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HOME > 遊戯王SS一覧 > Report#78「死別反応」

Report#78「死別反応」 作:ランペル


 淀んだ暗がりの中で、ぼんやりと差し込む光。目を開いた梨沙が周囲をうかがうと、誰かの気配を感じた。

「アリスさん……」

 梨沙の眼前の少し先、そこに彼女は居た。綺麗な黒髪を靡かせ、悲し気な笑みを浮かべるアリス。すると、彼女は背を向け梨沙の元を去ろうとする。

「ま、待ってください……!」

 どこか遠くへ行ってしまうような気がして、梨沙はアリスを追いかける。必死に足を動かすが、一向にアリスとの距離は縮まない。どんどんどんどんと、アリスが暗がりの奥底へと消えていく。
 このままでは、彼女が自分の前に二度と現れないのではないか?そんな恐怖に駆られた梨沙は、届かないと分かりつつも懸命に右手を彼女の方へと伸ばす。

「……行かないでください!」

 梨沙は、彼女の手を掴んだ。つい先ほどまで、見えなくなりかけていたアリスの手を何故か梨沙は掴み取っていた。彼女が居なくなるのを防ぐことが出来、ほっと胸を撫でおろす。
 顔を上げると、そこに居たアリスの体が崩れていく。

「あ……あ……」

 アリスの体は切断され、ゆっくりと地面へと落ちていく。梨沙が握ったアリスの手もどろどろと溶け、梨沙の手が真っ赤な血に染まる。

「…………」

 とても辛く、こんなにも苦しいのは何故だろう?孤独から救い出してくれた彼女がどこか遠くへ行ってしまった。アリスはどこに行ったのだろう?何故、自分の前から去ったのだろう?自分が何か彼女を追い詰めてしまったのだろうか?
 ふわふわとした体に、まとまらない思考。残されているのは深く根付いた悲しみの感情だけだった。



「……ん」


 億劫さを何とか押しのけ瞼を起こす。入り込むのは、緩やかな赤い光。危険を連想する赤い光だが、それとは対照的に目への刺激は少ない。
 横になっていたらしい自分の上半身をゆっくりと持ち上げる。気だるげな体を持ち上げようとするが、その上に重たい何かが乗せられていた。どうやら自分はベッドの上で寝ていたようで、普段なら何の障害にもならないはずの布団が重くて仕方がない状況。体を起こしきれずに、視界を左右に散らす。目に入ってくるのは、自身の左側で佇む空になった輸血用のパックを吊るした器具。そして、右側には壁の役目を果たしているであろうパーテーションらしき物があるのを確認できた。ぼーっと目に映り込んでくる情報と体の感じる感覚とをゆっくり咀嚼しながら、脳の覚醒を促す。
 何ともまぁ、悪い夢を見たものだ。寝起きの気分は最悪と言っていい。大切な人が居なくなる夢など縁起でもない。重たい体だけでなく、気持ちまで重く沈んでしまう目覚めだ。
 先ほどまでの嫌な記憶が夢であった事を理解していき、段々と思考が鮮明になっていく。そして、明瞭になった思考があんな悪夢を見た原因を教えてくれた。

「アリス……さん……」

 梨沙は起こしかけていた体を再び倒すと、重たい布団を無理やり掴み取り頭まで被る。今、目覚めてしまったこの世界こそが夢であり、もう1度眠ればこの悪い夢も覚めるのではないか?そんな淡い期待に縋り、目をぎゅっと力強く瞑る。
 だが、力を込めれば込める程に自分の脳が活性化していくのが分かった。そして、目覚めたこの世界こそが現実であり、記憶の片隅にある大切な人の死が現実であったと、再認識させられていく。

「う……うぅ……」

 梨沙の目頭が熱くなる。溢れ出る喪失感は、涙となって静かに目元から滲みだす。被った布団が少しずつ濡れていき、目元に張り付く布が濡れていく気持ち悪さ。だが、止まらない涙は自らの頬を流れていき、枕をもゆっくり濡らしていく。
 
 アリスは紛れもなく梨沙にとって恩人であり、友人だった。友人を超えた親友と言っても彼女は許してくれる気がする。どこか不器用ながらも、誰かの事を想える人。笑ってくれたり、怒っていたり、悲しんでいた時もあった。そんな実に感情豊かな彼女は、もういない。
 もっと、たくさん話をしたかった。外に出て平和な世界で美味しいものを食べたり、遊んだりも出来たはずなのだ。アリスと話す事はもちろん、彼女の内に眠るもう1人の彼女がどんな人だったのかを知る事ももう出来ない。
 身近な人の死は、これ程までに自らの感情を抉り取るものなのか。挙句、その死は他者から奪われた死だ。そんな事を許す事など出来ない。こんな他者を踏みにじる殺 人など許せるはずがない。だが、アリスを直接手にかけた近久も、このような環境にさえ連れてこられなければこんな残酷な事をする意味も必要性も皆無のはずなのだ。悔しさ、怒り、悲しさ、絶望……そんな負の感情を近久に向けてどうなる。耐えられないこの感情を向けるべき相手は別に居る。

「ひどいよ……こんなの……」

 梨沙の力のない右手が精一杯握り込まれて行く。
 ぐちゃぐちゃになった自分の感情をどうやって宥めるのかが分からない。眠っていた事でクリアになった頭は、やるべきことを明確に示している。こんな悲劇を二度と繰り返してはならない。こんな悲劇を生み出すこの実験を許してはならない。人を憎まず罪を憎む。そうでなければ、他者と協力して前に進むことなど出来ないから。そして、アリスもこんな狂気の環境でさえ、人を殺さずみんなと協力していく自分を望んでくれているはずだ。アリスが自分にしてくれた施しに報いるには、それしか方法はない。
 だから……この気持ちは抑えないといけない。逃げてはいけない……。

