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HOME > 遊戯王SS一覧 > 77話 春風が運ぶもの

77話 春風が運ぶもの 作:コングの施し

あれから、2年半の月日が経った。龍血組とその関連組織が公安により一斉検挙された事件。そのトリガーを引いたのは、ここチバ県アオメ市に住んでいた数人の中学生とその保護者と教師たち。裏の世界でも一際大きく、衰えぬ影響力を持っていたその組織がたったの一晩で壊滅したその事件は、幸いなことに死者を出さなかった。しかし同日に各所で発砲事件や学校・公共施設を含む火災も報告され、重症者も出たその事件は、きっとこれからも歴史に刻まれることになるだろう。

ましろ「嬢ーーっ!!」

みんなから貸してもらったカードは、全員に返した。1枚でも足りていなかったら、1人でも欠けていたら、今はないのだ。もしもあの時、自分の手に渡るデュエルディスクがなかったら、公安への通報がうまくいっていなかったら、ドローしたカードが違ったら……。そんな想像は絶えない。けれど、奇跡が積み重なった先に、今の自分はいる。

ましろ「ちょっと!!手伝ってくんない〜!?」

バックヤードの方から、似合わない大声をあげる女性の声が聞こえた。高校生からのバイトって、意外と必要になる書類って多いんだ。手伝いたい気持ちは山々だけれど、ちょっと今は手を出せない。というか、高校入学初日にバイトの承諾書を書かされているのもなんだかおかしい気がしている。

嬢「今、行きます、本当に今!!」

ましろは、中学校の教員を辞めた。自分の生徒たちを守り切ることができなかったと、そう自分からその職を降りた。ただそれでも子供達を導くこと、教育を捨て切ることができなかった。そして何よりも、彼女にデュエルを教わった生徒たちが、彼女を教育から引き剥がすことを許さなかった。子供達への思いを捨てきれず、かといって未来への一歩を踏み出すこともできなかった彼女の背中を無理ぐり押したことで、ましろは今はこの『御子柴決闘塾・アオメ分校』の塾長を務めている。

ましろ「新入生向けの問題集が多いんだよ!はやくう!!」

せっかち。
でもあの時、せっかちな彼女が律歌と彼女自身の足を使って公安の本部に通報しなければ、ことは丸く収まっていなかった。父、龍剛院 栄咲によってなされた龍血組の解散宣言。当然それだけでは、事態は収束しなかった。あれから数時間の間、公安と組員の間で抗争があったのだ。結果、栄咲含む元組員は全員検挙、その中の小金井 敦弘が公安側に協力的な主張をしていた事もあり、組が行ってきたシノギは全て罪として裁かれることとなった。しかしその中心にあったのは、公安本部からの絶え間ない現場への動員と早急な対応であることを、忘れてはならない。きっと彼女は、託したディスクに周囲の状況を遠隔で報告する機能を外付けすることで、栄咲との戦いに敗れた時の保険としての役割も持たせていたのだろう。

嬢「もうっ!!本当に治りませんね、せっかち!」

この世界にもう組は存在しない。県警の過失もあり、この都市は全国でもトップ2を誇る厳重警戒都市となった。今、施設暮らしではあるけれど、ここが一番安全なのだと言うことは街の様子を見ればすぐにわかる。しかしあの日のことを思い出すと、もう街にいない友たちのことを考えてしまう。それはこの街の外が危ないかもしれないだとか、龍血組の残党が彼らを襲うんじゃないかとか、そういう問題ではない。

ましろ「甘えないっ!!お前だってもう講師なんだぞ!!」

嬢「バ・イ・ト!!
バイトですっ!!まだ高校に上がったばっかりだし!!」

あの時、自分の口で父に言った。
『寂しくないよ』と、確かに言った。自分がどれほど大切にされているか、わかっているつもりだ。でもそれだけでは寂しくないと言い切れない。それが二年半経った今、はっきりとわかる。戦友たちが自分を大切にしていてくれたこと、それだけではまるで、自分がただ周りに甘えているだけのように思えて仕方がなかった。自分も愛したい、友を愛したい気持ちはあるのに、近くにいないということは、どういうわけかその気持ちにすら寒風を吹きかけてしまうものなのだ。

