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Report#69「未来を懸けて」 作:ランペル
渚が語ったこの世界の真実。
電脳世界に存在する自分達は、元の自分の記憶をコピーした”複製品”であるとそう口にした……。
それを前に、梨沙達は立ち尽くすしかなかった。
「何を……言ってるんですか?
”複製品”って…どういうことですか……?」
理解が及ばない梨沙。
厳密には、脳がその言葉への理解を拒絶している状況だ。
短時間にたくさんの絶望を味わってきた彼女も、新たな絶望を前に平常ではいられなかった。
「言葉通りだよ……。
ボク達はコピー 品。外では、元の人間であるボク達が今まで通りの生活を続けている」
アリスがレッドフロア内に居るすべての人間の顔を見渡す。
「今まで通りって……。
私も、梨沙ちゃんも、穂香ちゃんも、白神ちゃんも…渚ちゃんも…そこに居る3人も!
みんなが普通に過ごしてるって事なの?」
「河原さんは例外だけど、他のみんなはそうだね。
不慮の事故とかがない限り、オリジナルのボク達はボクらが望んだ今まで通りの日常生活を送っているはずだ」
「ま…ま、待ってください!!
何、言ってるんですか?外で私達が日常生活を……送っ…てる?わ、訳が分かりません……私がここに来たのって、2265年のはずなんですよ?
アリスさんや翔君に聞いたら、今は2273年だって言われて……それなのに今度はコピーって……なんなんですか。
コピー?コピー……?」
意味不明な状況が続き、頭を抱え込んだ梨沙の脳裏へかつての理解不能な状況が再度過る。
それらが困惑と共に禄に整理されず、支離滅裂な記号として放たれていく。
だが、その難解な記号を渚が拾い上げた。
「確かに、今外の世界の年代は2273年。この実験もそれに準じている」
「な…え……。
じゃぁ……本当に今って2273年なんですか……?
どうして……なら、なんでその間の事……私は覚えてないの……」
自分が憶えている時間と異なる時間軸に自分が居る事を再認識させられ、忍び寄ってくる恐怖。
何かを探すようにあやふやな言葉を漏らしている梨沙へ、求めているであろう答えを渚は提示した。
「梨沙君が本当に2265年にここへ来たというのであれば、君の記憶がコピーされたのが2265年だったというだけの話だよ」
「コピーされたのが……?」
「理由は不明だけど、2265年に記憶をコピーした梨沙君のデータが2273年の今、使用された。
だから、君からすれば数年の時間が過ぎた空間にやって来たような錯覚を覚えているんだと思うよ」
記憶をコピーされたデータとしての存在であるならば、渚の告げる理屈でこれらの疑問点の辻褄はあうだろう。梨沙と父親との記憶の相違も、本物の父親の記憶を梨沙が4歳の時点でコピーされ、この実験へ参加させられていたと考えれば、彼が梨沙の幼少期からの成長をしていった間の記憶がないのも当然と言える。
言うなら、この実験で出会った父親は、梨沙に自我が芽生えてから共に過ごして来た父親とは別人なのだ……。
「え……えぇ?
いや、だって、私ここに来るまで学校にも行ってたし、それから…たった数日なんですよ……??」
理解出来たとて、納得など出来るはずがない。
一度は抜け出したはずの狂気の深淵……。
だが、拭ったはずのそれは常に梨沙の背後で飲み込まんと待ち構え、後を着いて回る。
その深淵を後押しするかのように、渚は無情にも現実を突き付けて来た。
「混乱するのも無理ないとは思うけど……梨沙君の中でそう思ってても、現実では8年以上の時間が経っているということさ。
外の世界ではオリジナルの梨沙君が、もう社会人として生活しているんじゃないかな」
「オリジナル……?