「うぅぅ…………ぐぅ……」

 残された時間も少ない。泣いている場合じゃないのだ。早く起きて、状況を確認して、今後どうするかを考えないといけないのに。

「ぐすっ……うぇぇ……」

 やらなければならない事、それを梨沙は分かっている。
 だが、体が動かない。理性と感情とがぶつかりあった末、梨沙は布団を被ったまま泣くことしか出来ないでいた。今は、泣くことでしかこの感情を抑え込めない。

「あり…す……さぁ……ん……」

 涙で揺れるか細い声で彼女の名を呼ぶ。思い起こす度に、内に溢れる悲しみが濁流となって押し寄せた。

 梨沙は深い悲しみの中、ただただ静かに泣き続けた……。





 〜〜〜〜〜





「なんでなの、鳥のお姉ちゃん……」

 梨沙と近久がデュエルするほんの少し前……。
 梨沙が悲痛の叫びを上げたことで、デュエルが終わるのを待っていた穂香と河原は渚の座る場所まで合流する。到着と共に梨沙がその場に居ないことで、彼女の元へ向かおうとする穂香を渚が静止したのだ。

「危険……というのも間違いではないね。でも1番の理由は、今の梨沙君に穂香君は会わない方がいいと思ったからだよ」

「どうして?お化けのお姉ちゃん……すごく辛そうな声してたよ。なんであんな辛そうにしてるの……?鳥のお姉ちゃんは知らないの?」

 梨沙の元へ向かうのを止められた穂香から、たくさんの疑問が次から次へと溢れ出す。渚は一拍置いて、ゆっくりと諭すように喋り始める。

「アリス君が死んだ」

「……ん?え?」

 渚の口にした事を即座に理解できない穂香を置いて、渚は今の状況を丁寧に説明する。

「今、梨沙君はアリス君を殺された事で自分を見失っているかもしれない。そんな状態の彼女に穂香君を会わせない方がいいと思ったまでだよ」

「……腕に包帯を巻いていた子だったよね。すると、近久さんが彼女を……?」

 痛恨極める河原は、状況を渚へと問うた。

「あぁ。そして、ついさっきボクの不用意な発言を受けて梨沙君を殺しに行ってしまった所さ」

「お、お姉ちゃんを……!?」

 咄嗟に河原の手を振りほどいた穂香。すぐにでも、梨沙の元へ走っていきそうな彼女に向けて渚が怒鳴った。

「だから……!
穂香君はここにいないといけないんだよ。梨沙君がどんな選択を取るとしても、その場に穂香君が行けば迷惑になる」

「……!」

 突然の怒号に穂香も足を止めざるを得なかった。不安そうな表情を見せる彼女に渚は、一息置いて再びゆっくりと諭すように話しかける。

「……君が梨沙君を心配しているのは分かる。でも、君が今、梨沙君の所へ行ってもどうにもならない事は分かってくれるよね。君の寄り添いが梨沙君に必要となるとしたら、全てが終わった後でだよ……」

 渚は端的に穂香の目的と、それが必要なタイミングを示す。突然の事で驚き慌てていた穂香は、その場で固まる。その目元からは、静かに涙が流れ始めていた。

「お祈りのお姉ちゃん……ほのかの事、助けに来てくれたよ……?お化けのお姉ちゃんとは少しだけ喧嘩してた時もあるけど、何回も仲直りしてたんだよ。とっても優しいの……。ほのか、2人とも大好きだよ……」

 ぽつぽつと言葉を零す穂香。肩を震わせる彼女の元へ、河原がそっと近づき腰を下ろすと、ゆっくり肩に手を置く。

「穂香さん……」

 ただただ静かに穂香の傍に居た。彼女へかけるべき言葉を見つけられなかったのもある。ならばせめて、彼女が不安に押しつぶされないよう、穂香は1人にならないのだと……そう伝えるために……。
 
「ほんとに、死んじゃったの……?ぅ……うぅ……どうして……?やだよ……いやだよぉ……お祈りのお姉ちゃん……。お化けのお姉ちゃんにも……いなくなって、ほしくないよ……」

 何も出来ない事が悔しくとも、渚の言ったように穂香が今出来ることはないと自覚している。アリスの死という受け入れ難い話に加え、梨沙の命も脅かされているという状況に穂香はただただ涙するしか無かった。
 幼い少女の涙は、その場の大人2人の心を大きく揺らす。その2人ともがこの環境で、穂香に掛ける言葉を見つけることは出来なかった……。




