クロエの策　作：はにわ改

　
「ーーわ、私は反対ですっ！」

ーー同日、クロエの部屋。
クロエの立てた策を聞かされた久遠が椅子を倒しながら立ち上がり、そう叫ぶ。

「何て恥知らずな……！
マナセリア先生、それでも貴方は人の血が通った人間ですか！？」

「ーー久遠！
言葉が過ぎるぞ」

激昂する久遠に、同席するクリスが嗜める。

「……非、人道的、と言われようと、鬼、悪魔と罵られようと、
これが確実な手段なのだ」

「貴方という人はーーっ！」

目を閉じたまま顔色一つ変えないクロエに、益々怒張を高めていく久遠。
そんな久遠の後ろから、蓮華が静かに歩み寄る。

「久遠お嬢様……。
どうか、熱をお冷やしにーー」

「黙りなさいっ！使用人のくせして！」

「ーー久遠っ！！」

心配してくれた蓮華に、八つ当たりするかのような妹を見かねて、刹那も声を張り上げる。
そして姉妹でしばらく睨み合った後、蓮華が立て直してくれた椅子に、久遠は尻を落とすように着座する。

「ーーシェリル、お前はどう思う？」

そして最後の一人、シェリル。
１人、考え事をするように床を見つめるようにしていたが、クリスに聞かれて視線をこちらに戻す。

「……確かに、その方法ならば奴らの本拠を突き止められる期待性は十二分にあるでしょう」

「ーーシェリル！」

「ただ……かなり、賭けになりますね。
もし失敗すればーーそれこそ取り返しがつかない事態になりかねません」

クロエの『策』に賛同するような意思のシェリルに、久遠が睨みを利かす。
リスクがあるということを指摘するあたり、久遠とは違い、冷静に『策』について
考察しているようである。

「ーー久遠。
舞を放っておくわけにはいかないのだ。
そして、既に舞がいなくなって二十四時間。
時間的猶予も少ない」

「だからと言って、そんな非道が許されるとーーっ！」

「これは決定事項だ！
作戦実行日時は明後日。
無論、それまで捜索活動は続行するが、それでも見つからない場合は、この作戦を実行する」

「く……っ！

お父様に……お父様に言いつけてやる！
こんな非道、お父様が認めるはずがーー」

「悪いがーーお前の父上には既に根回しは済んでいる。
それしか手段がないならばーーと、賛同して下さったよ」

「そ、そんなーーう、嘘ですわ！」

「そう思うなら今からでも、電話でも何でもして、聞いてみるといい。
私の言ってることが虚言かどうか、はっきりするだろう」

久遠の勢いがやや、衰える。
彼女の最後の拠り所、として期待していた父は何とクロエに賛同している、というのだ。
クロエの佇まいを見れば、それが誤魔化しやハッタリでは無いことは直ぐに察する。

「……刹那、お前はどうだ。
お前も私の策に反対するか？」

ふと、クロエが刹那に聞いた。
久遠も姉を見る。
そして期待を姉に移したのだ。
姉だってきっと自分と同じ意見なはず、と。
そして姉が自分と賛同してくれさえすれば、まだクロエの『策』を突き返すことが出来るかもしれないとーー。