社会人……?」
渚は明確にオリジナルとコピーと言葉を使い分けている。
その言葉の端々から、自分が本物の裏野 梨沙ではないと突き付けられているような感覚に襲われていく。偽物と言われるどころか、外の世界で自分はもう大人になって社会人として生活をしているとそう渚は口にした。
信じられる訳がない。
そんな真実があってたまるものか。
だって、そんなことを受け入れたら…………
「じゃぁ私って……誰なんですか……?」
無意識に呟いていた。
こんなにも苦しく辛く、狂った世界に居る自分は本当は裏野 梨沙ではなく、その記憶をコピーしただけのデータに過ぎない。
本来、自分自身が何者であるかなど説明する必要などないはずなのに。
その真実とやらに乗っ取れば、自分は外に出たとしても人間ですらない。
「……君は裏野 梨沙君でいいと思うよ。
ここでなら、君は生きている。もちろん、人間として。
だからこそ、ボクらは唯一生きることを許されたこの世界に平穏を見出さないといけないんだよ」
無意識の呟きさえも拾い上げ、そう言いのける渚。
それが真実であるかのようにあっさりと言いのける彼女に、怒りや不安といった負の感情が徐々に高ぶっていく。
自分は梨沙だ。
そんな当たり前さえも否定されてなるものか。
溢れ出る激動の感情のままに、言葉を放とうとした瞬間……
それが響き渡った。
「ふっっざけるなぁ!!!」
フロア内に轟いた怒号。
それは梨沙達の背後より、放たれたものだ。
振り返ると、怒りの感情に満ち溢れた白神が、荒い息遣いで渚を睨みつけていた。
「バカな事言うな!?
何が複製品だ……。僕は、元々エスケープするつもりでここに来てるんだ!後、二人をデュエルで倒せば外に出られる。
梨沙さんらを丸め込もうとするのは勝手にすればいいけど、僕の邪魔をしようとするなよ!!!」
「あぁ、そうそう。
エスケープに関してなんだけど、外に出すとか言ってるんだが……あれも大ウソでね」
白神の激情に任せた言葉の槍をいなしながら、渚は思い出したかのように手を叩きエスケープの事について新たに話し始める。
「だま…れ……」
「だってさ、外に出るったって意識を入れ込む器であるオリジナルは、外で生活してて存在してない訳なのね。
だから、エスケープを達成した被験者は、感情を消去して、最新のAI技術のコアとして流用するらしいよ。
危険な実験を自らの力で脱出した、判断力に優れ人間味溢れたAIとして役立てるんだってさ」
「黙れって言ってるだろ……!!?」
声を荒げた白神が、渚の元へと向かっていく。
危険を察知した梨沙が、咄嗟に白神の前へと割り込み行く手を阻む。
「しょ、翔君!落ち着いてください!」
「うるさい!どけ!!」
「きゃ…!?」
怒りのままに渚の元へと向かっていく白神は、梨沙を突き飛ばしデュエルディスクを構えた。
ザザッピー
「ただいまよりレッドフロアにてデュエルを開始します。
ルール:マスタールール
LP:8000
モード:ベーシック
リアルソリッドビジョン起動…。」
「なにっ……!?」
怒りの赴くままにデュエルをけしかけた白神が狙うのは当然クラスⅢの渚だ。
しかし、起動したのは白神のデュエルディスクと、渚の傍でタバコに火をつけた久能木のデュエルディスクであった。
「白神君……。
ここが誰のフロアだと思ってるんだ。
まさか、君の思い通りの相手とデュエルさせて貰えるとでも思ってるのか?」
白神を蔑む目で見遣る渚の左目。
それは、明確に白神を敵として認識していた。
「ふざ…けんなよ……。
ここまで来て……そんな、そんな嘘を信じてたまるかっ!!」
「………」
タバコに火がついた久能木は、ゆっくりとそれを吸い込むとタバコを指で掴み、大きく煙を吐き出す。
掴んだタバコを再び口にくわえた久能木が、デュエルディスクを構えると白神の元へと近づいていく。
突き飛ばされ倒れた梨沙の元へは、穂香が駆け寄っていた。
「お姉ちゃん…!!
大丈夫…?」
「……うん、こんなの平気だよ…。
それより、みんなを止めないと……」
穂香の手を借りながら立ち上がった梨沙は、一刻も早くこの状況を何とかすべく声を発する。
「みんな……落ち着いてください!
渚さん、争ったって誰も得しません!
