88　曙光の歌　作：Ales

　銃火器について全く知識のない私でも、引き金を引けば弾丸が発射される事ぐらいはわかる。意外にも、グリップの感触は軽い。いや、安っぽいというのが正確だろうか。西部劇にありそうな木製のそれや重厚感のある金属ではなく、樹脂製なのだから仕方のない事なのだが。

　「…………」

　汗ばむ右手。異常に早くなる鼓動。




　人差し指を動かせば、目的は果たされる。





　「そう……わかるわよね？」

　背中から、この拳銃の持ち主の声が聞こえる。



　そうだ。



　撃ってしまえ。


　撃って、終わりにしよう。終わらせて、還るんだ。家族の、鳴梨たちの待っているところへ。





　終わり？





　本当にこれで、終わりなのだろうか。



　確かに彼は自分たちの組織が《スターダスト・ドラゴン》を偽造したと認めた。だからこそ螢華は彼に怒りを向け、デュエルに応じた。だが、彼が家族を奪った張本人であると断定したわけではない。断定したところで、私に彼を裁く権利も資格もない。



　悪い事をしたら、それに罰を与えるのは被害者じゃない。その人に与える罰を決めるために、私たちがいるのよ－



　「…………っ！」



　個人の推量で……勝手な考えでやり返したら、どうなるかな？螢華だって、喧嘩した事ない訳じゃないだろう？



　「ぁ…………」

　この国は法治国家。そして私は－





　右手から力が抜け、するりと拳銃から離れた。

　「あら？」

　背中の女性が不思議そうに呟く。その姿は見ず、あくまで焦点はデュエルの敗者に向けたまま、呟いた。


　「ここは法治国家よ……そして私は、弁護士の娘。その私がこんな事は出来ないわ……！」

　そもそも住居侵入罪だし、帰れと言われても正当な理由なく帰らなかったのだから不退去罪でもある。それに京都・大阪の両府の青少年の健全な育成に関する条例とやらの違反である。だが、最後の一線で踏みとどまったと信じたい。

　「あら、そう。復讐はいいのかしら？」
　「復讐するのは私じゃありません。被害者の溜飲を下げるために裁判というシステムがあるのですから。」

　割り切るのに時間はかかるだろう。だが、弁護士であった両親からすれば、これが一番納得してくれる復讐の形であるはずだ。

　「だから、私はこの場を証拠として……カードの偽造、著作権法の違反を海馬コーポレーションに報告するわ。そうすればきっと、両親の件も明るみに……」
　「それは……ちょおっと、まずいわね。」



　直後、銃声が響いた。





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　「…………どうして、撃ったんですか。」

　挙句の果てにカードに火を付け、螢華だけを連れてその場を離脱した女性に対し、螢華は怒りの目を向けていた。無理もない。自身が「殺さない」と決めた、社会的に制裁を受けさせるべきと決めた人を、かくもあっさりと殺してしまったのだから。

　「言ったでしょう？それをされたら困るのよ。さ、早く乗って。あなたも警察の厄介に巻き込まれたくはないでしょう？」

　倉庫付近に停められていた車は所謂セダンタイプであり、それほど目立つものではない。しかも強引に助手席に乗せられて発進すれば、エンジン音が全くしないので余計に目立たない。

　「便利でしょ、この車。これだけのパワーがありながら電気自動車だから音もほとんど出ないし、一見して普通の乗用車だから目立たない。色々悪い事するのには便利でしょ？まあ、日本には充電スタンドが少ないのが欠点だけれど。」

　人ひとりを銃で撃ち、果てに建造物ひとつを燃やした後とは思えない軽さで、彼女は運転しながら助手席の螢華に話を振った。

　「…………何故、あんな事を？」

　彼女は呆れたように溜息を付くと、車を道路脇に停めて螢華に向き直った。


　「悪いけれど、全部に答える気はないわ。質問にはひとつだけ答えてあげる。思いつくまで適当にドライブしててあげるから、運転中でもいいから適当に質問して頂戴。」

　そういうとまた車を走らせる。

　「待って、今どこへ向かっているの？」
　「それは質問？まあいいわ、それぐらいは答えてあげる。今向かっている先は阪神高速の南港北インターよ。そこからは……ま、あなたの家まで送ってあげるわ。」
　「ちょっと、東に行かれるとまずいのだけれど…………」