ーーが、しかし。

「……分かりました。
私はクロエ先生の策に従います」

「お姉さまっ！？」

「ーーよし。
この作戦の実行にはお前の協力が不可欠だからな。
抜かりなく、頼んだぞ」

「……はい」

刹那はクロエに賛同した。
同時に久遠の味方は誰もいなくなったのだ。
ーー結局、久遠の反対の声は一切取り上げられることなく、作戦の実行は確定となったのだ。


ーーそしてクロエの部屋を後にする刹那と久遠、そして付き添いの蓮華。
自分の意見が一切受け入れられなかった事に、未だ腹の虫がおさまらないのか、久遠は姉を睨む。

「ーーお姉さま、見損ないましたわ」

「久遠……」

「まさかあんな馬鹿げた策に賛同するなんてーー呆れて物も言えないわ」

「……仕方ないわ。
舞先生を助けるためには……これしかーー」

「だったらお姉様が代わりにやったら？
『囮り役』」

「私では、奴らは動かない。
でもあの子なら、きっと動いてくる。
この役目はあの子でなくてはならないのよ」

「最っ低……！
ずっと一緒に住んできた家族も同然なのに、よくもそんな冷徹なこと、さらっと言えるわね？！」

「……そう、かもね」

申し訳なさそうな、刹那の表情。
加えて妹の辛辣な言葉が刺さるのか、自分を睨む目を見ることはできない。

「ーー久遠、お嬢様。
もう、それぐらいにーー。
……お嬢様方のそのような姿を見るのは辛うございます」

後ろから二人に付いていく蓮華が口を挟んだ。

「……ふん。
何よ、それ。
家族にでもなったつもり？」

「……いえ、私はーー」

「所詮、あなたはお父様に言われて私たちに付き添ってるだけのただのお目付け役でしょ？
だったら一々、保護者面してとやかく口を出すの止めてくれません？！」

久遠のその言葉が刹那の逆鱗に触れた。
刹那の平手が久遠の頬を強く叩きつけ、通路の壁へと弾き飛ばす。

「ーー久遠っ！
蓮華さんに何てことを！
謝りなさいっ！」

「また……殴った……！
お姉さまが……私を！」

「蓮華さんは小さい頃から私たちの面倒を見てくれた、大事な家族よ！
それを……あなたは！」

「お、お嬢様……！」

涙を滲ませながら、妹を叱りつける姉。
その妹の目にも、殴られた頬の痛みからか、あるいは別の要因からかーー、
一筋の水滴が伝う。

そして心配する蓮華が久遠に駆け寄ろうとしたところで、久遠はそれを拒むように駆け出す。

「ーーお、お嬢様！」

蓮華の呼び掛けにも応えず、久遠は１人で行ってしまった。
その背中を何もせず見送った刹那は、思わず殴ってしまったその平手を見つめながら、まるで痛みを堪えるかのように、手首を抑える。

「久遠……」

どうしてこうなってしまうのか。

何故姉妹の、それも双子の自分たちの気持ちがこんなにもすれ違うのかーー。

刹那は大切なものを失った、その強い喪失感にただ肩を震わせていたーー。






ーーその頃、透矢は１人ホテルのロビーで紙コップに入った無料のコーヒーを片手に佇んでいた。
夜の時間。
ロビーにはたまたま人の出入りも少なく、静かな空間で和むように上を見上げるようにしている。

元々、彼の性格ならば静かな処より賑やかな処、であるが、
今は違っていた。

手に持った温かいコーヒーをふと、見つめる透矢。

「ーー暗木先生、何処に行っちまったんだ……？」

昨日の事を思い出す透矢。
真希と二人で話していた最中、舞はこうして同じコーヒーを持ってきてくれて、更に真希を激励してくれた。
普段はぶっきらぼうだが、生徒の事をちゃんと見てくれている、という刹那の言葉を実感させられた瞬間だった。

ーーだから、気になる。
舞は何処に行ったのか、と。

「本当に……暗木先生がーー？」

ここに来る前、透矢は暗木の部屋を尋ねている。
しかし何度呼び掛けても応答はない。
あるいは何処かに出ているのか、とホテル内をひとしきり探してみるものの、やはりいない。

そこで気になってくるのが昼間に聞いてしまったクロエの電話。
クロエが口走った舞と誘拐、という組み合わせ。

まさか本当に舞は誘拐されてしまったというのか？

ならばクロエはそれを二日酔い、と自分たちに嘘をついたのか？

クロエは何故隠そうとするのか。

クロエが話していた相手とは誰なのか？

「大会に集中しろ……か。

そりゃねぇ……よな」

クロエを問い詰めた時に、激しい剣幕でそう言われたのを思い出す。
だが透矢にしてみれば、気にするな、という方が無茶な言い分である、と。
そう言うならいっそのこと、たとえ嘘でも何らかの説明をしてほしかったーー透矢は勝手な事と知りつつも、そんな風に考えたりもした。

ただ舞の身に何らかのアクシデントが起きてるのは間違いない。

それはあのクロエの振る舞いからほぼ間違いはないだろう。

「でも……俺に何が出来るんだーー？」

ーー世界大会一日目が終わり、ホテルへ帰るのと同時に、クロエは何処かに出掛けてしまったらしく、まだ聞くことも話すことも出来ていない。
真実を確かめていない以上、真希たちに相談もし辛く、透矢はただ無為に頭を悩ませていた。