 〜〜〜〜〜





 レッドフロアの片隅に用意されたパーテーション。その奥に置かれたベッドで眠っていた梨沙の様子を見に来た穂香が顔を覗かせると、梨沙がベッドの上で体を起こしていた。

「……お姉ちゃん?」

 心配そうな声をしながらも、表情に明るさを見せた穂香の声掛けに、梨沙は小さく微笑んで出迎えた。

「おはよう、穂香ちゃん」

「お姉ちゃん……!目が覚めたんだ!よかった……よかったよぉ……」

 穂香は声を少し震わせながらも、嬉しそうに梨沙の元まで駆け寄ってくる。

「ごめんね、心配させちゃったよね?」

「ううん、目が覚めてよかったよ。調子悪くない?」

「うん、寝たからかな?少しすっきりしたかも」

 静かにそう言いながら、梨沙は再び柔らかにほほ笑んだ。その微笑みを不安そうに穂香が見上げる。

「無理しちゃ、ダメだよ……?」

「うん……完全復活はさすがに出来てないけど、大丈夫だよ。それより、他のみんなは?」

「待ってて、今呼んでくるから……」

 穂香はそう言い残すと、パーテーションで仕切られた向こう側へと走って行った。それを見送った梨沙が、大きく深呼吸をする。

「……だいじょうぶ。
アリスさん、私頑張るからね……」

 目を閉じ、思いを言葉にした梨沙が自らを奮い立たせる。


 しばらくすると、パーテーションの向こうから穂香を含めた数人が姿を現した。

「気分はどう、梨沙さん」

「翔君、大丈夫ですよ。……左手にテープが貼られてるんですけど、この空っぽの血液パックと関係あります?」

 自分の左腕に貼られたテープと、空になった輸血用のパックから、何が行われたかの想像は容易にできた。しかし、自分が何故意識を失ったのかをあまり覚えていなかった事で、改めて事実を確認していく。

「まぁ、見ての通りだよ。梨沙さんの体は傷だらけで出血多量。死にかけてた梨沙さんを助ける為に輸血した感じだね」

「傷そのものは、久能木君の《盤外発動》の影響で治療してある。ただ、体内の血まで増やしてはくれなかったから、こうして輸血してる状態だよ」

 そう言いながら渚が、輸血パックを吊るしてある器具を押しやりながらベットの左側へとやって来る。

「丁寧な指南書こそ付属していたものの、ボクらみんな医療の知識なんかないから不安でね……。でも、梨沙君が生きてるって事は、うまくいったようだ」

「そうだったんですね……。皆さん、ありがとうございます」

 そう言って周囲の人間の顔を見回す梨沙。近くには穂香と白神、左手の輸血パックの元に渚。そして、少し離れた所に久能木、近久、河原の3人が佇んでいた。
 分かっていた事だが、彼女はこの場に揃っていない。

「渚さん……アリス、さんは……?」

「………」

 梨沙の問いへその場に居たすべての人間が押し黙った。だが、問われた渚はゆっくりと口を開き、答える。

「彼女があんな姿でこの場に残されても、ボクらでは弔う事も出来やしないからね……。ボクの判断で、実験側に処理してもらった。君からの批難は甘んじで受け入れるつもりだよ……」

 口惜しそうにそう答えを示した渚。
 梨沙は、寂しそうに眉を下げると俯く。

「そうですか……」

 彼女の言葉の後、しばらくの沈黙が訪れた。アリスを失った悲しみを抱える梨沙を前にして重苦しい空気が流れ、そんな彼女達の顔を穂香が不安そうに見回す。

「…………梨沙……えっと……」

 近久が沈黙に耐えられなくなったのか、申し訳なさそうな表情を浮かべ声をあげる。
 顔を上げた梨沙はそんな彼女にも、小さく微笑み返す。

「近久さん……もう大丈夫です。あなたにはあの時に十分謝ってもらいましたから。
それに、あなたなりにアリスさんを弔おうとしてくれたのも分かってるつもりです」

「そんな……ウチは……」

 いたたまれなくなり言葉を詰まらせる近久。だが、罪を重ねた自分に手を差し伸べてくれた梨沙に、そしてアリスを殺した自分が出来ることなど限られている。

「差し出がましいのは分かってる……ウチがこんなことを言える立場にない事も……。
でも、梨沙に協力させて。ウチの命が続く限り、出来る限りの事をあなた達へ捧げるから……!」

 近久は力強くそう言い切った。その真剣な眼差しを受けた梨沙は少し驚きを見せながらも、頷く。

「ありがとうございます。
アリスさんの為にも、頑張って協力しましょう」

「分かった……!」

 この2人のやり取りを見て、不安な表情が薄れていく穂香。それに反して、白神が不快そうな表情を浮かべているのに梨沙は気づく。

「翔君、気に入りませんか?」

 梨沙に声をかけられてなお、重苦しい表情を崩さない白神。

「……僕は赤の他人だ。だから、梨沙さんがどんな考えでそんな結論に至ったのかは分からないし、それを非難するつもりもないよ。僕個人がその結論を理解できなくても、協力する必要性は認めてる。
……個人的な不快さが、顔に出てただろうから謝るよ」

 白神の至った結論が、近久との和解を理解は出来ずとも必要性はあると認めた故の対応だった。露骨に嫌悪の感情が滲んでしまった事を謝った白神は、近久の方から目を背ける。

「翔がウチを嫌うのも当然だから、梨沙も気にしないで。ウチは自分がしてしまった罪からもう逃げない。少しでも役に立って見せるから……」

 まっすぐに梨沙と白神を見据える近久は、今一度自らと梨沙達への覚悟を口にした。
 
「……近久君があの行動に至ったのも突き詰めればボクに責任がある。追及は全て後でボクが請け負う。
梨沙君の体調さえ良ければ、今後をどうするかの話をしたいと思うんだけど、どうだろうか?」

 不和の矛先を自身に集めた渚は、今後の方針についての話し合いの為に梨沙へと調子を伺う。

「私は大丈夫です。脱出の可能性を含めていろいろ皆さんと話しておきたいですから」

「よし、では改めて今後の事について話し合おうと思うよ」

 梨沙が話し合いの続行を望んだ事で、渚はその場の全員を見回し話し合いを始める。脱出の可能性に考えが及んだ事で、残された時間がどれほどか気になった梨沙は、自分がどのくらい眠っていたのかを渚達へ尋ねた。

