚を白神は感じ取る。
「そうだよ。
アリスがあなたにとって大切な人だったのは見てるだけで分かる。だから、彼女の死は尊ばれ、価値あるものでないといけない」
「価値ある、死……?
アリスさんが死んで誰が幸せになったんですか?あなたですか?それとも、渚さんですか?実験してこの現場も見てるだろう人達の事ですか?」
梨沙の目元へとたまっていた最後の涙が、ゆっくりと頬を伝って流れ落ちた。
「幸せになんてなっていないよ……。あなたを含めて誰も幸せになっていない。だけど……今から幸せになる人が増えていくんだ。アリスが死んでくれたから、ここに居る人達が救われていくんだ。その為に必要なことだったんだ。でないと、アリスも誰も報われない」
近久がそう吐き捨てた事で、梨沙は静かに冷たく……ただただその戯言を諌める。
「あなたがした事を、アリスさんに押し付けないでください。人殺しの言い訳にアリスさんを使わないでください。報われないって、そりゃそうでしょ。こんなところで死んで、いったい誰が報われるんですか。
死んだら終わりなんです。もう、話すことも泣くことも笑うことも……温もりを感じることだってなんにも出来ないんですよ?それを、後から価値ある死だったなんて持てはやさないでください。
アリスさんは、あなたに死んでくれてありがとうなんて言われても、喜んだりしません」
「……身勝手は承知の上。ウチにはこうするしか殺した人達の価値を見いだせない。梨沙と違って、私はアリスと友達でもなんでもなかった……。
なのに、アリスはウチを生かそうとも考えてくれていた……。見ず知らずどころか、殺しに来ているウチを生かす選択を持っていた彼女の死に価値がない?いいえ、そんな事あっちゃダメ。彼女はとても素晴らしい人間で、他者への慈愛に満ち溢れた人間なんだ。死者へ価値を見出せるのは生きているウチにしか出来ない。彼女を殺したウチにしか出来ないことなんだ。
そんな彼女にとっても、きっと大切な人だった梨沙も素晴らしい人間だよ。そんな素敵な人達をウチみたいな奴が殺してしまう……そんな事は許される訳がない……恨まれて当然だ」
近久の凝り固められた思想が溢れ出る。必要に迫られたアリスの殺しさえも、渚に無意味と切り捨てられてしまったこと。自分自身がしてしまった非道な行いが何の価値も見出せないことが、近久には耐え難かった。それが、結局は自己本位な考えだと頭の片隅で理解していても、もう止められない。命を奪うという重圧に、他の術で近久は正気を保つことが出来ないから。
狂気へ足を踏み入れつつある近久に冷めた視線を送る梨沙。何かを言おうと口を開くが、喉まで出かかった言葉を飲み込む。そして、抑え込んだ言葉に代わり、近久の意思を今一度確認していく。
「…………。
それが分かってても、続けるんですね?」
掴みとった手札を梨沙へと翳しながら、近久はその問いへと答えていく。
「全部ウチの責任だ。ウチが梨沙を殺しても、例えウチが殺されることになっても全部ウチの責任だ……だからアリスのかたきを討つなら、遠慮しないで。ウチに許された道はここ以外にないから……。
《花札衛-桜に幕-》を見せて効果発動。デッキからドローして、それが花札衛ならこのカードを場に出せる。ドロー」
手札:3枚→4枚
桜に幕を右手で掴んだままデッキトップへと指をかけた近久がそれを引き抜く。そして、それを桜に幕と共に梨沙へと晒す。
「ドローしたのは《花札衛-松-》。よって、桜に幕を場に出す。
そのまま、《花札衛-松-》も通常召喚」[守2000][攻100]
手札:4枚→3枚→2枚
連鎖してフィールドへ花札板が並び立っていき、何度目かのデッキトップへ指をかける近久。
「松の召喚時効果で、ドロー。引いたのは《花札衛-柳に小野道風-》」
手札:2枚→3枚
素早い動きで引き込んだカードとは別の手札が場に出される。
「レベル10以下の花札衛がフィールドにある事で、《花札衛-柳-》を場へ。
その効果で、墓地からもう1体の柳をデッキに戻し1枚ドロー」
