第63話：二人の少女、そしてライバル　作：光芒

―――行方不明者は、星乃 綾香と月宮詩織だ。



　部屋に戻った遊希は食事をするどころか服すら着替えず、ずっとベッドの上で両ひざを抱えたまま座っていた。料理や洗濯など普段自分たちが日常的にしていることですら出来ないほど彼女は混乱していたのだ。
　そんな彼女の脳裏では保健室のべッドの上でミハエルから聞いた言葉が幾度となく再生される。

行方不明者は二人、星乃 綾香と月宮 詩織。
行方不明者は二人、星乃　綾香と月宮 詩織。
行方不明者は二人、星乃 綾香と月宮 詩織―――

「もう……やめて……」

　遊希は両手で耳を塞ぐ。それでもあの時言われた言葉が頭の中では鳴り止まない。綾香と詩織はいない。当然無事かどうかも分からないし、もう帰ってこないかもしれない。

「やめてよ……やめて……！！」

　今の遊希には懇願するようにすすり泣くことしか出来なかった。仲間たちを傷つけた非道の敵が千夏だったということ、そんな千夏を不可抗力とはいえ傷つけてしまったこと、そして綾香と詩織までもが行方知れずだということ。
　この突きつけられた三つの事実が少女の小さな心を破壊することは容易だった。遊希の心はすっかり砕かれてしまったのである。身体の痛みや病気ならいずれ治る。しかし、心の傷はいつまで経っても完治することはない。

「光子竜……光子竜……どこ……？」
―――遊希、私はここにいる！ 遊希！！

　そしてこの壊れてしまった少女には精霊であっても干渉することが出来なくなってしまっていた。双方ともに必死で呼びかけるも、互いの想いは行き違うばかりであった。

「あはは……だれもいなくなっちゃった……わたしは……また、また……ひとりぼっち」

　もはや消えてしまいそうな弱々しい遊希の声。そんな時、誰もいないはずの部屋には遊希以外の人間の声が響いた。

「アナタは……ひとりぼっちなんかじゃない、ですヨ」

　驚いた遊希が顔を上げると、目の前の暗がりにはパジャマを身に纏ったエヴァの姿があった。留学生の彼女は普段一人部屋で過ごしているのだが、状況が状況であるために一人だけで過ごすことに危機感を感じていたため、こうして別の部屋へとやってきた。最もそれは建前に過ぎず、本当は精神的に動揺しているであろう遊希を気遣っての行動だったのだが。

「なんで……」
「不用心ですヨ？ 鍵もかけないで……学校と言えど安全ではないんですカラ」
「……」
「隣、失礼しマス」

　エヴァは遊希の隣に肩を寄せ合うように座る。もう体感することが出来ないのではないか、と思っていたもの、生きた人のぬくもりがじわりと遊希の肌に伝わる。

「アア、もう……髪もぼさぼさで制服も皺が……遊希サンも女の子なんですからもっと身だしなみに興味を持つべきデス」
「ご、ごめん……なさい」
「ご飯を食べては、いないですヨネ？ ロシア料理だったらいつでも振る舞えますガ、無理に食べると身体に悪いですネ。だったらシャワーだけでも浴びまショウ」
「あ、あの……エヴァ？」
「なんですカ？」
「どうして……どうしてこんなことを？」

　自分の代わりに色々としてくれるエヴァに対して遊希は困惑した様子で問いかけた。質問される形となったエヴァはきょとんとした様子で首を傾げる。

「どうしてもなにも、遊希サンは、私の友達だからデス」
「とも……だち？」
「ハイ。私がこの街に来て怖いお兄さんたちに絡まれていた時に助けてくれたのは遊希サンでしたヨネ。そしてこの学校で初めてデュエルをしたのも遊希サンでしタ」

　この国に来るまでエヴァにとって遊希はまさしく憧れの存在に他ならなかった。そのため以前の自分に「日本でその憧れの存在と同じ学校で学ぶことになる」と言った場合きっと信じなかったかもしれない、とエヴァは苦笑いする。

「そして何より……私とこの子を近づけてくれたのは遊希サンデス」
「スカーライト……」
「あのデュエルから少しだけこのカードの気持ちがわかるようになった、そんな気がするんデス。もし遊希サンと出会わなければきっと今もなおずっと苦しんでいた。遊希サンは恩人デス。私に何が出来るかはわかりませんガ、遊希サンが辛い時、私はあなたを助けマス。あなたが私を助けてくれたように……」