「ところで、私が意識を失ってからどれぐらい時間が経ちましたか?」

「2回目の就寝時間に入った所だよ」

 梨沙の問いかけにいち早く白神が答える。しかし、梨沙はその答えを聞き返さずには居られなかった。

「え……2回目?」

「梨沙さんはほぼ丸1日寝ていたんだ。河原さんの言っていたパスワードの更新期限まで残り3日って事になる」

 ただでさえ明確な手掛かりの存在しない脱出するポイント探し。その日数が自分の寝ている間に丸1日減ってしまっている事実は、梨沙を焦らせるには十分すぎた。
 そんな焦燥に駆られるまま、ベッドから降りようと足を降ろし始める。

「そんな……急がないと……」

「落ち着きな梨沙君。就寝時間に入った所と言っただろう?今はフロアの扉もロックされていて、そもそも外に出られない」

「それに、何も方針が決まっていないのにどこへ行くつもり?」

 渚と白神に静止され、梨沙もベッドから降ろした足の力を抜く。

「すみません、焦ってしまって……。夜の内に、方針を決めておくって事ですね……」

「そういう事だね。
先に弁明しておくと、梨沙君が眠っている間にも何か行動しようかとも考えはしたんだ。だが、白神君とも話し、発起人の君が眠っているのに行動も何もないなと考え、昨日はみんなの休養とそれぞれの時間に充てさせてもらったよ。各々、いろいろ考えをまとめる必要があるとも思ったし……」

 梨沙が眠っていた1日の間で物事に進展はない。しかし、混乱を極めていたはずの全員が、ある程度の落ち着きを見せていた事は、前へ進む為にも重要な事だったかもしれない。

「そうですね……。いろいろありましたから、落ち着く時間は必要だったと思います。私も一度寝たから、少しですけど落ち着けたと思いますし……」

 前向きな言葉を発する梨沙だが、その言葉の裏から、アリスを失った悲しみと眠っていた事による焦りは拭えていなかった。
 それを察したのか、渚は明るい声を出して彼女を励ます。

「その考え方は大事だよ梨沙君。君が死ぬ事もなく、タイムリミットを迎える前に目が覚めたのも運が良かったって事。
他のみんなだって、脱出の話よりも君が目覚めるかどうかを気にしていたみたいだし」

 渚の言葉を受け、周囲を見渡す梨沙。穂香はこくこくと頷き、近久もまた静かに頷く。

「心配させてしまいましたね……皆さんのお陰で私はこの通り生きてます!改めてお礼を言わせて下さい」

 そう言って、皆に頭を下げる梨沙。そんな彼女の感謝の意をその場に居た全員が、静かに受け取る。そんな中、話し合いを進めるべく白神が口を開いた。

「……主役が無事目を覚ました事だし、河原さんの話を聞いてどうしていくのか判断してもらおう」

 梨沙の疑問が解消された事で、白神はチラリと梨沙を見遣ると視線を河原の方へ逸らした。それに釣られるように梨沙の視線も河原の元へと向かう。

「河原さんの話…………そうだ!何か私に話そうとしてくれていましたよね!いったい何を……」

「お姉ちゃん落ち着いて。おじいちゃんがね、全部話してくれるって言ってたから」

 気の早る梨沙の手に穂香が触れる。穂香の穏やかな顔を見てから、河原の方を今一度向くと彼は頷く。

「穂香さんにも頼まれたんです。……私がここに来たのは、ここに居る人たちを救う事にありました。私の力不足のせいでこんな結果にはなってしまっていますが、私は君達に伝えるべきことをすべて伝える必要がある」

「すべて……」

 河原が話そうとする事。この実験がどんなものかを知り、データと化した自分達を助けようとした彼が、渚に口止めされたであろう内容。緊張する空気に梨沙は唾を飲み込み身構えた。

「私の話す事は、渚さんの言っていたようにこの状況を打開する希望に直接繋がるものでは決してないでしょう……。ですが、梨沙さんがそれでも希望を探したいと願うならば、私はこれらを伝えるべきだと思っています。
その気があるのなら……覚悟して聞いて欲しい」

 希望に繋がるか分からない代物。彼が話そうとする内容を、渚は希望ではないと切り捨てた。だけど、こんな後先のない世界から抜け出す可能性が1%でも存在するのなら……迷うことなどない。

「お願いします……。河原さんの知っている事を、すべて教えてください」

 梨沙の言葉を受けた河原はゆっくりと頷き、呼吸を整え話し始める。

「分かりました……。
ではまず、渚さんが話してくれたこの世界がどんな所だったかを皆さん覚えていますか?」

「……電脳世界って言ってたよね。ウチらは元の自分から記憶だけコピーされて、データになってこの実験に参加させられた」

「ここから出ようとしたって、帰るべき肉体がない以上どうしようもない。実験の用意したエスケープと言う手段も、人格を消されてAIにさせられるってふざけた話だったはずだ」

 近久と白神それぞれが反応を示し、梨沙達の置かれた状況を振り返る。

「そうです。この実験は独自のネットワーク上に作り出された電脳世界で行われている状況。そして、皆さんは記憶をコピーされたデータ上の存在、言わば肉体のないクローンとも言えるでしょう。白神さんの仰ったように、帰るべき肉体が現実世界に存在しない為、このままでは皆さんが外に出る事は不可能です」

「このままだと外に出られないけど、ほのか達の入れる体があったら出られるの?」

 穂香が河原の話を嚙み砕き簡潔に答える。それを解説するように河原は話を続けていく。

「端的に言えばそうなります。元の肉体から切り離された記憶だけの存在ならば、その記憶を入れ込む器を別に用意すれば外の世界に出ること自体は可能になります」

 白神は顔をしかめながら、その状況の実現性のなさを追求していく。

「器を用意すればって言うけど、誰か別の人の体に僕らの記憶を注入でもするのか?そんな事したら、それこそ頭がおかしくなる気しかしないけど……」

「記憶を保持している人……つまりは脳が生きている人を器にすることは出来ません。どのような原理なのかは私にも分かりませんが、1つの脳に2人分の記憶を入れ込む実験は失敗に終わったようです。例え、コピーされた記憶とその持ち主の体であってもです」