二人のデュエルをやめさせてください!」
デュエルが始まってしまいそうな事態に、フロア主である渚へ梨沙が仲裁を頼み込む。
「デュエルをやめさせるなんて出来やしないよ。
それにさ、ボクは話し合いをしているのに、彼は突然デュエルを挑んできたんだ。
これってさ、フロアの外にのさばってる危険な連中と大差ないと思うんだよね。
つまり、排除すべき対象として彼は自ら名乗りをあげたって事になる訳」
冷徹な目をした渚は梨沙の方を向くことなくそう答えた。
「ち、違います!誰だってこんな話をされたら冷静になんかなれませんよ!?
だから、一度みんな落ち着かないとダメなんです!!!」
「どっちにしろ始まったデュエルを止めることは出来ないけどさ。
その話はボクよりも、デュエルを仕掛けて来た白神君に言うべきことなんじゃないのかな?」
可能であれ不可能であれ、デュエルを仲裁する気のない渚の態度を確認した梨沙は、白神の元へ再び駆け寄る。
「翔君!落ち着いて!
そんなに怒って翔君らしくないよ!ちゃんとしっかり話さないと!」
懸命に白神を落ち着かせようと声をかけ続ける梨沙。
しかし、火に油を注いでしまったのか、彼から返ってくるのはキッと梨沙を睨みつける視線と、怒りの籠った言葉だけだった。
「しっかり話すってなんだよ!?梨沙さんはそうじゃないだろうけど、僕はもう外に出られるんだ。
なんであんな嘘つきの話にこれ以上付き合う必要があるのか教えてくれよ。
あんなのと話するだけ意味がない。あいつを倒して、僕は外に出る……」
静かに怒りを見せる彼の姿を見たことがあれど、ここまで感情を表に出す白神の姿を梨沙は初めて見た。
それほどまでに、渚の話した真実が彼の心を揺さぶってしまったのだ。
「私だって……信じられないよ……。
でも、だからってこんなデュエルをしていいの!?」
「うるさい!!!
僕が何のためにここに来たか知ってるのか!?
幸せになる為だ!貧しさから抜け出すためだ!
金さえあれば幸せになれるんだ!
その為に……ずっと耐え続けて来たんだぞ!?
脅して、怖がられて、傷つけて、実際に死んじゃった奴もいたよ!!」
「翔……君…」
感情を爆発させた白神はもう止まらない。
断固として渚の語る事を拒絶し、聞き入れようとしない。
もしそれを認めてしまえば……
「僕は僕なんだ…僕が……幸せになる為に積み上げて来たんだ……。
じゃなきゃ……誰が大好きなデュエルで人なんか傷つけんだよ!?
その全部が意味なかったとか……そんなふざけた事あってたまるか!!?
僕の邪魔するなっ!!!」
白神は梨沙を乱暴に払いのける。
今の彼は、梨沙の話はおろか誰の話も聞き入れる気はないのだろう。
ただ、自らの前に立ちはだかるデュエリストを倒しつくすだけだ。
「デュエル!!」 LP:8000
「………」 LP:8000
---
「はぁ…久能木君が負けるか、殺されるかしたら困るな。
彼、無敗らしいからなぁ…」
ため息と共に、コートのポケットからメモ帳を取り出し、ぱらぱらとめくり始めた渚。
「渚ちゃんは……どうしてそんなに簡単に受け入れられるの……?」
アリスが渚へと聞く。
すると、めくっていたメモ帳をパンと閉じた渚は、冷たい目でアリスを見据える。
「君らからしたら、簡単に見えるみたいだね……。
ボクだって、白神君と気持ちは一緒だよ。
命がけでクラスⅢになって、外に出る希望が出てきたと思ったら、もう人間ですらないんだとさ……。
ボクらは外に出る事がそもそも叶わない。
所詮は、人間の記憶と人格をコピーしたデータに過ぎないんだからね……」
冷たい目でのみ訴えかける渚の言葉の節々から、知ってしまった真実への失意の感情が滲み出ている。
「はは、冗談もほどほどにしてくれって感じだよ……。
でもさ、これが真実なんだ。どれだけ受け入れ難い事でも、受け入れないと前には進めない。
だから、ボクはここで生きることを決めた。
この世界に平穏を。ボクらが夢見た平穏ある日常をここでも実現して見せるさ」
そう言い切る渚。
