番外編：夏想・5　作：光芒

「ふぇっ！？」

　高海 遊大という少年は普段の言動やその性格が災いして異性の生徒から恋愛対象として見られることは多くない。それこそ美鈴のように明確な理由がなければそういう目で見られない少年である。
　しかし、その容貌は学内随一と言っていいほど整っており、彼を前にしては、男性アイドルを多数抱える大手芸能事務所の人気メンバーであっても霞んでしまうと言っても過言ではない。取り分け彼と付き合いの深い林檎はそう思っている。そしてそんな遊大の顔があわや鼻が触れるほどの近さまで迫っているのだ。

「高海君、その近い……近いってば」
「……もしかして、俺の顔が近いのは嫌なの？」
「そ、そういうわけじゃなくて……」
「人に嫌なことをしてはいけません、って子供の時に教わらなかった？ 俺は教わったよ。でも林檎は嫌がる俺に女の子の服を着せたよね？ だから……俺は林檎が嫌がる顔をもっと見たい。君の泣き顔を見たい」

　普段の彼であれば、口が裂けても言わないもとい言えないような刺激的な言葉をこれでもかと乱射する遊大。確かに理由こそあれど、遊大はあのメイド服を着せられることを嫌がっていた。見ない、と言いつつ服を着替える彼の後ろ姿をこっそりと覗きもした。個人的には冗談のつもりだったのだけど、と思いつつも遊大にとっては冗談ではなかったのかもしれない。

「あ、あの……ごめん。ごめん、わかったから謝るから。お願い、もう……」
「だーめ」
「っ！？」

　そう言って遊大の唇が林檎の唇に迫る。どうせ唇を奪われるのであれば、本当に愛によって奪われたかった。そんなことを思って目を閉じた林檎の頬に遊大の頬が当たる。本当に男性のそれなのか、と思えるほど柔らかくすべすべな遊大の頬に林檎は思わず腰砕けになってしまった。

「なーんちゃって。冗談だよ♪」
「は、はひぃ……」

　その場にへたり込んだ林檎を尻目に、遊大は台所を後にする。自分に対してこのようなことをするのだから、きっと皆にも同じことをするだろう。特に美鈴がこんなことをされればショック死しかねない。止めなければ、と思いつつも林檎は遊大が頬擦りした箇所に触れる。

（やっぱり……かっこよかったなぁ）

　仲間を守る気持ちよりもトキメキが勝ってしまう。やはり林檎も思春期の少女であった。





＊





「遊大……なんか顔が赤いぞ？ 大丈夫か？」

　戻った遊大の様子がおかしいことに気が付いたのは仁だった。顔が赤いだけではなく、何処か足元が覚束ないのだから違和感を覚えずにはいられない。最初は体調不良か何かなのだろう、と思っていた仁であるが、すぐにそれが誤りであることを思い知らされる。

「ここ、いいかな？」
「えっ、ええ……」

　自分の席があるのにも関わらず、わざわざ礼の隣に座る遊大。するとそこに座るや否や遊大は突然礼の肩をぎゅっと抱きしめたのだ。
　普段の礼であれば、そのようなことをされれば抱きしめた者を張り倒さんとするだろう。少なくとも彼女はそれを平気でできる人間だ。しかし、今回は相手が遊大であること、そして唐突に行われたことであるためかさすがの彼女も対応できなかった。

「ちょっ、た、高海君？……さ、酒臭い」
「礼、君はとても綺麗だ。強く綺麗だけど抱きしめたら折れてしまいそうなほど華奢で儚い。そんな君だからこそ他の誰もが出せない美しさを出せるんだね」
「たたた高海君、どうしたの？ 何か嫌なことでも……」
「俺は儚く壊れそうな君を……壊したい」
「は、はう」

　耳元でそう囁かれた礼は何一つ反論らしい反論をすることなく、顔を真っ赤にして俯いてしまった。デュエルや日々の言動こそ苛烈なものが多い彼女であるが、ここまで一方的にされるがままだったことはなかったため、受けに回ること自体が不得手だったのだ。

「しおらしい礼も……可愛いね」
「ゆ、遊大さん？ 本当に遊大さんなんですか……？」
「遊大、お前マジでどうしちまったんだよ！？」
「ふむ、どうやらアルコールの類を飲んでしまったようだな。舞原、冷蔵庫にそう言ったものが入っていたのか？」
「わからん！ ただまえにきたときのものがのこっているかもしれないぞ！」

　せめて誤飲の危険性くらいは考慮してほしかったものだ、と天を仰ぐ仁。これ以上被害者を増やさないためにも遊大を早急に取り押さえる必要があるだろう。ただ、遊大も遊大でアルコールが入って変に勘が鋭くなったのか、陸と仁が自分を取り押さえようとしていることに気付いたようだった。

「ふふっ、りーく♪」
「んなっ！？」

　遊大は普段の彼からは想像できないような素早さで陸の後ろに回り込むと、彼の腕を後ろから掴みあげた。陸は必死に振りほどこうとするが、何故かこの時の遊大はその細い腕の何処から力が出されているのかわからなくなるほど強い力を発揮していた。

「遊大！ お前何をするつも―――」
「なにって、優しい陸への普段の感謝の気持ちだよ？」

　遊大は陸をそのままソファーへ押し倒すとそのまま陸へ馬乗りする。嫌な予感をその場にいる全員が感じ取ったが、時既に遅し。遊大は自分の唇を陸の唇に押し付けていた。
　その瞬間、留奈と美鈴は奇声を上げ、仁は不快な顔を隠しきれなかった。幸いこれがファーストキスではなかったものの、まさか遊大とこんなことをしてしまうとは思ってもいなかった陸は茫然自失とした状態でその場に立ち尽くしていた。