ましろ「高校生……高校生ねえ……JKってやつかあ、早えな〜〜……。」

窓の外にはまだ咲き始めの桜が桃色に日光を反射している。花びら一枚一枚は白色なのに、群れるように咲いて光を当てると鮮やかな色になるのは、この花の不思議なところだ。あの事件が終わってから3回目の春は、いつもよりも忙しくても、それでもなんだか寂しげに思えた。

嬢「……早いですよね。
活動停止になった決闘部で、最後に残ったのが私だとは思わなかった。」

ましろ「……ン?」

もの懐かしさに更けていたましろの片目がぱっちりと開いて、自分の顔を捉えた。それはいつもダウナーだったり、デュエルのことになったりするとおちゃらけたりする彼女の1つの癖みたいなもので、人を心配している時はそうやって横目で人を見る。

ましろ「心配か?みんなのこと。」

嬢「龍平くんはたまに連絡くれるけど……遊大くんは街を出ちゃったし、律歌さんは連絡くれないし…」

3枚の花弁が、こぼれ落ちた。事件で大怪我を負った遊大と龍平。そしてちょうど一年前、卒業に合わせてこの街を去った律歌。龍平は左大腿骨が砕かれるほどの銃傷を負い、退院後の半年くらいは杖を持って生活していたらしい。膝に怪我の影響が出たらしく、今でも病院でリハビリを続けていると、連絡をくれる。

ましろ「あっ……そうだよな、龍平とは繋がってるんだった。」

嬢「ええまあ。
でも連絡くれなくてもわかるじゃないですか。今やフリーランク戦に挑戦するデュエリストですよ、プロも目の前のとんでもない人になっちゃった。」

ましろ「ん……まさかあそこまでハガネメンタルとは思わなんだ…。
こんなこと言っちゃ本人は嫌がるだろうけど、親父に似たよなあいつは。」

と、それは彼の怪我の話。あの年の決闘王杯の全国本戦は入院中で出場できなかったが、次の年に彼は決闘王杯全国本戦準優勝の快挙を残している。それはすなわちプロデュエリストになる資格を賭けたフリーランク戦に出場できることを意味しており、今この年代のデュエリストの中で、彼の名前を知らない者はいない。

嬢「心配なのは遊大くんと律歌さんです。
2人とも結局街を発っちゃったし、遊大くんはこの前まで居たけど、なんか私とはちょっと疎遠になっちゃったっていうか……」

ましろ「いやはや、気持ちはわかるよ。
あいつは……真っ直ぐすぎなんだよな、前にも後ろにも。」

遊大は、怪我からの復帰が龍平よりもずっと遅かった。1年間は学校に来れなかったし、自分が遊大のカードを返しに病院へ行った時も、まだ寝たきりの状態が続いていた。けれどきっと、彼の心を痛めたのは彼自身のデッキのことだろう。あの事件で彼のデッキの大半のカードが失われた。誰よりもデュエルに目を輝かせていた彼が、学校に復帰してからはデュエルの話をしなかった。それは自分のことを守る為だってわかっている。きっとデュエルのことで凹んでいることを自分に伝えたら、そっちの方が責任感を感じてしまう……とそんなところだったのだろう。そんなことはわかっていても、自分には付けなきゃいけないケジメがあった。謝らなければいけないことがあった。それでも、いつも自分が話しかけるたびに、彼は無理に明るく振る舞っていたように見えた。

嬢「ねえ先生、遊大くんがなんで街を出たのか……聞いてます?」

ましろ「……いいや?
でもあいつはあいつで、前に進もうと頑張ってんだろ。仮に把握してたとして、そいつを知ってどうすんだって、あたしは言っとくよ。」

嬢「……その言い方。
知ってるじゃないですか、絶対。」

遊大はこの塾ができた後にも、受講生になることはなかった。復帰後、学校のクラスではうまくやっていたみたいだけど、いつもどこかその目は寂しく見えた。そしていつも、どこか疲れているようにも見えた。それは、彼がどっちに真っ直ぐになった結果だったのかわからない。ただ、彼の口から出るデュエルとかカードとかの言葉は無くなって、復帰後はクラスのみんなにも自分にも、『心配すんなよ!』とか『おれは大丈夫!』とか言っていた。