「ーー透矢くん？」

「え？」

不意に呼ばれた透矢がやや間の抜けた返事をする。

「刹那？」

「透矢くん、どうかしたの？
こんな処で１人でいるなんて」

声の方角に立っていたのは刹那だった。
その刹那から透矢の方へ歩み寄ると、その隣に立つ。

「刹那こそ、どうかしたのか？」

「私？
ちょっとクロエ先生とね」

「クロエ先生と？」

「うん。
大会は一回戦は無事勝ち上がったけど、これからまたどう戦っていくか、とかね」

「そうなんだ」

「うん。
で、ようやくそれも終わってこれから寝ようかな、って」

笑顔を向けながらそう答えた刹那。

「透矢くんは？
もう寝てるのかな、って思ってたけど。
コーヒーなんかこんな時間に飲んで……夜更かしは駄目だぞ？」

「いや、ちょっと考え事をさ」

「考え事？」

透矢は刹那がクロエと今まで話していた、というのを聞いて、クロエがもう部屋には帰っている事を、と知らされる。

加えて、刹那ならば件の事について、クロエに話を通しやすいかもしれない、と考え直す。
クロエと対等、とは言いすぎだが、刹那が相手ならば無下にはしないだろう、と。

そう考えた透矢が改めて刹那の顔を見たーーその時。
彼女の顔のちょっとした異変に気付く。

「刹那、どうかしたのか？」

「え？何で？」

「跡、ついてんぞ」

「え、あ……」

透矢が親指で軽く刹那の右目の下辺りを擦る。
透矢のその行動に驚きつつも、目から頬を伝った『跡』を見られてしまった事に、刹那はばつが悪そうに顔を反らす。

「クロエ先生と言い争いでもしたのか？」

「う、ううん、そうじゃない」

「だよな。

……じゃ、何で？」

聞いてくる透矢に困る刹那。

「ひょっとして、久遠、か？」

「え……」

「いや、さ。
刹那がそんな顔するなんて、久遠の事ぐらいしか、俺は知らないからさ」

見事に見抜かれた事に、刹那はもはやそれを隠すことは出来ない。
刹那は肯定も否定もしていないが、その反応を見れば、透矢が自分の予想がほぼ当たっているということはすぐに分かった。

「相変わらず……変なところで、よく気付くんだね、透矢くんって」

「……悪い。
別に詮索とかしてるわけじゃないんだけどさ。

友達が……泣いてた、って知ったらやっぱ気になるしさ」

「そっか……」

どこか、安心したようにうっすらと微笑む刹那。

「また、喧嘩、したのか？」

「……」

「昼間はさ、なんだかんだで仲良さそうにしてたから、案外、仲直りしたのかな、って思ってたんだけど」

刹那と久遠の姉妹関係を少なからず知る透矢。
刹那はさっきの事を思い出してか、表情が沈む。

「ーー私、やっぱりいいお姉ちゃんじゃないのかもしれない」

「何言い出すんだよ」

「さっきも……久遠の味方になってあげられたら良かったのにーー。

私、あの子の言うとおり、いい子ぶってるだけなのかも、しれないな……」

そう語る刹那だが、断片的過ぎて透矢には理解し難い。

「でもね、私は自分の信じる事を精一杯やりたいの。
あの子は受け入れてはくれないかもしれないけどーーそれでも、それでも……私は！」

透矢を見つめながら、思わず力を込めた己の思いを語った刹那。
透矢が驚いているのを見て、刹那は我に返る。

「ご、ごめんなさい、私ったらーー」

「んー、まあ、俺には正直刹那が抱えてるものは分からねぇけどさ。
刹那がそうと決めてるんなら、それでいいと思うぜ？」

「透矢くん……そう、なのかな？」

「そこに久遠が絡んで来るんだ、としたら、
後は刹那が……その何てゆーか……どっちにどれだけ、重みを傾けるか、って事だろ？」

「……うん」

「ま、刹那がどうしようと、俺はその意見を尊重するよ！
自分が決めたんだからさ。
刹那にとってもきっとそれが一番いいはずさ」

刹那の事情は分からないが、それでも励ましの言葉を送る透矢。
そんな透矢の服の裾を掴んだ刹那。

「本当に？
本当に、私……自分の決めた事に突き進んでいいのかな？」

「刹那……」

「透矢くんはーー私の味方でいてくれるの？」

念を押すように刹那。

「……ああ。
俺は刹那の味方だ」

「透矢……くん」

「なあ、もしあれなら話してみろよ？
俺なんかで良かったら、今日はいつまでだって付き合うぜ？」

そう言ってくれた透矢に、刹那は首を横に振ってから、穏やかに笑いかける。

「ううん、大丈夫。

なんかまた透矢くんに……勇気、もらっちゃったな」

「勇気？」

「あはは！
ねぇ、透矢くん。
もうちょっとお話ししよ？
お互い、睡魔に襲われるくらいまで、ね？」

「ああ、俺は別に構わないけどーー」

ーーそれから透矢と刹那はしばらく二人で拙い会話で一応の盛り上がりを見せた。
とはいえ内心、透矢は刹那の内に抱えるものが気になっていたのだった。