「脳が生きている人が無理なら、脳の死んでいる人じゃないとダメって事ですか?でも、そんな事しても……」

 河原の話から逆説的に器になり得る条件を挙げた梨沙。しかし、梨沙自身もその方法で解決するとは思えなかった。

「お察しの通り、死んでいる人を器にする事も不可能です。正確には、可能ではあるのですが肉体が死んでいる以上、記憶を器に入れ込んでも結局死んでしまうだけという結果が出た様でした。脳死の場合も同様です」

「でも、こんな話をするって事は……ウチらが外に出る為の器が何かしらはあるんでしょう?」

 河原は近久の問いに頷き、この世界から外へ出る術を話し始める。

「はい。人間がダメでも、AI用のロボットにならばそれが可能となります」

「ろぼ……!?ロボットですか……?」

 梨沙は目を丸くしながら、その言葉の続きを求める。

「脳波を感知し、自身の他の部位へ信号を伝える機能を備えたAI用の人型ロボットが既に開発段階にあります。様々な分野へ応用できる機器である事もあり、少なくとも数体の試験機の完成を確認しています。そのロボットならば器としての条件を満たせている。
つまり、記憶をロボットの体へと移植する事。それが、この世界から外の世界へと出る唯一の可能性です」

 河原の告げた外の世界へと出る唯一の選択。それは、あくまでロボットとして肉体を獲得するという手段であり、その選択を取ったとしても、かつての人間としての生活を取り戻す事はまず間違いなく出来ないだろう。今までの平穏を取り戻すという意味では、全く持って希望になり得ない選択。
 その事実が、梨沙達の心へと大きく圧し掛かる。

「でも……ここからは出られるって事ですよね……」

 梨沙が何とか捻り出した希望を口にした。この殺し合いの舞台から逃げ出せる事は出来ると、懸命に絞り出した声。

「そうだ。人間を辞めさえすれば……ここからは出られる……」

 絞り出した梨沙の声に続くのは渚だ。憂いを帯びた彼女の声が、さらに梨沙達の心へ影を落とす。

「つまり、やる事自体はエスケープと同じなんだね。本来消すはずの人格と記憶をそのままにして、AIロボットにって訳だ……」

「仰るように方法そのものは、ここで提示されているエスケープと同様です。本来エスケープに組み込まれている記憶抹消のプロセスを、パスワードを用いる事で回避するという訳です」

 白神が怒りで我を忘れたエスケープの真実。記憶を消され、AIの核として流用されるというエスケープと、河原が語る脱出方法も本質的には何ら変わりがないのだ。

「はは……記憶が消えて従順な機械になったAIならともかく……記憶を持った人間が外に出るなんてことを想定していない外の連中は、もし僕らがロボットになって出られたとしてもそれを歓迎なんかはしてくれない……」

「ロボットになって……周りには敵ばっかり……」

「………」

 苦渋の末に人間を捨てる事を選んだとしても、外の世界でそれを受け入れてくれる人間はいない。少なくとも、外の世界でロボットとして目を覚ました時に、自分の目の前に立ち塞がるのは味方などでは決してないだろう。

「それでも……そこを何とか切り抜けて……」

 負の面にばかり目を向けても、状況は好転しない。梨沙は何とか希望を繋げるべく、糸の様にか細い可能性へと言及していく。縋るような視線を河原へと送るも、河原がそれを真っ向から打ち壊しにかかる。

「私は、もし梨沙さん達がその選択を取るなら、私の出来得る限りの支援をするつもりです……。
ですが、それと同時にその過酷さも嘘偽りなく伝えなければならない……あなたを知らずに苦しめてしまう事だけは避けないといけないのです。
ロボットの体を器とし記憶を入れ込むという事は……すなわち自らの体が機械になるという事なんです」

 同じ言葉を繰り返しただけのような河原の語りに、理解が追い付かない梨沙と穂香、そして近久が首を傾げる。それに対し、渚と白神に久能木は表情を強張らせていく。

「皮膚は金属となり、五感も今皆さんが感じているものとは全く異なるものへと変質するはずです。AI用のロボットがどれほど人間に寄せて作られているかまでは分かりませんが、少なくとも味覚や痛覚といった物は失われる可能性が高いでしょう……」

 空気が一気に締め付けられていくのを、その場に居た全員が感じ取る。

「味覚って……何を食べても味を感じられなくなるって事……?」

「ロボットには食事がそもそも不要だ。であるなら、味を見分ける機能をわざわざ搭載させる必要性は確かにないだろうね……」

「痛がるロボットも……よっぽどのマニアぐらいにしか需要はなさそうだし……」

 渚と白神が、ロボットの体による人間らしさの喪失を補足していく。

「その他にも人体とは異なる事による影響が確実に出てくるでしょう……。それによって、本人は意識せずとも確実に離人感や解離……自分が自分でなくなるような感覚に陥る事は容易に想像できます」

 河原の語る外の世界へ出られる手段。確かに、外へと出られるがそれと引き換えに自らの人間性を捨て去る覚悟が必要になる。
 梨沙は呼吸するのも忘れ、ただただ呆然と虚空を見つめていた。

「お姉ちゃん……」

「私も本音を言えば……渚さんの提案した計画は蛮族的ながらも、ここに居る人の事を考えれば最良の結果とも思っています……。しかし、君が自らを犠牲にしてでも戦おうと言うのなら、力になりたいとも考えているのです……」

 河原は、沈痛な面持ちで梨沙へとその覚悟の在り処を聞く。

「犠牲…………」

 河原の言葉は、梨沙が外に出る事で幸せを取り戻せる可能性に言及したものではない。外に出ても待っているのは過酷な現実だけ……。このあやふやな仮想の空間を出てしまえば、己の人間性さえも失うかもしれない……。梨沙が外に出る決断をする時は、文字通り犠牲としか言いようがない。
 自らを犠牲にしてまで、梨沙が外の世界に出る意味はあるのか……?