　そう言ってエヴァは両手を広げる。そしてにっこりと笑う。

「ダカラ……私を友達として、綾香サンや千夏サン、詩織サンと同じように見てクダサイ。もちろん、デュエルでは負けませんケド」
「……エヴァ……」

　遊希はエヴァの名を呟くように言うと、倒れるように彼女の胸にもたれかかった。暖かい。エヴァの胸が遊希の涙で濡れたのだ。
　声を殺して涙を流す遊希の姿を見て、エヴァの目からもふと涙がぽつぽつと零れ落ちていく。精霊を持つ者同士として繋がるところ、共感を感じるところがあるのか、遊希の辛い想いが自分の中にも流れ込んでくるように感じた。

（遊希サン、震えています……ダメですね……私は遊希サンを慰めなくてはならないのに……）

　宵闇に紛れて二人の少女は声も出さず涙を流し続ける。初夏の夜はこうして更けていった。





＊





「……これは一晩遊希サンに付き添った私の私見ですガ……今の遊希サンにデュエルは難しいと思いマス」

　次の日の朝。エヴァは遊希が眠っているのを確認すると朝一番で校長室に向かった。校長室には竜司とミハエル。そして竜司から綾香が行方不明になった、と連絡を受けてアカデミアにやってきた綾瀬の姿があった。
　以前遊希たちが会った時はバイタリティーに溢れていた綾瀬であったが、娘が行方不明になったこの時ばかりはかなり憔悴しきったようであった。最も綾瀬がここに来たのはそれだけではないのだが。

「……昨日の彼女は相当取り乱していたそうだね」
「ハイ。寝言でもしきりに一人になることを恐れている、といった感じでシタ」
「そうか……」

　竜司の脳裏に子供の頃の遊希の姿が走馬灯のように流れる。前回綾香にケアをさせた時もそうだが、彼は遊希の弱い少女としての一面を知っている。故に悲痛に暮れる彼女の姿は直接目に触れなくても容易に想像できてしまった。

「天都 遊希が戦えない、というのは厳しいですね。彼女は1年生はおろか3年生をも凌駕する実力を持っているのだが……」
「その分私が頑張るだけのことデス！」
「……すまない。我々とて力になりたいのだが……」

　今回の事件について幸いまだ外には漏れていないため、大騒ぎにはなっていない。しかし、この状況をすぐに解決しなければ今アカデミアで何が起きているのかが明るみになるのも時間の問題である。
　本来生徒を守るべき立場にある竜司やミハエルたち教師陣は保護者対応などに追われる始末で手一杯であり、学生たちは基本外出を禁止、その中でもエヴァのような腕のある学生たちに自衛を要請する有様だった。

「大変なんですネ……」
「思っていた以上に不自由なものだ、教師とは」
「私たちとしてはすぐに終わらせ、警察と協力して犯人捜索に入りたいものですな……」

　ミハエルは横目でずっと黙ったままの綾瀬を見る。綾瀬は何かを言いたそうな顔をしていたが、場の雰囲気に飲まれて言い出せないようだった。

（全く……昔と変わらないな）「奥方様、何か言いたそうな顔をしてますが」
「……えっ？ ええと……」
「綾瀬？」
「ごめんなさい、綾香がいなくなったって聞いて急いで駆けつけたんけど……私が思っている以上に事が大きくて……」
「……そうか。ありがとう、綾瀬。君に気を遣わせてしまったようだね」
「あなた……でも私はあなたも心配なのよ！ 確かにあなたは校長先生だから、学校で一番偉い人だから頑張らなきゃいけないけど……綾香が居なくなって辛いのはあなたも一緒なの！ 遊希ちゃんだって綾香が居なくなったことに凄くショックを受けているんだからあなただって……」

　綾瀬が娘の安否と同じくらい気がかりだったこと。それは竜司自身のことであった。竜司は昔から誰に対しても優しくどんな時でも平静沈着な男であり、綾瀬は竜司のそんなところにも惹かれていた。
　しかし、その反面体調を崩した時などは周りに心配をかけまいと何事も無かったように振る舞おうとしていたため、彼自身の問題に気付くことが最初は中々出来なかったのである。