手札:3枚→2枚→3枚
結果的に手札を減らすことなく、どんどんとフィールドへと花札の描かれた板が新たに並び立っていく。ガコンという音と共に、他の板と連結する花札衛を目で追う梨沙がぼそりと呟く。
「……私も、本当は人を責められるような立場にありません。それは分かっています。
けど、近久さんの物言いはやっぱり言い訳です。自分のしてしまった事、その殺しに価値を見出そうとしてる。それだけじゃなくて、かたきとか何とか言って自分が殺されても仕方のない理由まで作ってる。アリスさんは、あなたの自 殺の道具じゃありません。
人間です……。笑ったり、泣いたり、怒ったり……誰かを助けたり、自分が苦しんだりする……そんな普通の人間なんです。なんでアリスさんを殺したあなたが、彼女の死を評価する立場にいるんですか?意味が分かりません。あなたにとって開き直って殺 人を肯定するのが、責任を取るって事なんですか?」
声の抑揚こそ落ち着き冷静だったが、それとは裏腹に近久の言動を多弁に責め立てた梨沙。言葉を返せなかった近久が、己の手札の中から1枚を取る。
「ウチは、ウチの責任を果たすだけだよ……。
場の柳を取って、《花札衛-柳に小野道風-》を場へ。その効果によりカードをドロー、それが花札衛なら召喚条件を無視して、場へ呼び出せる。
ドロー、引いたのは《花札衛-桐に鳳凰-》。よって、場へ」[守2000][守2000]
手札:3枚→2枚→3枚→2枚
五光を囲むように、既にフィールドには4枚もの花札板が並んでいた。近久は鳳凰の描かれた花札の効果を発動し、デッキよりカードを引き込む。
「桐に鳳凰が場に出た事でドロー。引いたのは《花札衛-桐-》。場には出さずそのままにして、松、桜に幕、桐に鳳凰の3枚と……《花札衛-柳に小野道風-》の合計4枚を取って、
シンクロ召喚。
《花札衛ー雨四光ー》」[攻3000]
手札:2枚→3枚
場に並び立った4枚の花札板を素材に呼び出されたのは、黒と赤に染まった大きな傘を差した人型のモンスター。雨四光が傘をくるくると回すと共に、傘が電気を帯び始める。
「レベル11以下の花札衛が居ることで、《花札衛-桐-》を場に出す。さらに、墓地から《超こいこい》を除外して効果発動。場に出した桐を取る事で、手札の花札衛を召喚条件を無視して場に出せる。
ウチは手札から《花札衛-芒に月-》を場へ出すよ」[守100][守2000]
手札:3枚→2枚→1枚
植物のモンスターが描かれた花札板が現われるも、すぐ様真っ黒の球体が描かれた花札板がフィールドへ入れ替わり呼び出された。そして、その効果によって近久がデッキからカードを引く。
「芒に月も他の花札衛同様に、場へ出た時にドローする効果がある。花札衛なら特殊召喚出来て、花札衛以外なら墓地へ送る。ドロー。
ウチが引いたのは魔法カード《札再生》。よって、墓地へ送られる」
「(ようやく……彼女の展開も打ち止めか……)」
二人のデュエルを心苦しくも傍観していた白神が、花札衛以外を近久が引きそれを墓地へと送ったことで、彼女の展開の終着を予感する。しかし、近久が最後に引き込んだその1枚こそが、この展開を締めくくる最後の1手であった。
「《札再生》が花札衛の効果で墓地へ送られたことで、効果を発動。ウチはデッキトップ5枚をめくり、その中から魔法か罠カード1枚を手札へと加えることが出来る。
1枚目、《花札衛-牡丹に蝶-》。
2枚目、《花札衛-紅葉に鹿-》。
3枚目、《超こいこい》。
4枚目、《発禁令》。
5枚目、《影のデッキ破壊ウイルス》……」
「……!」
最後にめくられたカードの出現で表情を強張らせた白神。そのコストとなり得るモンスターは、呼び出した2体のシンクロモンスターを除いても既に彼女のフィールドへ用意されている。
「ウチは《影のデッキ破壊ウイルス》を手札へ加え、残ったカードはウチが指定した順番でデッキの上へ戻す」
手札:1枚→2枚