「私は…………」

 長い沈黙を打ち破り梨沙が言葉を濁す。赤い光によって陰る表情。
 だが、次の瞬間には、生を表情に備えた少女が声を上げた。

「戦ってみせます……!」

 梨沙の宣言に全員の気が引き締まる。その中で、白神がその覚悟の程を問うた。

「戦う……本気なのか?」

「こんな人の命やデュエルの何もかもを侮辱する実験を許せません。もう、私が助かりたいだけの問題じゃないんです。
実験側に居た河原さんが渚さん達と行動を共に出来た事。そして、こうやってたくさんの人で協力を前提に話し合いが出来ている事。いつ殺されるか分からない実験の中で、誰かと力を合わせるなんて……きっとそうそうある事じゃないはずです。
戦える機会は今ここしかない。これ以上……一生後悔する事を増やさない為にも、私はやれることをやり切りたいんです!」

 力強く己の覚悟を説いた梨沙。それを受け取った白神が、小さくため息を漏らした。
 しかし、再び顔を上げた彼の目には確かな意思が宿っている。

「僕的には正直ヤケだ。どっちにしろ外へ出て幸せになれないってんなら、このふざけた実験を運営してる連中に一泡吹かせるのも悪くない」

 白神が戦いに同調した事で、それに何人も続いていく。

「ウチは、梨沙の考えに従うよ。もちろん、盲目的にじゃない。ウチや、ウチの殺してしまった人達にとってもこの場所は害でしかなかった。ウチはウチの意思で、梨沙に協力するつもり!」

「ほのかも手伝うよ。出来ることは多くないかもしれないけど……それでも頑張ってみる!」

「翔君、近久さん、穂香ちゃんも……」

 続々と梨沙と意思を共にしようとする中、渚が左手を首の後ろへと回し唸る。

「戦うねぇ……。これだけ満身創痍、外に出ても希望がないって現実を突きつけられて、よく行動しようと思えるね。
過程を重要視して、結果をおざなりしているんじゃないか?もし外へ出る事が叶って、梨沙君の意思をロボットに移し込めたとして……その選択を悔いる事にはならないのか?
お人好しで、力強くみんなを引き寄せ、それでいて何かを成し遂げようとする今の君そのものが、失われるかもしれないんだよ?それに、外に出た後は?この実験から脱出しても、外の世界ではロボット化した君を拘束しようと実験側が動くだろう。当然、捕まれば結局実験材料にされ、ここに居た時と何ら変わりない。最悪、今よりも自由を奪われる事だって考えられる。
うまく逃げおおせたとしても、まともな社会生活はもう送れない。それに、実験側から追われ続ける事になるだろう。
梨沙君の戦うという言葉……。それは、外に出た後の何もかもを覚悟しての言葉なのかを……今一度聞いておきたい……」

 外の世界へと出る唯一の選択。それを希望などと認めず断固として切り捨てていた渚は、脱出を果たした先の結果へと焦点を当て、改めて梨沙の覚悟を問う。
 渚の目を真っすぐに見据え、最後まで聞き終えた梨沙。真剣な渚の表情を受けた梨沙が、小さく緩めた口元から一言だけ発した。

「もう、何も出来なかった事を悔いたくないんです」

「……覚悟している……って事でいいのかな?」

「はい……!そもそも、前を向いて考える時に失敗したら何て考えてません!
どれだけ細くても……掴み取るんです!外へ出てすぐには無理でも、必ず渚さんや皆さんが幸せになれる未来を見つけだすんです!!」

 梨沙の活気に満ちた声と柔らかな笑みに、渚は目を大きく見開き驚く。そして、その笑みへ釣られるように渚も小さく笑った。

「はは……そっか。
未来を掴み取るか……デュエルする前にも口にしていたね」

「分の悪い賭けだって事は分かってます……。具体的に勝算がある訳でもありません。でも、渚さん達が河原さんを守った事で私達は真実を知れました。可能性が0じゃなくなったんです!1%でも可能性があるなら、私は挑戦してみたい。それに、外に出るなんて苦行を皆さんに強いるつもりもありません。もし、脱出が出来るようになったら私だけでも外に出て戦う覚悟です。
渚さんに協力していただけたら、成功する可能性は上がって行きます。皆の未来の為に……力を貸してください……!」

 ベッドからそっと降り、立ち上がった梨沙が左手を渚の方へと差し出す。決意に満ちた彼女の表情に対して、渚の背筋には汗が伝った。
 こんな絶望に相対して尚、何故こんな表情が出来るのか?渚はそんな彼女に恐ろしさも感じた。だが、この底知れない恐ろしさにこそ……狂気を打ち破れるかもしれない。

「分かっていると思うけど、ボクは無理な理想を追うつもりはない。梨沙君がどれだけ仲間を集めて、外を目指そうとしていてもね。
けどさ……もしこの実験を終わらせるなんて未来を掴めるんだとしたら……。それは、梨沙君しかいないとも思ってるよ」