「……本音を言ってしまえば私も辛いさ、娘が行方不明になったのだから。だけど校長という立場にある以上生徒をを守らなくてはならない。その先頭に立つ私が堂々としていなければなんとするか。でも……妻にそんな心配をさせているようじゃまだまだだね」
「あなた……」
「ゴホン！ゴホン！！」

　ミハエルが呆れた様子で咳ばらいをする。竜司と綾瀬はそそくさと自分の座っていた席に戻った。

「全く、緊張感の欠片もない……」
「も、申し訳ない」
「ですがそれでこそ星乃 竜司だ。昔となんら変わっていない。そんな竜司、いや校長だからこそ私は教頭の職を受けたのです」
「ミハエル教頭、ありがとうございます」
「……ところで天都 遊希についてですが」

　ミハエルは遊希を一度病院に連れて行き、カウンセリングを受けさせることを提案した。プロの世界で長く生きてきたミハエルも遊希を幼いころから知っており、彼女を襲った悲劇の子細についても竜司同様理解している。
　今の状況で遊希に頼り切りになることも得策ではない、という点は竜司たちとは一致していた。しかし、だからと言っていつまでもそのままにしていては彼女にとっても良いことではない。そのためカウンセリングを受けさせることで遊希の心に巣食う過去の記憶に向き合えるようにするべきである、と考えたのである。
　ミハエルは若いころから一言多いタイプだったので正直遊希とはさほど反りは合わなかった。それでも遊希の実力は高く買っており、このままその才を埋もれさせたくは無かったのである。

「もちろん一朝一夕で治そうとは思っていません。ですが少しばかり彼女には安らぎを与える必要があるでしょうな」
「教頭先生……わかりました。そうしましょう。エヴァくん、天都くんのことを頼めるかな？」
「ハイ！！」





＊





「遊希サン、歩けますカ？」
「……うん」

　遊希は服を着替えると、エヴァと綾瀬に連れられて心療内科へ向かうことになった。エヴァが一晩中隣に寄り添ったことで眠れはしたようだが、それでもなお遊希の顔からはいつもの気高さはまるで感じられなかった。

「あの……綾瀬さん。ごめんなさい……私がいなから……」
「そんな……遊希ちゃんは何も悪くないわ。だから気に病まないで」
「私が車で送っていく。教頭、その間留守を頼めますか？」
「勿論。ああ、何かあってはいけないから外まで送りましょう」

　竜司とミハエルが遊希たちを外まで連れて行こうとしたその瞬間である。誰もいないはずの朝の校舎内に悲鳴が響き渡ったのは。

「……！？ 今のは……」
「校長、こちらです！」
「私たちも行きまショウ！」
「ええ！ 遊希ちゃん、大丈夫？」

　悲鳴のした方に一目散に駆けだした竜司とミハエルを遊希を連れたエヴァと綾瀬が追う。しかし、上手く歩けないでいる遊希を連れていた状態のため、エヴァと綾瀬が竜司とミハエルに追いついたのは数分ほど経った後だった。

「あなた！ いったい何が……」

　竜司とミハエルの姿を見つけた綾瀬が声をかける。すると、しゃがんでいたミハエルの腕の中には一人の女子生徒の姿があった。恐らく昨日の孝輔同様襲撃を受けたと思われるようで、やはりボロボロであった。

「ミハエルさん、いったい何が……！！」

　ミハエルに状況を確認しようとした綾瀬は言葉を失った。竜司が一人の男と対峙していたのである。

「……君は今香港にいると聞いていたが。何故ここにいる？」

　高級ブランドのスーツを纏い、立派な顎鬚を蓄えた男は見たところ竜司と同年代のようであった。それだけ見ればダンディな初老の男性、といった出で立ちであるがその左腕にはデュエルディスクが装着されている。そして一目見てわかるようにその男もまた昨日の千夏同様正気ではないようだった。

「答えないか……ならば質問を変えよう」

　傍から見ればいつも通りの穏やかな口調で問いかける竜司だったが、綾瀬とミハエルは気づいていた。竜司の口調に怒気が混じっていることを。だが、無理もない。

「君は……お前は自分が何をしたかわかっているのか！！ 雄一郎！！」

　竜司の目の前に立っている男の名は藤堂 雄一郎。竜司同様若いころからプロデュエリストとして活躍し、竜司とは今もなおライバルとして切磋琢磨する仲。そして倒れていた女子生徒・藤堂 美咲の父である。