手札へと舞い込んできた凶悪なウイルスを、近久はそのままでデュエルディスクへと差し込む。それを見ていた白神の視線は自然と梨沙の方へと向けられる。彼女は、依然として生気の抜けた表情のままに近久をまっすぐに見定めていた。
「カードを1枚伏せて、ウチはターンエンド……」
手札:2枚→1枚
近久ーLP:8000
手札:1枚
[ターン2]
「………」
ターンが移り変わっても、梨沙は動こうとしない。未だに初期手札の5枚すら彼女は引いていないのだ。
「梨沙さん……カードを引くんだ。僕なんかじゃ想像できない程にショックだろうけど……このまま君が殺される事をアリスさんも望んでいないはずだよ」
動きを見せない梨沙に向けて白神が声を発する。友を殺された彼女は、本来デュエルなど出来る精神状態にはないはずなのだ。しかし、デュエルが一度始まってしまった以上、何とかこのデュエルを乗り切ってもらうしか彼女の生き残る道は残されていない。
「………」
「梨沙さん……!カードを引け!キミも分かっているだろ、死んだら全部終わりなんだ。死んだって、死んだ人に会える訳じゃない!」
「落ち着いてください、翔君」
それはとても透き通った、落ち着き払った声だった。その声の主は紛れもない梨沙本人。白神が、今一度彼女の顔をよーく伺う。
フロアの赤い光に照らされた梨沙の表情に感情は残っていなかった。
「う……」
白神の背筋を嫌なものが伝う。
狂気に飲まれ、不愉快な笑顔を貼りつけていた時の彼女ともまた違った佇まい。その瞳もまた、あの時とは違っている。今の彼女の目は生きていない。死んだ魚のような眼でそこに立つ彼女は、まるで屍が立たされているだけのような……そんな無機質さすら感じられてしまう。
「心配しなくても、何もせず殺されるような事はしません。
どうあるべきか、考えていただけですから…………」
梨沙は意味深にそう呟くと、デッキトップからドローの分も含めたカード6枚を静かに引き抜いた。
「私のターン、ドロー」
手札:0枚→6枚
梨沙がカードを引き込んだ瞬間、近久のフィールドの雨四光が電撃を帯びた傘を梨沙へと向ける。
「相手がドローフェイズにドローしたことで、雨四光の効果発動。梨沙に1500のダメージを与える」
傘からは、無数の針のように細い光が放たれた。その針の雨を、梨沙は防ごうともせずに真っ向から全身に浴びる。
梨沙LP8000→6500
「梨沙さん……!」
梨沙の顔、腕、足など体の至る所へ痛々しく突き刺さった光の針はすぐ様に消失した。しかし、当然残された傷が消える事はなく、その傷の1つ1つから血が流れだす。確実に体へ与えられたはずの痛みに、梨沙は眉1つ動かさない。そればかりか、手札の1枚を相手へと翳しだす。
「私がダメージを受けた事で、手札の《ゴーストリック・マリー》の効果を発動。このカードを手札から捨て、デッキからゴーストリック1体を裏側守備表示で特殊召喚します」
手札:6枚→5枚
白神の心配を他所に、デュエルディスクの画面をタップした梨沙のデッキから1枚のカードが飛び出す。
「なら、守備力2000の《花札衛-芒に月-》を取って、《影のデッキ破壊ウイルス》を発動」
発動されたデッキ破壊ウイルス。近久のフィールドから、残されていた花札板が消え去ると共に、先程まで存在していた花札板の影。それが地面からぺらりと剥がれたかと思えば、まるで蝙蝠のように形を変え梨沙の方へと向かって行く。
「発動時に、相手のフィールドのモンスター、手札と梨沙のターンで数えて3ターンの間にドローしたカードの全てを確認して、その中の守備力1500以下のモンスターを全て破壊する……」
「く……(梨沙さんのデッキはゴーストリック……おそらくモンスターの殆どがデッキ破壊の効果範囲だ……)」
発動されたデッキ破壊ウイルスと、梨沙のデッキに眠るモンスターとの相性の悪さに口元を歪めた白神。しかし、対峙している梨沙の表情はその発動を受けてなお、一切揺れ動かない。まるで、本当に死人が喋っているかのように、抑揚のない落ち着き払った声が効果の処理へと従っている。