彼女が絶望の中から見出した希望こそが、危険な被験者を殺すという計画だったのだ。
「そう…よね……。
無神経な発言だったわ……ごめんなさい。
渚ちゃんだって考え抜いたわよね……」
そう謝罪を口にしたアリス。
そんな彼女に渚が問いを投げた。
「アリス君の方こそ、今の話にそれほど絶望しているようには見えないけど?」
「…そんな、こと……」
「ああやって争いを止めようとしている梨沙君だって、白神君が叫びだすまではそれはもうひどい顔をしていたよ。
でも、アリス君からはそういった負の感情を感じない……。
驚きはあるだろうが、貫名君の話をしていた時の方がよっぽど不快そうにしてた様にさえ思える」
「そ…れは……」
渚が語る第三者視点でのアリスの態度や仕草に、アリスは呆然となった。
「ボクとしてはそちらの方がありがたいよ。
外に未練がなくとも、君だって平和に生きていたいだろう?」
「そりゃ…平和な方がいいわよ…。
でも………」
アリスの中で感情が渦巻く。
そもそも、自分は何故外に出ようと梨沙と一緒に行動をしていたのだろうか。
いいや、違う。自分はそもそも外に出ようとしていたのではない。
梨沙が外に出たいと言っていたから、自分を救ってくれた彼女が外に出られることを幸せそうに語るから。
自分が出来ることなど、彼女の願いを叶える手伝いをすること以外に存在しない。
「梨沙君も協力してくれればきっとここはより良い場所になる。
殺しあうような殺伐とした場所ではなく、安らかな平穏が生まれるんだ」
「梨沙ちゃん…と………」
元から外の世界に自分の居場所なんて存在していない。
でも、ここには自分を助けてくれる人が居る。
自分を友達と呼んでくれる人が居る。
「ふふ…どうやら君はボクの考えに賛同してくれそうだね」
渚の目に映るのは、口元が緩みどこか穏やかな表情を晒すアリスの姿だ。
「え……?」
「賛同してくれていなければ、そんな顔にはならないだろう?
さ、ボクらと………」
そんな顔……?
渚がまだ何かを喋っていたが、もうそれはアリスの耳には届いていない。
アリスは自分の顔を手で触りだす。
柔らかな感触しか感じられない肌からは、顔の筋肉が弛緩していた事が容易に把握できた。
「梨沙ちゃんが…外に出られない事を悲しんでいるのに……。
なに、これ………?」
アリスの内側より、別の感情が這い上がって来た。
それはアリス自身が無意識下で望んでいた事。
だが、決してアリスが受け入れたくない身勝手な欲望。
「(梨沙ちゃんが外に出るのを応援する……。
あの子の願いが叶うように手伝うのが……私が存在している意味……。
それ…なのに……)」
認めたくない醜さ。
行き場のない暗闇から自分を救い上げてくれた恩人であり友人の梨沙。
そんな彼女の願いが潰えたこの瞬間に、自分が至った感情は…………。
「駄目よ……ダメ…ダメ……。
ダメダメダメダメダメ」
「ん……?」
俯き、ぶつぶつと言葉を発し始めたアリスが、不意に右腕へ何かの機械を取り付けた。
その瞬間に、渚のデュエルディスクが突如震える。
「……っ!?
くそっ!!」
咄嗟に、デュエルディスクを隣で虚ろな目をした近久のデュエルディスクの方に目掛けて振るった渚。
すると、アリスと近久のデュエルディスクの2つが起動を始めた。
ザザッピー
「ただいまよりレッドフロアにてデュエルを開始します。
ルール:マスタールール
LP:8000
モード:ベーシック
リアルソリッドビジョン起動…。」
「なんのつもりだいアリス君……!」
突拍子もなくデュエルを仕掛けてきたアリスを睨みつけた渚。
下げていた顔を上げたアリスは、もう先ほどまでの彼女とは別人であった。
「おまえかぁぁあああああああああああ!!!??」
「な…!?」
突如、金切り声の絶叫が響く。
白神の近くに居た梨沙もその声に反応を示す。
「な…アリスさん……!?」
すぐさまアリスの元へと駆けつけようと近寄ってくる梨沙。
しかし、そんな彼女など眼中にないもう一人のアリスは渚へ指を差し非難の声を浴びせる。
「なんだこの感情は!?ふざけんな、クソ!?
