第129話：青空の下で　作：光芒

「綾香サン……」
「ね、ねえエヴァちゃん。私いったい……」

　何が何だか訳が分からないといった様子を見せて戸惑う綾香に対し、エヴァはどこか安堵した様子を見せながら綾香の肩に手を置く。綾香のその様子を見て彼女に何が見えているのかということをこの場において唯一理解できているのがエヴァだった。

「綾香サン、あなたも……遊希サンや私と同じ。精霊使いなんデス」
「へ？」

　自分も遊希やエヴァと同じ精霊使い。白紙のはずのカードに自分だけが見えるものがある。その事実を告げられた綾香は何とも気の抜けた声を出す。それだけでも十分訳が分からないというのに、エヴァのその言葉を受けて綾香の頭の中はますます混乱する。

「私にも、スカーライトにも、千夏サンにも詩織サンにもこのカードはただの白紙のカードにしか見えまセン。なのにあなただけがそのカードのことをわかるんデス。これは精霊使いであることに他ならないデス！」
「……私が……なんで……」

　「無力な存在に過ぎない」と自分でも他者からも断言されてばかりの綾香であったが、エヴァから告げられた言葉を素直に受け入れることができなかった。何故自分に精霊使いの力があるのか？
　遊希のように先天的な才能も無ければ、エヴァのように努力を重ねて開花させられるだけのものもない。強いて言うならばただ単に日本を代表するプロデュエリスト、星乃 竜司の娘であることでしかないはずなのに。

「綾香サン、精霊の声が聞こえたことはありマスカ？」
「精霊の声……」

　綾香は遊希を助けようとした際、超銀河眼の時空龍の声が聞こえたことを素直に話した。エヴァもそうだが、本来人間と精霊は互いに心を開いていない限り会話をかわすことができない、と思っていた。超銀河眼の時空龍に関しては「No.」という力の強い精霊であることからそれには当てはまらないとしても、綾香にはそれ以外にも心当たりがあった。
　それは遊希とエヴァが初めてデュエルした日の夜である。竜司、そしてエヴァに敗れたことで精神的に疲弊していた遊希は綾香の胸で涙を流しながら自身の抱えていたものを吐き出したことがある。綾香はそんな遊希をぎゅっと抱きしめて彼女の心の平穏を取り戻すことにつとめた。


―――遊希を助けてくれてありがとう。


　そんな日の夜、綾香の脳裏に若い男性の声が一瞬ではあるが響いたのだ。その声は遊希を助けてくれたことによる感謝の言葉。その言葉の主こそ遊希に宿る精霊・銀河眼の光子竜だったのである。

「つまり綾香さんは光子竜とも会話をしていたということですか？」
「凄いじゃない、あんた、やっぱり才能があるのよ！」
「……」
「綾香サン、このカードはまだ白紙であり精霊として覚醒していないカードデス。精霊のカードを覚醒させる方法はわかりマセンガ、このカードはあなたが持つべきデス。綾香サンがこのカードに命を吹き込むんデス！」

　そう言ってエヴァはガラスケースのカードを指差した。自分でも精霊を覚醒させる方法はわからないが、自分はどんな辛いことを経験してもスカーライトのカードを肌身離さず持ち続けており、それが今のスカーライトとの絆を結ぶことに繋がったことは否めない。
　精霊の可能性があるカードを精霊の力を目覚めさせることができそうなデュエリストが持ち続け、命を吹き込む。それが光子竜を目覚めさせ、ひいては遊希を助けることに繋がるのだ。

「そうとなったら校長先生を呼ぶわよ！」
「……だよ」
「綾香さん？」

　息巻く千夏に引っ張られそうになりながら、詩織は綾香が何か小さな声で喋ったのに気が付いた。よく聞こえなかったので聞き返してみると、綾香は思いもよらぬ言葉を発した。



「無理……だよ。私なんかには……無理だ」



　普段の綾香を知っている3人からしてみれば綾香の口から発せられたその言葉は予想外のものだった。いつも元気で明るく、勝気で可愛らしい彼女。そんな綾香が今みせているのはいつもの綾香のそれではない。

「な、なに言ってんのよ綾香。あんたならきっと……」
「無理だよ！ 私が精霊使い？ そんなわけないじゃない！ 私が本当に精霊使いだったなら、どうして遊希を守れなかったの！？」
「そ、それは……」
「親友1人だって守ることのできない私に……精霊なんて使えるわけないよ……！！」

　そう言って綾香は校長室から逃げるように飛び出していく。ドアを思い切り開け放ち、飛び出した綾香は部屋に戻ろうとしていた竜司にぶつかった。竜司はいきなり自分の胸に飛び込んできた娘の顔を見て言葉を失った。綾香は両の眼を真っ赤に染め、大粒の涙をぽろぽろとこぼしていたのである。