「おい、それは洒落にならんぞ！？」
「国広さんズルいです！！（大丈夫ですか！？）」
「……留奈ちゃん、俺。汚されちゃった……」
「うわああっ！ 陸ぅぅぅ！！」

　そう言って陸はふらふらと寝室へと向かっていく。今寝れば全部夢だったと思えるかもしれなかったからだ。そんな陸の無念を胸に秘め、残された三人は何としても遊大を止めなければならない、という気持ちを強くした。

「陸おやすみ～、さーて次はどの子から可愛がってあげようかなぁ」
（俺もその中に含まれていると言うのか……だが、ここで舞原と孫にまで手出しをさせるわけにはいかないな）
「よし、ここは俺が行こう。腕力ならあいつに勝てる自信がある」
「いえ、ここは私が行きます。遊大さんに耳元で甘い言葉を囁かれたいですし、思い切り抱きしめて貰いたいです。あわよくば接吻も（大空さんや留奈さんを危険な目に遭わせたくないのは私も同じです！）」

　止めに入ろうとする仁に、もはやどっちが本音でどっちが建前なのかわからない美鈴も加勢する。

「よ……よし、ならばわたしがいくぞ！」
「どうぞどうぞどうぞ」
「どうぞどうぞどうぞ」
「おいっ！ ギャグをやっているばあいか！！」
「今のは冗談です。では私が先陣を切ります！ 遊大さん、さあ私を蕩けさせてください！！」
（あいつぜったい遊大にもてあそばれたいだけだろ）
（もう好きにさせてやれ面倒臭い）

　されるがままだった林檎、礼、陸とは違って自分から向かっていく美鈴。彼女は当然アルコールを口に含んではいないが、普段積極的ではない遊大がこうも向かってくるのだ。この機会を逃せば、次にいつこういうことができるかわからなかった。

「……ふみゅう」
「えっ？」

　しかし、美鈴のその願いは叶わなかった。馴染みのない別荘に呼ばれ、日中は海で時間を忘れて遊びまくったツケがここに来たのか遊大はまるで電池の切れた玩具のようにその場でぱたりと眠りについてしまった。

「そ、そんなぁ！」
「なんとか収まったな……」
「ああ。せかいはすくわれた」

　仁は寝落ちした遊大に肩を貸すと、引きずるようにして寝室へと連れていく。恐らく寝込んでいるであろう陸に危機は去ったということを伝えるのも被害の無かった自分のするべきことであった。一方で遊大にされるがままだった林檎と礼、そしてされるがままにされたかったのにそうならなかった美鈴の三人は言葉を交わさずとも一つのある意志を固めていた。





＊





「おはよう……あれ、陸と仁は？」

　翌日の朝、目覚めた遊大は海に向かおうと着替えを済ませていた林檎ら女子四人と遭遇した。アルコールを誤飲してしまったがために遊大は昨夜の出来事を全く覚えていなかった。今の彼は陸や仁がいつ起きたのかはもちろん、自分がいつ眠ったのかすらわからなかったのである。

「あっ、おはよー高海君！ 国広君と大空君なら一足先にサーフィンに行ったよ！」
「昨日の国広君に触発されたそうよ。仁も波に乗りたかったのね」
「そうなんだ……あっ、先に行ってて。俺も着替えちゃうからさ」
「いや、せっかくだからまっててやるぞ」
「えっ？」
「はい。昨日のお礼がしたいですからね……」

　そう言って遊大にじりじりと詰め寄る女子四人。その目はまるで獲物を追い詰めた肉食獣顔負けのものであった。狩られる立場にあることがわかった遊大は、危険を察知しようとしたが、逃げること敵わず。林檎が意地悪な笑みをしながら持ってきたものを見て顔に絶望の色を浮かべるのであった。

「みんな遅くね？」
「遊大が起きるまで待つと言っていたが……」
（大方何をさせられるのかが想像できてしまう自分が怖い）

　仁の予感は的中した。林檎たちに連れられてやってきたのはウサギの耳を彷彿とさせる大きな黒のリボンと金髪ロングのウイッグを頭につけ、腰回りが露出する丈の短いセーラー服に鼠径部をかろうじて隠す程度のミニスカート。そしてその下は黒の紐ビキニというなんとも言えない水着を着た遊大であった。
　昨夜好き放題やってくれた遊大に対しての林檎と礼、そしてその対象になれなかった美鈴の解答は「反撃」であった。林檎が用意したコスプレ衣装は水着と同じ材質でできていたため、この恰好のまま海で泳ぐことができる。彼女たちが遊大が起きるまで待っていたのは恥ずかしい思いをさせられたことに対する復讐を果たすためであった。

「はい、みんなにご挨拶」
「く……駆逐艦の高海（こうかい）です。スピードならだ、誰にも負けません！ 速きこと高海の如し、で……うわああっ、やっぱり恥ずかしいよー！！」

　因果応報とはこのことを言うのだろう。ただ、それでも似合ってしまっているあたりがこの高海 遊大という少年の恐ろしいところである。ただ、女装していてもコスプレをしていても酒に酔っていても。遊大という人間の魅力は変わらない。遊大は恥ずかしい思いをしているが、今この時もまた彼らの青春の思い出は刻刻と刻まれているのだった。










●後書き
　平成最後の日に書き始め、令和最初の更新がこんなんですいません。元号が変わりましたが、今後もよろしくお願いいたします。ちなみに番外編前編の水着回はこれで終わりです。番外編後編では前編では描かれなかったデュエル三昧となっております。