　大雑把な地理で言えば京都は南港の東に当たるのだが、それより東へ行かれても困る。

　「そう……まあ大阪の辺りはその気になればぐるぐる回れるから、あなたが質問を思い付くまでその辺りを回っていてあげるわ。」

　そう言って再び車を走らせる女性。さて、何を質問したものか。



　訊きたい事は多い。



　何故撃ったのか？

　何故火を付けたのか？


　何故自分を助けたのか？そして何故手を貸そうとしたのか？



　何より、何故人ひとりを殺しておきながら、平気でいられるのか。





　だが、そのどれも違う。彼女の倫理観とか、起こした行動の理由とか、そういう事を訊いている場合じゃない。彼女がどのような思考回路を持っていようと、これからの螢華の人生には何ら影響を与えない。それに何を訊いても、恐らくは「それをされたら困るから」といわれるだろう。

　（さて、どうしたものかしらね…………）

　ひとつの質問で核心を聞き出すのは中々難しい。軽快に走る車とは対照的に、螢華は重苦しく悩むのだった。





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　６時過ぎ。籐篠朱理は、函館発の始発特急に揺られて窓の外を気怠げに眺めていた。

　（ほんと、何してるんだろ、私。）

　始発で行っても、予定の到着時刻は14時前。観戦すべきメインレースは15時40分発走予定であるため、どう考えてもその時間に着く必要性はないのである。早く着いたのならどこかで適当に時間を潰せばいいのだが、流石に２時間近い暇潰しを探すのは中々骨が折れる。

　（よく考えたら、阪神競馬場に行くの初めてじゃない……）

　デュエルアカデミアに入学してから今まで都合４回宝塚記念はあったわけだが、そのいずれも親が出向いていたか管理馬が出走していなかったため、観戦に行っていなかった。つまり辺りの地理がわからないため、益々時間潰しに困るのだ。


　しかしどこで何があろうとも、自身のスタイルを貫くのが籐篠朱理という人間である。

　（結局、和那からの電話はなかったわね…………）

　思考の切り替えが早いのが朱理の特長のひとつである。超長時間の旅の途中であっても寮に残した親友を案ずるのは、お互いにまだ不安を抱えているからだろうか。

　（それにしても、４年半も在籍しながら友人が和那だけっていうのも寂しいものね……）

　静寂と読書を好む朱理が奇妙な縁で和那との交友関係を始めたのは全く謎であるが、元来の正確が災いしてそれ以上の友人がいないのである。ただ和那にしても、偶にふらりと部室に現れては読書する朱理の横顔を、メロンパンをかじりながら眺めるだけなので友人と言っていいのかどうか怪しい。忌憚なく電話やメールで意見も要望も言い合えるという面では友人なのだろうが、例えば買い物や観光のような友人らしい事をしていないのもまた事実である。

　（今度、そういう……友人らしい事をしても、いいかもしれないわね……）

　お互いに趣味も正反対で店を回る度に喧嘩しそうであるが、それはそれで貴重な青春の１ページになるだろう。なんて、つい最近読んだ小説に書いていた。



　（まずあの子、勝ってるのかしら…………）

　もし何かの間違いでうっかり優勝でもしようものなら、そのお祝いという口実で一日デートというイベントをしてあげる事を検討しないでもないの、だがまあ多分それはないと思うので何か誘い出す理由を考えねばならないのだ。



　そんなもの、都合良く浮かばないか－



　初夏の曙光が照る窓際。窓越しの朝日の輝きは、空気の澄んだ北海道の平原部特有の美しさに溢れていた。





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　「…………あれ？」

　午前６時４５分。いつもの時間に起きた遊貴であるが、その日ばかりは違和感を感じていた。というのも、昨夜襲来してきた珍妙不可思議な客の姿がないのである。

　「だきまくら……いるって…………？」

　さてはベッドの下に蹴落としてしまったか、と思い床を見てみるが、そこにも見当たらない。そして視線を移した先に見えたのは、開け放たれた窓であった。


　「…………まさか、ね。」





　「おはよう。早速だけれど遊貴、準備して。」

　当人にしては珍しく朝の早い時間に、それもコーヒーもなく完全に起動した状態になっていた琉枝は、指先でキーチェーンを弄りながら声を掛けた。

　「おはよう……準備って？」
　「あのお姫様、探しに行かないと。全く、深夜徘徊の癖があるなら事前に通知しときなさいよ。何やっているのかしら東のハゲは。」
　「校長とか理事長っていうだけでハゲ扱いするのは……失礼…………」

　これまた宮戸家にしては珍しい琉枝お手製のサンドウィッチを手早く弁当包みにくるむと、いつもの通学鞄に入れてこちらの準備は完了。

　「待ってて……顔洗って、着替えてくる。」
　「ええ…………」

　横目で見た琉枝の表情は、これまた珍しくも険しい表情であった。




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《？次回予告？》

朱理　「無理だと思いますよ？」


次回、「2.2」
　仁川の芝に舞う。