お前のせいだ。全部お前がこいつと話したからだ。
ダメだ。やっぱ殺そう。そうしないといけないよなぁあああ!!!?」
豹変した彼女を認識した渚は、それが先ほどの人間とは別人であると悟る。
「仲良くは出来なさそうだね……《背反の魔女》」
「相性ってもんがある!!?
こんなにも心が揺さぶられたのは久々だ!こいつに何言ったか知らねぇがふざけやがって……。
結局危険な奴は殺すしかない。あぁ、殺そう。そうすれば、また平穏な時間が取り戻せるはずだからなぁあああ!!!?」
狂乱したアリスのその言葉を、鼻で笑った渚は近久の肩に手を置いた。
「危険な奴は殺すしかない……ね。
向かう先が同じでも、排除される対象として考えられちゃお手上げだ……。
君も排除させてもらおう。
近久君、可能な限り頑張ってくれるかな」
「殺せばいいんでしょ…そうしないと今度は私が排除されるんだろうし……」
虚ろな目の近久が、デュエルディスクを構えながら渚の前へと出る。
「君が殺す気でデュエルに臨んでさえくれれば、そんなつもりはないさ。
相手はさっきの奴以上のクラスⅢだ。十分に注意してくれ」
アリスの傍にやって来た梨沙は、アリスもデュエルを始めだしたのを止めようとする。
「アリスさん!?
な、なんでアリスさんまでデュエル始めてるんですか!?」
「こいつの感情が揺らされた。あの眼帯と喋ってたら突然にだ!!!
あたしはこいつを守るために存在してる、その為に危険な奴は消さないといけねぇんだよ!
邪魔するんじゃねぇ!?」
今喋っているアリスが、もう一人の彼女である事に気づいた梨沙は、入れ替わる原因となったであろう渚を問いただす。
「そ…そんな……。
渚さん!!アリスさんに何を言ったんですか…!?」
梨沙の言葉を受け、近久の向こう側で渚はため息と共に回答した。
「外への未練を捨てて、ここで平和に生きようと…ボクの計画について話していただけさ……。
彼女にとって、それの何が地雷だったのかは分からないけどね」
梨沙は切り替わってしまったもう一人のアリスの腕へ手をかけて揺する。
「アリスさん何があったんですか……。
でも、アリスさんはデュエルで相手を傷つけたいなんて思ってないはずです!まだ間に合います!
お願い、デュエルしないでください!」
揺れていたその腕が、突如梨沙の首元につかみかかってくる。
「うぁ……」
「あたしの言ったことが聞こえなかったってのか!?
こいつがどれだけお前の事を好いてようがな、あたしの一番はこいつだ。
こいつを苦しめる奴は殺さないといけねんだよ。
それを邪魔するんなら、お前も殺す羽目になる。
あたしにそんな事させるな!!!」
掴みかかった腕を無造作に離し、梨沙が床に倒れる。
目の前へと立ちふさがる浴衣を着た近久に向けて、アリスが右腕のデュエルディスクを構え直す。
「あたしが殺すのは、そこの眼帯だ。
だが、邪魔するならお前も殺さざるを得ねぇ!!!」
「……ウチに逃げ場なんかないからね。
あなたが死ぬか、ウチが死ぬか。
それだけだよ……」
「デュエル!」 LP:8000
「デュエル…」 LP:8000
---
「なんで…なんでですか……。
なんで、争う事になっちゃうんですか……」
もう一人のアリスからも突き飛ばされ、倒れた梨沙は座り込み泣き言を零す。
大切な人達が、苦しんでいる…。そして、その苦しみのままにデュエルで争い始めてしまった。
無力感に打ちのめされた梨沙は奥歯を噛みしめ、目元には涙が浮かぶ。
「お姉ちゃん…大丈夫だよ…」
「穂香…ちゃん……」
いつの間にか傍に居た穂香が、手を梨沙の手へと重ねる。
小さな手がゆっくりと、優しく握り込んでくる。
その手からは温かさと共に、穂香が小さく体を震わせている事に梨沙は気づいた。
「……!
