ラピスの死　作：はにわ改

　
『が……ぐ……』

膝を付いたまま、『黒い』血反吐を床に垂れ流す『ラピス』。
その小さな身体の至るところから、黒く細い煙が立ち上ぼり、更に手の指先からひび割れたかのように亀裂が走る。
その手を己の目の高さまで持ち上げると、不意にその指先が崩れ落ちた。

『我、が……滅び、る……だと……？』

充血した目で透矢を見る。

『よう、やく……再、生を……前にして……』

ーー滅び。
己が仕掛けた闇のデュエルに於いてラグナシアの一撃を浴び、敗北した『ラピス』。
常に余裕の態度を崩さなかった『ラピス』が、最早己の存在を維持できないまでに力を消耗していた。

『崩壊』は止まらず、手が、そして足も先からみるみる砂のように崩れ落ちていく。

ーーそして『ラピス』が力を失った事を指し示すある現象が起きていた。
部屋全体を覆い、外部からの侵入を阻んでいた『結界』が消え、
クリス・舞・蓮華が続々と室内へと入ってきたのである。
クリスと舞は透矢に、蓮華は刹那と久遠の法に駆け寄った。

「ーー透矢くん、大丈夫か！」

「クリス、先生……」

膝を付いた透矢の肩を支えるクリス。

「お前さん、よく頑張ったねぇ……っ」

「舞先生……先生も無事で、良かったっす」

「馬鹿……！
……悪かったね。
あたしがドジ踏んだせいで辛い思いさせちまった」

続けて舞が、感極まったような表情を透矢に向けた。
透矢にとってそれは初めて見る舞の表情だったが、お互い無事であることに笑顔で応える。

「ーー刹那お嬢様！久遠お嬢様！」

そんな中、聞こえてくるのは悲鳴のような蓮華の声。
倒れたままの姉妹の姿に、透矢たちはまだ喜びに湧く時ではない、と思い知らされる。

「ーー舞、二人を診てやれ」

「ああ」

クリスに言われるまでもなく、と舞が二人の元へ走る。
この状況では養護教諭である舞が診るのが、二人の状態を知る上で適任であろう。
透矢は姉妹を一瞥してから、『ラピス』の方を睨んだ。

「ーー約束だ！
刹那を……水花を解放しろっ！」

『ラピス』に訴える。
その『ラピス』の背後ではラグナシアが切っ先を首元に突きつけている。
身体が崩れていき、もはや虫の息の『ラピス』だが、そんな中でも笑みを浮かべて見せる。

『好きに……するが、いい……。
滅び行く、我には……もはや、何の……意味も、ない……』

『ラピス』がそう口にすると、頭上で漂っていた刹那の『魂』が肉体に向かって飛空し、胸元から体内へと入る。
ーーそれを見届けた透矢。

刹那の『魂』は肉体に還ったのであろうか？

ーー刹那がすぐに目覚める様子はない。

一方で透矢に寄り添っていたクリスも動き、『ラピス』の脇を抜けて、祭壇の上の水花の身体を抱き抱えて確保する。
クリスが水花に息があるのを確認し、透矢に向かって頷く。
思えば全ては水花を助けるために、これまでの行動があった。
そして最終的にそれを成し遂げたのは、本来部外者である透矢である。