ましろ「あいつ、いっつも言ってたよな。
……『心配すんなよ!』って。信じてやろうよ、遊大のことをさ。」

嬢「む………わかりましたよ。」

ましろは笑っている。
絶対に、何かを知っているのだろう。でもそれが自分を元気づけるための口先三寸にも見えない。きっと、今の遊大の話をしないことが、彼のためであり自分のためにもなることを知っているんだと、そう思えた。

ましろ「あたしは律歌の方が近況知りたいよ、不思議ちゃんだしさ。
______な、阿原ァ!!」

ましろは背後へとそう叫んだ。「ンだよ!!!」という声がロッカールームから聞こえてくる。彼もこの塾の講師、アルバイトとして一年前から働いている。オープンスタッフと言うやつだ。阿原と律歌は同年代。この街に残った彼とは対照的に、律歌は中学卒業と同時にこの街を去った。開いたロッカールームの扉の先、二年前では信じられないほどに規律正しいシャツの着方をした阿原が姿を見せる。ショートリーゼントだった頭は、どうも講師らしいオールバックに切り替わっていて、格好も相まってかそっちの方が似合っている、気がする。

阿原「なんだよ……まだじゃねーか出勤。」

ましろ「いいだろ?……かわいい後輩の初出勤、ちょっとはサービスしたれよ。
それにトピックはかわいいかわいいお前の同級生じゃん?」

阿原「おちょくってんのかァ……?」

嬢「阿原先輩、おひさです。
阿原先輩は知らないんですか?律歌さんのこと。」

阿原は白いシャツの胸元に名札を付け直し、卓上のファイルをばっさと開く。あの事件の後、教育というものに心が折れかけたましろの背中を無理やり押し出し、彼女の師であるプロデュエリストの御子柴 皇一に直談判してまでこの塾の開講を迫ったのは、他でもない阿原と律歌だった。それなのに、卒業後に彼自身の口から律歌の名前が出ることはほぼ無くなってしまった。なんだか自分にはそれがどうしようもなく寂しくて、いつもこの場所にいない彼女のことが、頭から離れなかった。

阿原「おうよ、久しぶり。
でも知らん……本当にどこを漂ってんのかもわかんねえ。」

嬢「そんなあ……。」

阿原「そんなあ、じゃねえよ。
おめえらはあいつの親じゃねえし、そんな手のかかる奴でもねえって。どーせデュエル続けてりゃ、いつかまた会えんだろ。
……それよか____

ぱらぱらとファイルをめくって、今日の授業に参加する生徒の資料を1枚1枚引っ張り出していく。自分で「出勤はまだ」なんて言っておきながら、その目はもう仕事モードに切り替わっている。一見冷たいと思われてしまうかもしれないが、その言葉と態度には阿原自身の律歌に対する信頼があって、「心配なんていらない」と、そんな言葉すら滲んでいるような気がした。

阿原「今日、講座2つだっけ?
Sはオレと嬢でやるよ、初めてだしな。ましろはXでいいよな?」

ましろ「……はいはい、熱心だねえ。」

信頼があって、信用があって、愛があって、それでもどこか寂しげに春は始まる。巡る季節のその先に、新しい物語が始まろうとしていた。彼らの想う先にいる戦友たち。彼らは今、一体、どこで、何をしているのか。









遅刻しそう。いつもだけれど。
新学年が始まって2日。あいも変わらず朝は苦手で、祖父に大人ぶるなと言われながらでも熱いコーヒーを喉に通さないと、動くこともできない。なんとか家は出てこれたけど、今日も髪質は最悪で、腕が疲れるからなんて理由で結び目を肩よりも落としたのが災いしている。15分も歩いていると朝日で瞼が焼けてしまいそうで、もさもさと揺れる髪はシャツ襟の間からの体温と顔に直撃する生暖かい春風をうなじに滞留させていて、気持ちが悪い。