ありがとう…穂香ちゃん。
穂香ちゃんも怖いよね…。安心して、私が守るから……」
流れ落ちる寸前の涙を拭った梨沙が、穂香の手を優しく握り返す。
「お兄ちゃんも…お祈りのお姉ちゃんも怒ってる……。
鳥のお姉ちゃんが言ったことに怒ってるんだよね……?」
「うん……でも、渚さんが嘘を言っていないなら、渚さんが悪い訳でもない……。
みんな、どうしたらいいのか分からないんだと思うの」
自分達は、肉体を持たないコピーされたデータである。こんな事を知ってまともな思考を維持できる人がどれほどいるだろうか。
自分では受け入れ、立て直ったと思い込んでも、相当なショックを受けているはずだ。
今、自分自身で知覚している自分というものは、外の世界に居た時と何ら変わりない。
何も違いないなどない自分という存在が、突然偽物であると突きつけられる……。
自分自身の存在の否定、突き詰めれば人間はおろか生物である事すらも否定されている事になってくる。
それほどまでに、渚の語った真実は重たかった。
この実験で疲弊しきった心では、到底受け止めきることなど叶わない程に……。
「(だからって…何も出来ないなんて……!)」
立ち上がった梨沙は、穂香の頭を優しく撫でた。
そして、自らの呼吸を今一度整える。
「どれだけ辛い事があっても…私は私のやりたい事をやるって決めたんだ……。
外の世界に希望がなくても…私は……!
こんな所で一生過ごすなんて嫌だ!!!」
己の意思を確固たるものにすべく、自らへと言い聞かせる。
無理だとしても、諦めず、抗い、何か1つでもきっかけを掴めれば…そこから何かが切り開ける。
深淵から抜け出したのはその為だ。
みんなで生きて外に出る為だ。
デュエル本来の楽しみを見出す為だ。
大きく息を吸い込んだ梨沙は、自分を救い出してくれた二人へ聞こえる様に声高に叫ぶ。
「アリスさん…!!!
翔君…!!!
今、デュエルしている人が、本当に殺すべき人なのか……よーーーく考えてみてください!!!
私は!こんな絶望なんかに負けるつもり……ありませんからね!!!」
冷静さを失った白神、もう一つの人格が主導権を握ったアリス。
その二人へ、この声、自分の想いが届くことを信じて……。
「お姉ちゃん……」
「穂香ちゃんも一緒に行こ。
渚さんと、話さないと」
梨沙は、優しく穂香と手を繋ぐと、レッドフロアの奥へと歩いていく。
少し進んだ所ですぐに人影が見えてくる。
梨沙達を訝しむ渚と怯える河原だ。
「梨沙君、さっきのは……?」
「私はもう誰にも死んで欲しくなんかありません。
だから、二人にお願いしました。
こんな所で、渚さんと一緒に居た久能木さんや、近久さんを殺したからって何かが解決するはずもありませんから」
「君のその願いを二人がたとえ受け入れたとしよう……。
相手を殺さないようにするがあまり、二人がデュエルに負けて命を落とす…そんなことは考えないのかい?
その願いはあまりにも無責任だよ、君の言葉が二人を殺す事にもなるかもしれないというのに……」
目を細めた渚が、嫌味ったらしく梨沙の願いを否定する。
きょとんとした梨沙は、しばらくすると優し気な表情を取り戻し、渚へ言い放つ。
「大丈夫です!
あの二人はそんな軟なデュエリストじゃありませんから!」
「……!」
「二人ともすごい人なんです。
いろんな事を抱えて…困難を乗り越えて…それでも、この狂気の実験の中で誰かに手を差し伸べることが出来る人です。
私は二人を信じてますし、デュエルの強い二人が負ける事なんて初めから考えてなんかいませんよ!」
誇らしげに二人の事を語る梨沙。
その言葉からは、確固たる希望が感じられた。
渚は、その姿に無意識のうちに1歩後退っていた。
「どういうことなんだい、梨沙君……。
なに?その目?