「綾香？」
「……っ！」

　呼び止めようとした父の手を払い、綾香は何処かへと駆けていってしまった。いったい何があったのだろうか、と思いながら竜司が校長室に入ると、呆然と白紙のカードが入ったガラスケースの前で立ち尽くすエヴァ、千夏、詩織の姿があった。

「君たち……綾香に一体何が……」
「あの……実は……」

　エヴァは竜司に自分が思うありのままのことを伝えた。自分やスカーライトには白紙にしか見えなかったカードの種類とレベルを綾香が言い当てたこと。綾香が光子竜や超時空龍の声を聴き、会話をしたこと。
　そしてそれを伝えたところ、綾香が「自分には無理だ」と言って校長室を出ていってしまった。その時の綾香の表情ははっきりとはわからなかったが、エヴァたちは綾香が涙を流していたということ、そしてそれが親友を守ることのできなかった後悔と無力感による涙であったことに気付いていた。
　綾香には精霊使いとしての力が目覚めつつある。綾香はそれに自分でも感付いていた。それゆえに遊希を守ることができなかった、ということに責任を感じていたのである。

「……綾香は昔から責任感の強い子だ」
「ハイ」
「それでいて頑固なところもある。私や綾瀬の言葉も聞き入れないほどに頑なになる。どうか……あの子の心を……」

　父と娘。娘は父に似るともいわれるように、竜司もこの事態において日本を代表するプロデュエリストでありながら何ら打開策を打ち出せておらず、娘のことに関してもエヴァのような若い少女たちに頼らなければならないことに自分の無力さを感じていた。
　そしてそんな竜司の心中をエヴァ、千夏、詩織の3人は痛いほど理解していた。少女たちは竜司の言葉を聞き、強く心に誓った。1人孤独に震える親友に寄り添うこと、彼女の心の痛みを和らげてあげることを。






＊






（私……最低だ）

　綾香はアカデミアの屋上にいた。屋上の壁に寄りかかりながら1人座り込んでいた。彼女の頭の中では自己嫌悪に苛まれながら自分の言ってしまった酷い言葉が反響する。

（無責任だ。無責任すぎるよ私……私が頑張らなきゃ誰が遊希を助けてくれるっていうの？ 遊希は千夏や詩織と戦わされながら私を助けてくれたのに……！）

　自分が遊望に操られていた時のことはほとんど覚えていない。それこそ遊希とデュエルをしたことくらいしか覚えておらず、それまでの過程は千夏や詩織からまた聞きした程度の認識しかない。
　それでもその時の遊希は今の自分など比肩しないほどの重みを抱えて戦っていた。自分と同じように操られていたとはいえ同級生を何人も傷つけてしまった千夏と詩織を正気に戻すため、涙を飲んで戦った遊希。親友を助けるためとはいえ、千夏や詩織を倒した後はそのことに心を痛めて毎晩のように涙を流していたという。

「あの時？ あの時は辛かった、でも今となっては良い思い出よ」

　遊希は連れ去られる前、あの時のことをそう評していた。しかし、それは彼女なりの強がりであった。自らの意志ではないとはいえ、親友たちと刃を交えることが良い思い出でなどあるはずがない。
　不幸にも操られて主犯格とされてしまった綾香を傷つけないようにと気遣った遊希は気にしていないようではあるが、エヴァは3人が行方不明の間共に過ごしたことで遊希の本当の気持ちを知っているし、千夏と詩織は病院にお見舞いに訪れた遊希が病身にも関わらずデュエルをする2人を見て大泣きしたということもこっそりと教えてくれた。もちろん遊希にとっては嫌な過去なので公にしてほしくない、と3人には言っていたが10代女子の口の堅さなどたかが知れている。クールで美しい遊希の想像だにしない姿であるが、3人よりも先に本当の遊希の触れた綾香はそれだけ遊希が自分のことを大事に思ってくれていることが嬉しくて仕方が無かった。

（遊希……ごめんね）

　体育座りをしたまま顔を膝におしつける綾香。その暖かい涙で膝が濡れるのを感じた時、綾香の左隣に温もりが生じる。

「見つけましたヨ、綾香サン」
「エヴァ……ちゃん」
「お隣、失礼シマスネ」

　エヴァが綾香に寄り添うように座る。9月の空には過ぎ去ったはずの夏の雰囲気がまだいくつか残っていた。

「私はよくここの屋上に来ていマス。ここで空を眺めることが好きデス」
「……なんで？」
「空は繋がっていマス。この空を見上げると母国のロシアを思い出せるんデス。もちろん日本にもロシアにも領空があるので自由に行き来はできませんガ……」
「もう、ムードぶち壊しじゃない」
「えへへ、ゴメンナサイデス」
　
　悪戯っ子が見せるような笑みを浮かべるエヴァの姿を見て、綾香は呆れたように笑う。綾香が笑ったのを見てエヴァもまた同じようにくしゃくしゃの笑顔を浮かべた。