 まっすぐに梨沙の目を見据えた渚がそう断言すると、左手の人差し指を立てながら、己の立場を明言する。

「期限の3日間、君を含めた脱出計画に協力する事を約束しよう。途中で投げ出すようなことをしない事も誓うよ。
ただし、期限までに脱出が出来なかった場合は、僕の計画していた危険な連中の排除。そいつらの生死はまた練り直すとしても、そこに梨沙君へ協力して貰う。
その条件で良ければ、共にこの実験へ反逆してみようじゃないか」

「渚さん……!」
 
 梨沙の深い頷きを確認した渚は左手で梨沙の握手に応じると、ぎこちなく笑った。

「ありがとうございます!」

「こんな絶望を前にして、君は何を笑ってるんだか」

 目尻を下げ、ほんの少しの憂いを顔へ滲ませた梨沙。しかし、何とか口元だけ持ち上げ、渚へと微笑みかける。

「ふふ、顔だけでも前向きでいないと気持ちなんかすぐ沈んじゃいますからね」

「まぁ、気の持ちようは大事だ。この場においては土壇場で生死に直結してしまう」

「………」

 梨沙と渚の対話をまじまじと見つめていた久能木に梨沙が気づく。この場で唯一、彼の意思を確認できていない。

「久能木さんは、どうですか?もちろん、無理にお願いする訳じゃありません。行動する以上、どうしても危険は伴いますから……」

 梨沙の口元の動きを読み解いた久能木は、視線を梨沙から渚へと移す。

「…………分かってるのか?君にとってメリットなんて何1つないことなんだよ?」

 久能木と目が合った渚は、一瞬の沈黙の後に表情を険しくしながら、久能木へと問いかける。梨沙には理解できなかったが、渚には久能木の意図が伝わっているようだった。
 
「………」

 渚の問いかけに久能木は静かに首を横に振った。それを受けた渚は、視線を足元へ下し乾いた笑い声を上げる。

「ははっ……そうか、分かったよ。君も物好きの仲間入りだ。
久能木君も、脱出する方法を探すのに協力してくれるそうだよ」

 渚を経由して久能木の意思を確認した梨沙は、明るさを何とか持ち直し久能木の方へ顔を向けた。

「ホントですか!久能木さんも、ありがとうございます」

 お礼を口にされた久能木はちらりと梨沙を一瞥するも、小さく頷くとすぐ様そっぽを向いてしまう。そんな彼の一連の行動に怪訝さを感じ取った白神の目が細くなる。

「……分かった。なら、私も脱出の為に微力ながら力を貸したい」

 久能木の承諾を持って、河原含めその場にいた全員が脱出する事に了承した。
 最後に言葉を発した河原に続いて白神が、今後の具体的な方策を尋ねる。

「それで?具体的にどう動くの?
確か、河原さんはパスワードを知っていても、脱出口がどこなのかは知らないんでしょ?」

「役立てず申し訳ないよ……」

 歯がゆそうに項垂れる河原に対し、梨沙が少し考えを巡らせ、今後の方針の1例を挙げる。

「……この世界が電脳世界なら、私のお父さんなら何か手掛かりを見つけられるかもしれません」

「お姉ちゃんの……」

 梨沙の父親の話になった事で、穂香が少し体を震わせた。同時に、その意図を理解しかねる渚がその意味を聞き取る。

「《禁足地》……確か、グリーンフロアのフロア主が梨沙君のお父さんなんだっけか。しかし、何故お父さんなら手掛かりを見つけられると?」

「お父さんはプログラマーなんです。この世界がプログラムの世界なら、直接解決は出来なくても、何かヒントを貰えるんじゃないかなって」

「なるほど、ある意味専門家って事よね……。お父さんにすぐ連絡は出来ないの?デュエルディスクで電話も出来た気がするけど」

「あ、そっか。今聞けばいいんですもんね」
 
 近久の提案を受け、梨沙が自分のデュエルディスクをきょろきょろと探す。
 しかし、渚がその提案が実行できない事を告げる。

「残念だけど、すぐには無理だね。就寝時間の間は、一部の機能が制限される。他のデュエルディスクとの通話機能もその1つだ」

「つまり、連絡は朝になってからか」

「じゃぁ、連絡が出来る様になってからお父さんに連絡してみますね」

 梨沙の提案する父親への連絡。渚がその他の案を挙げていく。
 
「それ以外の方針の案としては、各フロアの探索だろうか。総数6しかない空間だ、何かあってもおかしくないだろうからね。
ちなみに、昨日改めてこのフロアに異変がないか探したが、残念ながら異変は見つからなかったよ」

「各フロアですか、確かに何かある可能性はありますね……」

 梨沙はそう言いながら周囲の人間の顔を見回す。

「えっと、私と翔君、渚さんでブラック、ホワイト、レッドには問題なく行けますよね。後は、お父さんのグリーンフロアと、アリス、さんのブルーフロア、も……」

 何気なく言葉にした彼女の名前。その瞬間は意識の外にあったはずの悲しみが梨沙の内より滲み出す。冷静に考えを巡らせる為にも今はこの悲しみと向き合っている時ではない。
 咳払いをし、自分の気持ちを一度リセットした梨沙。その様子を周りの人が気にしながらも、話し合いは続く。

「梨沙さん大丈夫?」

「翔君、大丈夫です。辛いですけど……戦うって決めましたから。
ブルーフロアって今どういう状態なんでしょう?アリスさんが……いないですけど」

 何とか気持ちを抑えながらも、疑問を口にした梨沙。それについて渚が経験を元に答える。

「何らかの方法でフロア主が死亡した場合は、そのフロアは空きフロアになる。しかし、クラスアップデュエルによる死亡や、デュエルによって死亡した場合はその対戦相手が繰り上げてフロア主になる事が多いね」