名前は、古池 茉菜。
カナガワ県立葛馬高等学校2年B組、学籍番号4211037。誰だ、と前までのエピソードを読み返す必要はない。初登場なのだから。これが誰かが読んでいる物語だとしたら、この自己紹介以上は何も話が進まないな、と考えながら学校への近道の細い道を進む。誰かに頭の中身を覗かれるようなことはないだろうし、考えるだけで恥ずかしいと捉えることは何もないと、自分は思う。要は、そんな他愛のないことを考えながら登校するほどに暇なのだ。ちょっとペースを上げなければ遅刻しそうではあるけれど。

茉菜(8:24……いけるかな、)

早歩きでこの道を抜けた先、片道2車線のちょっとだけ大きな通りに出る。その通りを左折、道なりに進んで信号を渡った先、校門はもうこそにある。今は8:24前半。このペースで小道を抜けると、ゆきな幼稚園へのバスがちょうど目の前を通過するくらいだろう。高校進学から1年、毎日毎日この道を通ってきた。今は部活動には所属していないが、3ヶ月前までは、土日もこの道を通って来たんだ。1分1秒単位での些細な変化が、自分の頭には入っている。新学期、だけれどいつもと何ら変わらない日常。
今日も何も変わらな______

??「はぁっ、はぁっ!!……そこの…待ってェ!!」

うるさ。
後ろから叫ぶ男の声が聞こえる。誰のこと言ってるのかな、この道すごく狭いんだけど。自分の前には誰もいないし、かといって振り返る気にも、あまりならない。大方この道を知ってる生徒が待ち合わせに置いて行かれたとかそんなところだろうから。というか、ここは住宅街の中だ。いくら朝とはいえそんな声は近所迷惑なんじゃないかと思う。

??「待ってくださいよ、そこのペンギン僧侶……待って!!」

息切れしてる。
「ペンギン僧侶、待って」とはなんだろう。どういう状況で、ペンギンなんてワードが出て来るんだろうか。確かにペンギンは可愛くて素敵だけれど……、誰か後ろにペンギンみたいな人がいるのだろうか。ちょっと後ろを振り返りたくなってきた。と、そんなことを考えた時、自分の肩にかかったバックにぶら下がった《ペンギン僧侶》のストラップが目に入った。

茉菜「え……、ペンギン…僧侶?」

自分のことだった。数秒とはいえシカトしてしまった、やってしまった、と後ろを振り返る。イヤホンとかをしているわけでもなく、本当に声に気づいていながらシカトしていた。振り返った先にいるのは、自分と同じ葛馬高校の校章が縫い付けてあるカーディガンに身を包んだ、1人の少年。中腰で左膝に手を置き、ぜえぜえと息を切らしている。暗い涅色の頭髪は瞼あたりまで無造作に乱れていて、その頭だけでもちょっとむさ苦しく思える。第一印象とは恐ろしいもので、息を切らしながらその頭を見せるこの光景は少々情けなく映ってしまった。

茉菜「あっ……ごめんなさい気づかなかったわ…。
で、わたしに何か______

と、言いかけた時、右手にぶら下がった包みが自分の目の前に押し出される。水色の地にペンギンの模様が入った包み、自分の弁当だった。どういうわけか、登校中に後ろから追いかけてきた少年が、自分の弁当の包みを持っている。

??「お弁当、海月喫茶のおじいさんが忘れたから届けてくれって……頼まれたんですよ!!」

茉菜「ああっ、ありがとう…ございます。」

そう言って少年は、親指を自分の背後の方へちょいちょいと指した。少々言葉を詰まらせながら、弁当を受け取り、肩にかかったバッグのジッパーを開く。少年は中腰からすっくと立ち上がった。胸元にある校章の刺繍、その中心部が緑色だから、まだ1年生だ。当たり前だが自分よりも身長は大きくて、見上げる形になっている。こればかりは自分の背の低さを呪いたいとそんなことを思っていると、1つの違和感に気づいた。

茉菜「あなた、1年生よね?……ここ地元?」

??「……へ?」

茉菜「いえ、この道……地元民でもあんまり知ってる人いないから。
わたしはココ生まれだけど、見たことない顔だし…。」

??「地元……じもと……うーん…」

変な少年だ、と思った。
まるで地元って言葉がわからないみたいな顔で首を傾げているものだから。1つ年齢が違うだけで、申し訳ないけれどここまでわかることわからないことに差が生まれるものなのだろうか。