「やっと、笑ってくれまシタネ」
「えっ？」
「綾香サン、ずっと沈んだ顔をしていまシタ。綾香サンは笑顔でいてくれた方が嬉しいデス」
「そうよ！ あんたの笑顔見てるとこっちも元気になるんだから！」

　振り返った綾香とエヴァの前には汗だくになった千夏と詩織の姿があった。エヴァと3手に分かれて綾香を探していた千夏と詩織であったが、エヴァに綾香を見つけたという連絡を貰い、急いでここまで駆けつけたのであった。

「千夏、詩織……」
「ごめんなさい綾香さん。私たち、綾香さんの気持ちも考えずに……」

　息も絶え絶えに綾香に頭を下げる千夏と詩織。2人は綾香が精霊使いとして覚醒し、精霊を自在に操れるようになれば遊希を助けることができる。そうして全ての物事がうまくいくことを確信しており、その願いは成就すると思っていた。しかし、遊希を助けることばかりを考えていたことが結果的に綾香を追い詰めてしまっていたことに気が付き、懸命にアカデミアの中を走り回っては綾香を探していたのである。

「そんな、謝らないでよ2人とも！」
「でも私たち……あんたが精霊を使えるかもって聞いて舞い上がっちゃって……」
「千夏……」
「ねえ知ってる？ ってあんたなら知ってるわよね。遊希もこの場所が好きだったってことを」

　普段は施錠されているため自由に出入りできない屋上であるが、その日の天候や気候によっては一般開放される時がある。その時遊希は授業の合間や食事の後に決まってここで空を眺めていることが多かった。遊希本人は風に当たりたい、という如何にもありがちな理由でここにやってきていたようだが、彼女もまたエヴァと同じように無性に空を眺めたくなることがあった。最もエヴァは故郷のことを思い浮かべるのに対し、遊希は澄み渡る蒼穹の果てに亡くした両親と遊望の顔を見ていた。
　アカデミアという外の環境に触れたことで遊希は以前と比べてだいぶ他人と接することができるようになっていた。7歳でプロになって以降、家を離れることが多かった遊希は家族とは離れて過ごすことが多く、元気な姿は専らテレビか新聞といった媒体を通して見せていた。
　そのため、こうして外に出て天国にいる両親と遊望に自分が元気でいることを見せるため、遊希は外に出ては空を見上げるのである。最も一番元気な姿を見せたかった妹が生きていて、攫われることになるとはこの時ばかりは思っていなかったようであるが。

「雲ひとつない青空……」
「夏の終わりから秋の始まりに移り変わる空……」
「……遊希サンがこの場にいたら、どんな顔をしているでしょうカ」

　綾香の目の前には青空を見上げて儚くも美しい笑みを浮かべる遊希の姿が思い浮かぶ。

（遊希だったら……）
「綾香サン、私も千夏サンも詩織サンもみんな考えていることは綾香サンと同じデス」
「私と……？」
「5人で、またこんな綺麗な空を一緒に見上げたい……デスヨネ？」

　5人で寄り添って座っては青い空と暖かな陽の光を浴びながら、風に吹かれる。ただの友達ではない、親友だからこそ築かれる空間がそこにはあるのだ。

「……遊希」
「綾香サン、これを」

　そう言ってエヴァが綾香に手渡したのは白紙のカードだった。竜司から許可を貰い、綾香に手渡すために預かってきたのである。

「このカードは……」
「綾香サン、あなたは自分を無力だと思っていますヨネ？ それでしたら私は綾香サンよりずっとダメな子デス」
「んなっ……なんでそうなるのよ！」
「私は綾香サンとは違い、スカーライトの力を自分の物にしていまシタ。それでも遊望サンには勝てませんデシタ。遊希サンだってそうデス。綾香サンより精霊を使える私たちですら敵わなかった相手デス。綾香サン1人が無力感を感じて責任を背負い込む必要なんて無いんデスヨ」
「っ……！」
「綾香サン、弱い者が強い者に勝つには努力と鍛錬を重ねて精進しなければいけマセン。勝敗と共にあるデュエリストもそうデス。私だって、竜司サンだって、遊希サンだって……最初はみんな弱かった。でもたったひとつだけ―――「勝ちたい」。その思いを胸に秘めてずっと努力をしてきまシタ。そこに今の私たちがいるんデス。だから……一緒に強くなりましょう、綾香サン」
「綾香」
「綾香……さん」

　エヴァ、千夏、詩織の3人は手を差し伸べた。エヴァの優しい笑み、千夏の元気いっぱいの笑み、詩織の少し照れたような笑み。三者三様の笑顔が綾香を取り巻いていた。


「みんな―――」


　3人から差し伸べられたその手を取った綾香の顔には決意に満ちた笑みを浮かび上がっていた。