なんで、そんな目が出来るんだ…ボクらはもう外には出られないんだよ?
仮に何らかの方法で外へ出られたとしても!ボクらは人間扱いされない!
人格さえも消されて、本当のデータに成り果てる!!!
君は…いったい何に希望を見出しているんだ………?」
眉を下げた梨沙は、悔しそうに奥歯を噛みしめる。
しかし、その表情へは次第に活気が戻り始めていた。
「正直……渚さんの言うように希望なんか見えてこないですよね。
きっと、翔君やアリスさんも自分の中にあった軸がさっきの話で折れちゃったんだと思います。
だから、私に出来るのは二人に新しい希望を探し出してあげる事!
それが、私が二人に…いいえ、平穏に暮らす事を願う人の為に出来る事だと思ってるんです!」
不明瞭な希望と共に、構えられた梨沙のデュエルディスク。
起動したデュエルディスクは、残された最後のフロアの住人である渚のデュエルディスクを射止める。
ザザッピー
「ただいまよりレッドフロアにてデュエルを開始します。
ルール:マスタールール
LP:8000
モード:レッドフロアカスタム
リアルソリッドビジョン起動…。」
穂香へとその場から少し遠ざかるように告げる梨沙。
デュエル開始のアナウンスを最後まで聞いた渚が、表情を歪め戸惑いと共に言葉を落とす。
「これが…君の希望だって……?
ボクを殺す事が、君達の新しい希望に繋がるとでも……?」
「殺したりなんかしませんよ。
私はただ…渚さんの考えた計画は嫌だなって思っただけです!」
前向きさを押し出す声色の梨沙。
あれだけの真実を知ってなお、何故これほどに精神を保っていられるのか。
「ボクの計画が気に入らないか……。
ならどうするんだ。外に出た末路は死だ。自 殺するのと何ら変わらない。君は希望を見つけようとしているんじゃない。
ただただ、現実を受け入れられていないだけだ!」
「そうかもしれません。
客観的に見たら、渚さんが考えた方法……。
きっと、生きていく上ではその方が苦しくないと思います」
「だったら……!?協力してくれよ梨沙君!!
君の実力と人を引き付ける才能があれば、より早くこの世界に平和が訪れるはずなんだ!!!」
渚は縋るように訴えかける。
しかし、目尻の下がった梨沙は静かにそれを言葉にした。
「でも、それって自分の命がこの実験をしている人達に握られている状態ですよね?」
口を開き唖然とする渚。だが、間髪入れずに梨沙の言動の無意味さを論う。
「そんな事を……今更言ってどうするんだよ!?
初めっから、命なんか奴らの手の中だ。
例え…抗って、こんな実験を運営してる連中を皆殺しに出来たとしても……ボクらの居場所が外にない事は変わらない……。
だったら、ボクらはこの中で出来ることをするしかないだろう!?
上がその気なれば、データに過ぎないボクらなんか一瞬で消されてしまうんだぞ…!?」
ゆっくりと首を振りながら、梨沙は自分達の存在を訂正する。
「私達は、紛れもなく人間です。
人が誰かに生きることを支配されるなんて、おかしいですよ」
「はっ、存在しない自由を追い求めて死ぬことが人らしさだって……!?