「私の手札は、《命削りの宝札》、《ゴーストリック・セイレーン》、《凍てつく呪いの神碑》、《トラップ・トリック》、《皆既日蝕の書》の5枚です。この中だとセイレーンだけ破壊されます」
手札:5枚→4枚
手札にあった《ゴーストリック・セイレーン》が、飛び立った影の蝙蝠へ触れられた瞬間、真っ黒に染まり朽ちてしまう。そして、デッキから飛び出した1枚を梨沙が手に取る。
「チェーンで発動したので、その処理後にマリーの効果が処理されます。デッキから特殊召喚する《ゴーストリックの妖精》をこれでは破壊できません」
影の蝙蝠が消え去ると共に、梨沙のフィールドへセットモンスターが呼び出された。視線を落とした近久は、少しだけ残念そうな声を漏らしながら、《影のデッキ破壊ウイルス》によりもたらされた梨沙の手札の詳細をデュエルディスクで確認していく。
「そう……なら、もう少し発動を待てばよかった訳ね」
「私は裏側の《ゴーストリックの妖精》を素材にリンクマーカーをセット。
リンク召喚。
LINK1、《ゴーストリック・フェスティバル》」[攻0]
梨沙がアリスと自身の血が混ざった指先で、呼び出した妖精を掴み墓地へと来る。解放されたEXデッキより、乾きつつある血と新鮮な血でカードを濡らしながらデュエルディスク上へと叩きつける。
召喚と共に、梨沙のフィールドへたくさんのオバケが現われると、フィールドを飾り付け、小さな笑い声達と一緒に盛り上げていく。
「近久さんが、先ほどのターン2体以上EXデッキからモンスターを呼んだことで、《ゴーストリック・フェスティバル》1体でオーバーレイネットワークを構築。
エクシーズ召喚。
ランク12、《厄災の星ティ・フォン》」[守2900]
楽しそうに明かりやカボチャを飾り付けていたオバケたちが突如、無数に蠢く紫色をした蛇のような物体に喰らいつくされてしまう。逃げ惑うオバケを逃すことなく消し去った蛇達が伸びていた元へ現れたのは、人型の機械生命体。肩に備えられた赤い装飾がまるで、目のように不気味に発光し、近久の2体のモンスターを威嚇する。
「…………クソ」
白神は顔をしかめ、自らの拳を握りしめる。
厄災の登場によって、楽しそうにしていたオバケ達は蹂躙された。そんなリアルソリッドビジョンの演出が、偶然か運営の意図的なものなのかは分からないが、まるで梨沙の今後を暗示しているかのように見えてしまった白神は吐き気を催す。無数の傷を抱え、血を流しながらも表情1つ変えない梨沙の振る舞いからは、楽し気にデュエルしていた彼女の面影など微塵も感じられない。
当然、友人の死を前に楽しそうにするなど、そちらの方がよほどおかしいのは理解している。それに、ここでデュエルさえしないような事になれば梨沙は無残にも殺されてしまうだけだ。アリスが殺された状況で、デュエルを続行できている事こそが、不幸中の幸いではあった……。
だが、だからこそ……梨沙が楽しみのないデュエルを強要されてしまっていることが悔しかった。同時に、このデュエルが始まる前に止めることが出来なかった自分の行動の遅さも悔やまずにはいられなかった。大切な人の死さえ満足に悲しむ事すらできずデュエルへと駆り出されてしまう……そんなこの実験の狂気と理不尽への怒りもまた、白神の中で積もっていく。
「私も……あなたと同じようにやるべきことをするだけです。
《厄災の星ティ・フォン》のオーバーレイユニットを1つ取り除いて、効果を発動」
自らが今為すべきことを心に留め、梨沙が静かに効果の発動を宣言する。ゆっくりと持ち上げられた右手とその人差し指が、近久のフィールドで構える《花札衛-五光-》へと向かう。その指先から……一粒、血の雫が零れ落ちた。
それとほぼ同時のタイミングで、変形した厄災の肩から巨大な黒鉄の蛇が放たれた――――。
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