茉菜「ええと……育ちはここ?」

??「いやえっと……地元って言葉がわかんないんじゃないですよ。
でもなんというか……」

茉菜「……?」

??「むかーーーし、住んでたことはあるみたいなんですよ。でも覚えてなくって……」

やっぱり、変な少年だ。
なんでこの道を知っているのか、その答えを一番最後に置きたい一連のやり取りの中に、よくわからない上に反応に困る情報を突っ込んできた。お弁当を届けてくれた恩はある、けれどあんまりこれ以上は踏み込みたくないな。そんな風に思っていると、少年はにっこと笑い屈伸して続けた。

??「あは、さあせん!!
道の話ですよね、でも学校の方角に近道っぽいのあったら行っちゃいますよ!
……ホラ、遅刻しちゃいますし。」

少年はまたすっくと立ち上がって、なぜか右腕に付けている腕時計を見せてきた。……8:27。
いつもと違う、イレギュラーはすでに起きていた。背筋がゾッとする。ここから学校の玄関まで早歩きで5分かかる。弁当のやり取りの中ですでにゆきな幼稚園のバスは通り過ぎているし、明らかにダッシュしなければ間に合わない状況に、今自分たちは立たされている。……そうか、だから彼は屈伸していたのか。

茉菜「間に合わないじゃない!!」

??「よしっ!走りますよ!!」

そっちは準備万端かい、男子は体力があって羨ましい限りだと、素直にそう思えた。走らなきゃ、今の自分は彼の方向、つまり来た道を方を向いているわけだから、振り返って走らなきゃ。朝髪を結ぶのを適当にしすぎた。全力で走ったら脇かカバンにゴムが引っかかって髪が解けてしまうかもしれない。……じゃない。とにかく、とにかく。

茉菜「とにかく行かな………ぎゃぶっ!!」

振り返って走ろうとした足がもつれ、ターンしながら仰向けにぶっ倒れたのがわかる。
痛い、だけで済めばよかった。弁当をしまおうとして開けた鞄から、新学期ゆえの大量の参考書とノートが、コンクリートに散乱している。少年は数秒間、呆気に取られて動けていなかった。

??「ちょちょちょちょ!!大丈夫ですか!?」

屈んで自分の荷物を拾おうとした少年の手に、無理やり学生証をねじ込んだ。今や県立校といえど玄関に学生証を認証しなければセキュリティのシステムが反応するようになっている。2年半前にあったチバ県での事件もあって、そういった警戒は国から支援されるようになったのだ。とはいえ当の学校は、その学生証を認証するシステムを朝の9時まで時間のみは登校の認証システムとして作動させているのが実情で、つまり学生証さえ玄関に通せば、登校扱いになる。

??「学生証……ええっ、おれだけ走れってことですかあ!?てかいいのそれ!?」

茉菜「いいの!!すぐ追いつくから!
わたし去年無欠席無遅刻の皆勤賞だから、頼んだわよ!!」

捩じ込んだ手で、無理やり少年のふくらはぎを叩いた。まるで騎手が競争馬に鞭打つみたいに少年は『いってェ!?』と声を上げ、しゃにむに走り始めた。ちょっと申し訳ないとは思っている。でもせっかく2年生に、下に命令できる学年になったんだ。こういうパシリはボロが出る前にやっておかねば。と、そういえばこの少年の名前を知らない。学生証を預けたのはいいけれど、1年何組の誰だろうか。

茉菜「ちょっとあなた、名前は!?あとクラスも!!」

遊大「1ーAの樋本ですっ!!樋本 遊大っ!!通しゃいいんでよねえ学生証!!」

少年は走っていく。あんまり足は速くないかな、でも確かにそう叫ぶ声は遠のいていく。名前は樋本 遊大と言っていた。どこかで聞いたこと、あっただろうか。最初こそなんとなく冴えなさそうな男だと思っていたが、こう走らせてみると、そこそこ根性がありそうだなと思える。散乱したノートと参考書、そしてデッキを肩掛けのバッグに入れ直して、自分も小走りで足を動かし始める。何かが、うまく言葉にできない何かが始まりそうな予感が、予想外と共に春風に乗せられやって来た。



続く
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