現実と向き合ってくれよ梨沙君……。夢を見たって何にもならない。夢を見る事すらもう許されない。
人として生きたいと願うならばこそ!人である事を認められるここで、幸せな世界を生み出すべきなんだ!!!」
互いの意思をぶつけ合う。
渚の感情を受け取った梨沙が、構えたデュエルディスクを掲げる。
「だから、デュエルするんです。
デュエルで決着をつけましょう!」
「デュエルで決着だって……?」
口元を緩め、哀愁の漂う表情を晒した梨沙が頷く。
「はい。
みんなで脱出する方法をもう少し考えてみて欲しいんです。
そちらの河原さんからもっと話を聞けば、きっと希望に繋がる何かを見つけられると思うんです」
渚の傍らで怯え震える河原の方に向けてそう語る梨沙。
まっすぐに見つめられた河原は、一度目線を反らしたものの、梨沙の意思に向き合いまっすぐ向き直る。
「私が……言えたことではない。言うべき立場にない事も分かっているが……。
君は、本気なのか?本当にさっきの話を聞いても、何か外に出て幸せになれる何かがあると思っているのかい……?」
「それは……いろいろやってみないと分かりません。
ただ、挑戦する事すらせずに諦めてしまうのが、どうしても耐えられないんです。
河原さんが私達の事を考えて行動しようとしてくださったこと。そのお陰で、私達は知り得ないこの実験の真実に辿り着けました。
そんな風にきっと、諦めなければ何かを見出せるはずなんです…!!」
唾を飲み込んだ河原。間違いなく眼前の少女は、希望を持ち言葉を放っている。
この空間内で唯一と言っていい……希望を糧に立っている者だ。
「わ、私は……」
「言ったよね川原さん」
何かを語ろうとする河原を渚が遮る。
左目に宿る冷酷な視線が河原を貫いた。
「余計な正義感だとか、そんなものを出されると迷惑だって。
有り得ない外の世界への希望をより戻させようとするなよ」
「渚さん、まだ何かあるんですか?
外に希望を見出せるそんな何かが」
露骨に口止めを始めた渚に梨沙が咄嗟に問いただす。
渚は深いため息と共に、静かに返事をした。
「神に誓ってもいいよ……。
彼が言おうとしてた事は、ボクらの希望なんかになり得ない。そんなものが幸せになるなんてボクが言わせない。
だが、殺されそうになっても相手を生かそうとしてしまう君なら……これを希望と感じてしまうかもしれない」
「話しては……くれないんですか……?」
目を閉じた渚は眉間にしわを寄せていた。
「そのつもりはない……もしそんな選択をするというなら、君はここで死んでおくべきだとさえ思ってしまう。
貫名君を差し向けたボクが言った所で信じてもらえないだろうが、梨沙君の為でもあるんだ」
「渚さんが私の事を考えた上で話してるのなんか、喋ってたら分かりますよ。
でも、やっぱり私には諦める事が出来ません。
私が勝った時にはその話も追加で教えてもらわないとですね」
「デュエルね……。
だが、ボクを殺す気はないんだろう?」
「もちろんです!」
迷う素振りすら見せず声高に言いのけた梨沙。
その声を受け、右手で自身の右目の眼帯を抑えた渚。
「……本気で言ってるなら君がボクを殺さない以上、君の望みは果たされないよ。
ボクが死なないなら、君が死ぬまでボクはデュエルを続けられるんだから……」
鋭い目つきで渚が梨沙を見遣る。
その言葉は、デュエルディスクを構え始めた渚が告げた最終警告であった。
「いいえ、渚さんは死にません。
でも、私に負けたらもうデュエルは続けられなくなります。
相手を殺さなくても、無力化できる方法を思いつきましたから!」
渚の警告を梨沙は受け入れなかった。
大きなため息をついた渚は、覚悟を決めざるを得なくなる。
「残念だよ、梨沙君……。
君の言葉には力がある。河原さんが絆されたみたいに話せば話すほどにボクや、周りの人間も君の希望とやらに縋ってしまうようになる……。
現実味のない、存在すらしない見せかけの希望にね。
ほんとうに、本当に残念だ……。
はは……ボクにも希望を思い出させてくれた君を、この手で殺さないといけなくなったのが……。
本当に、残念だよ……」
乾いた笑いと共に、渚の左目に殺意が宿る。
その殺意を受け、梨沙も今一度デュエルディスクを構え直した。
「既に手の内を明かしている君が、《情報屋》であるボクに勝てる未来はないよ」
「未来は自分で切り開くんです!
掴んで見せますよ、渚さんも救われるような……そんな未来を!」
「デュエル!」 LP:8000
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いやはや抜群にストーリーが面白い!しっかりとこちらまで考えさられながら、熱い展開!本当に面白くって尊敬です。次回以降も楽しみにしております! (2024-09-09 15:18)