 横目で近久を見やる渚。そして、答え合わせをするように白神が近久の方を向く。

「つまり……今のブルーフロアのフロア主は近久さんって事か?」

 白神より近久の名が挙げられたことで、他の人の視線も彼女へと集中する。罪悪感を滲ませながらも、近久は力強く応えていく。

「ウチに出来る事があるなら全力でやるつもりだよ。何をしたらいい?ウチはもうそのフロアの人になれてるの?」

「いや、クラスアップするにはそのフロアに赴く必要がある。つまり、近久君がフロア主になれるかは、実際にブルーフロアに行ってみるしかない」

 フロア主となる為に必要なクラスアップ。近久がその条件を満たしているならば、ブルーフロアへ向かう事でクラスアップ出来るはずだ。

「近久さんにはブルーフロアに行ってもらう必要があるって事ですか?」

「案の1つとしてはそうなる。脱出の為にしろ、その後の実験内の治安向上の為にも、クラスⅢの方が出来ることの幅が広がるからね」

 近久のクラスアップと、梨沙の父親の協力も得られるのであれば、ブルーとグリーンの2つのフロアも調べ物をする事に特段不都合は生じないだろう。

「確定ではないですけどブルーフロアも大丈夫そうですかね。となると、後は……」

「……パープルフロアか」

 梨沙の意を汲み取った白神が言葉を続けた。

「朱猟って奴のフロアなのよね。なぎさから聞いてた情報を聞く分には……そこに何かあるとしたら最悪じゃない……?」

「……何かしらの手掛かりを見つけられる可能性が高いというのは否定出来ないだろうね。なんせ、一番の古株だ」

 この実験の開始当初から、あんな生き方をしても生き残っているパープルフロアを管轄する狂人。1度だけとは言え、対面しデュエルをした梨沙は、あの男の異常性が身に染みている。

「まぁ、調べるにしても最後でいいんじゃない?あんなのと遭遇するのは、リスクがでかいし」

「できる事なら、あの人とは二度と関わりたくないですからね……」

 言わずとも朱猟がどんな人間であるのかを知っているその場の全員が暗に同調する。そんな空気を感じ取りながらも、穂香が河原へと質問する。

「おじいちゃんは何か知らない?フロアを安全に調べられる方法とか」

「……残念ですが、私はこの実験を直接観測している立場にありませんでしたから。実験内の抜け穴的な部分で知っている事は、皆さんと同じだと思います……」

 穂香を含めた全員に向けて返答を示した河原。実験の概要こそ把握すれども、実験の内部の事情については彼も詳しくないらしい。
 話を煮詰めていく中、近久が河原の先ほどの発言で引っかかった事を口にした。

「話の腰を折ってしまうかもなんだけど……さっき直接観測してないって河原さんは言ったけど、じゃぁあなたはどういう立場で行動を起こしたの?」

 近久の感じた違和感は、彼が直接この実験で観測者として行動をしていないと公言していても、部外者では知り得ない情報を有している点だ。脳科学の研究者であると紹介していたが、そんな研究者であるはずの河原はこの実験をどの立場で知り得たのか?
 近久の問いかけに、興味と共に梨沙も河原の方へ視線を向ける。

「この実験を運営している企業にもいくつか部門があるのですが、私はその中の開発部門の主任をしていました。この電脳世界へ流用されるプログラムやソリッドビジョンの開発、他には人格のコピーなどの脳科学の研究をまとめて行っていた部門です」

「部署が違うって感じ?ってか、部署が違うだけでこの実験がどんなものか知らなかったって言うの!?」

「まぁ、この実験参加の謳い文句と同じだろう。表立っては、実験の実態なんか公表しない。この実験を管轄している部門が、河原さんの居た部門から提供された技術だけを使っているのなら、わざわざ教える必要もない気がするし」

 淡々と問いに答えた河原と、その答えに反応を見せる近久に渚。その中で、梨沙は1つの単語に引っ掛かりを覚えた。

「今、企業って言いましたか……?この実験ってどこかの企業が運営しているって事なんですか?」

 梨沙としては、この狂気の実験と企業と言う響きに納得のいく繋がりを見いだせなかったのだ。疑うように聞き返した梨沙だったが、その驚きに同調する者は、困惑を顔へ滲ませる穂香以外にいなかった。

「……そうか、梨沙さんは覚えてないって言ってたね」

「……?ほのかもよく分からないよ?」

「人によってここへ来た経緯は異なる。穂香君の場合は、連れてこられたと言っていたし知らなくても無理はないね」

 彼らの反応は明らかに観測者側の事情を知っている、もしくは察している反応だ。梨沙はただ質問を重ね、聞く事しかできない。

「翔君や渚さんは知ってるって事ですか?でも、ここが電脳世界って事は知らなかったはずなのに、どうして……」

「梨沙さんは、確か2265年に実験へ参加している。その時には、この実験も今よりは認知度が低かったはずでしょう」

 河原の言葉に梨沙の中で困惑が渦巻くばかりだ。外の世界では、まるでこんな狂った実験が世間に認知されているとでも言っているような話し方をしている。であるなら、何故こんな狂気がまかり通っている?それに、こんな非人道的な事をそんな知名度のあるであろう企業が行っているのも、梨沙には信じられなかった。
 そんな彼女へ、河原がこの実験を運営する者達の実体を明かしていく。

「デュエルディスクを現実化させる程の技術力を有する独立起業《デュエルテック》。
そして、そこと提携し、ソリッドビジョンの現実化、並びに感触のあるソリッドビジョンを生み出し一躍大手企業に名を連ねたIT企業《メモリアリティ》。
その《メモリアリティ》が打ち出している”永遠の思い出プロジェクト”。
それこそが、この実験の入口です」
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