『ーーく、くす、くす……。
我を、倒した、貴様に免じ、て……“今は”大人しく、消えよう……』

四肢が崩れ去り、顔も崩れ落ち始めた『ラピス』。
もうその必要はない、とラグナシアが剣を引いた。

『これ、で……退屈な、時も、少しは楽しめる……。
待って、いるぞ……か弱き、人、間……。

くす、くすくすくす、くすくす……』

それが最期。
顔が崩れ落ち、程なく胴体も跡形もなく蒸発するように消滅した。
『ラピス』の断末魔を見届け、透矢は気が抜けたように尻餅を付いた。

『……透矢！』

ラグナシアがすかさず透矢の傍まで駆け寄る。
剣が何処へともなく消し去り、自由になった両手で透矢の身体を支えた。

『透矢、よく頑張ったな。
さすが我がマスターだ』

「いや、俺は何もしてねぇよ。
むしろ、ラグナシアや三騎士のみんながいてくれたからーー」

『お前は我々を見事に導き、その先の勝利へと辿り着いたのだ。

……辛かったろう。
無理をするな。
お前には私が付いているからな』

デュエルの時とは対称に、穏やかな口調のラグナシア。
心地よい温もりが透矢の極度の疲労を和らげてくれる。

「ーーよくやってくれた、遊戦名」

背後からの声に透矢が振り向くと、そこにはクロエがこちらに向かって歩いてくる姿。
その右肩には蝙蝠が１羽留まっている。

「君の働きのお陰で、我々は最大の危機を脱したと言えるだろう。
……素直に、感謝している」

「クロエ、先生……」

あくまで淡々とではあるが、礼を述べたクロエ。
それに対して透矢は色々と聞きたい事、言いたい事があったはずだが、
未だ勝負の余韻から覚めていないからか、言葉が出ていかないようだ。

「クロエっ！
貴様、よくもぬけぬけとそんな事をっ！」

クリスが水花を抱えたまま透矢に駆け寄りながら、激しく眉間にしわを寄せる。
だがクロエはそんなクリスを一瞥するも言葉は返さず、今度はラグナシアへ顔を向けた。

「ーー“アレクシア”殿。
ご尽力頂き、心より感謝の意を表します」

『……』

御礼と共に頭を垂れたクロエ。
ラグナシアは……無言。

「ーークロエっ！」

無視された事で更に怒りを募らせるクリス。
ただ事情の全てを知り得ていない透矢は、クリスが何故そんなに怒りを露にしているのか、と困惑していた。

『ーーまぁまぁ、いいじゃありませんの、クリス先生。
トーヤが頑張って下さって、取り敢えず今回の一件は丸く収まりそうですわ』

そこへ口を挟んだのは、クロエの肩にいた蝙蝠。
音を立てながら翼を羽ばたかせ、クリスの周りを舞う。

「こ、コウモリが喋ってるっ？！」

明らかに蝙蝠の口から発せられた声。
やはり事情を知らない透矢は指を差しながらただ驚くしかない。

「エリザ、口を挟むな！
こいつは我々に一言も言わずーー」

『だ・か・ら、いいじゃありませんの。
結果的に“黒の一団”のアジトを潰せたのですし、終わりが良ければ全て良し、ですわ』

「そうはいくかっ！！」

蝙蝠を相手取って激しい口調で声を発するクリス。
するとやはり見間違えではなく、蝙蝠が口を開くと、そこから聞こえる女の声。

「ど、どうなってんだ……」

今日という１日の中で、様々な現実離れした光景を目の当たりにしてきた透矢。
今、蝙蝠が喋っているのもその内の１つに過ぎないのか。
『お姉さん』の事も重なって、最早一人では頭の整理が付かないようである。

『それに……お二人で争っている場合ではないようでしてよ？』

「何……？」

蝙蝠がそう語り、クリスたちに気付かせるようにその場所へ飛空する。
そこには倒れたままの刹那・久遠に深刻な顔で寄り添う蓮華と舞の姿。

「ーー舞っ！
刹那と久遠は？」

クリスが訊く。
見ると、蓮華が膝枕に久遠を寝かせ、
舞は刹那を診ているが、その表情はかなり険しく、どこか焦りも見られる。

「……まずいよ、これ。
このままじゃ、刹那が死んじまう……っ！」

舞が口走ったその一言で、一同に再び戦慄が走った。

「刹那が……死ぬ、だって？」

それを聞いて、透矢はようやく虚ろだった意識を引き戻させる。

ーー『ラピス』は倒した。
刹那の魂は解放され、身体へと還っていったのも見た。
にも関わらず、このままでは死んでしまうという舞の診断。

刹那は助かってはいなかったのか？

透矢が身体をよろけさせながら、刹那の元へと走ったーー。