嵐の日の前夜　作：はにわ改

　
「ーー舞が拐われて、四十八時間……か」

ーーその日の夜、クロエの部屋。
クリス、刹那・久遠姉妹、シェリル、蓮華が集められた中、
背を向けるクロエが窓から街のイルミネーションに彩られた夜景を眺めながら、ふと呟いた。

「ーー上層部と取り決めた期限まであと二十四時間。
舞の体力を考えても、恐らくそれが限界と言ったところだろうな」

クリスが頷く。
するとクロエがカーテンを閉め、一同の方へと振り返った。

「ーー刹那。
根回しは済んでいるな？」

聞かれた刹那が頷く。

「はい。
ーー抜かりなく」

刹那が答えた。
刹那はほんの十数分前までは、自らの部屋に透矢たちを集めて、
明日の２回戦の選抜メンバーを決めるべく、話し合いをしていた。

その中でクロエの『策』に則ったある意向を通し、それを確定させたのである。

「……うむ。

ーーところで、頭の怪我は大丈夫なのか？」

「ご心配なく。
明日の『作戦』には支障は来しません」

刹那の額に巻かれた包帯。
昼間、会場で怪我を負った彼女は、一度市内の病院に行き、治療を受けている。
本人の言うように、ただの打撲による軽い裂傷であるが、
その姿を見た者は当然だが、一様に心配させてしまっていた。

刹那の言葉に、クロエは妹の久遠を睨む。

「ーー久遠、やってくれたな」

「はい？」

「まさか、とは思うが『あれ』は私たちに対する反抗、ではあるまいな」

「何のことですか？」

「惚けるな。

ーーお前のせいで会場の一部施設が損害を被った。
加えて、相手の生徒は入院したそうだぞ」

「私のせいだと仰いますの？」

悪びれる様子もなく、久遠が淡々と答える。

「ま、明日の大会２回戦に支障ないようだから、不幸中の幸いだがーー。

これ以上、問題は起こしてくれるなよ」

「ーーお前は、明日『作戦』には参加するな。
しばらくおとなしくしていろ」

クロエ・クリスが続けざまに、険しい表情・脅すような口調で久遠に釘を刺す。

「ーーふん、元より私は明日の『作戦』には賛同してませんわ。

こっちこそ、参加しようなんて思っておりませんから、ご心配なくどうぞ」

「ーー久遠！」

わざとらしく、顔を背ける久遠に、刹那が激を飛ばした。
だがクロエはむしろ安心したように息を吐く。

「ーーああ、そうしてくれると助かる。
大事な作戦に、１人でも足並みを乱すものが居られては、致命傷に成りかねんからな」

「ーーふん」

「いつまでも、子供みたいな振る舞いをせず、己を戒めることだ。
でなければ、お前はどんどん孤立するだけだぞ」

「ーー余計なお世話ですわっ！」

立ち上がり、激昂する久遠。
そしてそのまま足を駆け出させ、部屋から出ていってしまった。

「久遠っ！」

刹那も立ち上がりそうになるが、それを蓮華が制する。

「ーーお嬢様。
私にお任せください」

「蓮華さん……」

蓮華は刹那の返答を待つことなく、そのまま久遠の後を追って部屋を出ていった。
刹那も本当は後を追いたいが、それを必死に堪える。

「ーーふ。
全く……困ったものだ」

肩を竦めるクロエ。
刹那は何かを言おうと、クロエの方に振り返るが、やはり自分を抑えてしまう。
それを知ってか知らずか、クロエは刹那には何も言わずに、ふと椅子に腰を下ろした。

「ーークリス。
アラスカ・アカデミア『を名乗る』連中は今、どうしてる？」

「何も。
自室に籠ったきり、静かなものだそうだ」

「ふ……正体を隠しているつもりか。

本来なら即、正体を暴いて晒し者にしてやるところだがーー。
今度は我々が奴等を利用してやろうではないか」

「ーーああ。
今まで、何度となく遅れを取らされた借り……まとめて返してやる」

「明日、奴等がどう出るかーー楽しみだよ」

眼鏡を外して不敵に笑うクロエ。
そんなクロエに何を感じたのか、刹那は顔を伏せていた。




ーー時刻は遅い時を刻み、もう床に入っていなければならない時間。
だが一度ベッドに入りながら、寝付けないでいた透矢が、部屋から抜け出し、
階段付近の休憩室でコーヒーを片手にぼんやりと天井を眺めていた。

「ふぅ……」

息を吐く。

２回戦を前に、緊張して寝付けないのではない。
刹那が怪我した事や、舞の安否、自分が襲われたり、と海を渡ってここに来てから、色んな事が立て続けに起きている。
そのため、彼の頭の中は整理が付かない状態であり、そのせいで気分も落ち着かない。

世界大会、という大舞台に参加できたことで、当初は期待に奮えていた筈なのに、
今は解決しない事が頭を巡り、世界大会に集中出来ないのだ。

「どうしたもんかな……」

だからといって、このままこうして夜更かししていても仕方がない。
無理にでも寝るようにしよう、と立ち上がろうとした。

「ーーん？」

そんな時、誰かの走るような音が聞こえてくる。
すると向かい合う客室に挟まれた廊下から、こちらに駆けてきたのは見知ったその顔。

「刹那ーーいや、違うな。
お前、久遠……だよな」

「と、透矢くん……」

一瞬、姉の刹那と思わせて、実は妹の久遠である、と見分けた透矢。
その久遠は何故透矢がいるのか、という表情を見せる。
だがすぐに自分が走っていた理由を思い出した久遠は、咄嗟に透矢の手を掴むと、彼を連れて物陰に隠れる。

「お、おいおい、何だよ、久遠？」

「しっ！」

有無を言わさず巻き込まれた透矢が、当然久遠に訊くも、人差し指を口許の前で立てられて、
彼も同じように物陰から辺りを窺う。

すると久遠が来た方向から現れたのは蓮華。

「おい……あれ、お前を探してるんじゃねぇのか」

「見ての通り」

久遠を見失ったからだろうか、仕切りに周囲を見回している蓮華。
その姿に出るべきなのでは、と透矢も思うが、久遠にも何か逃げる理由があるのかとも考えて、戸惑う。

そうしている間にも、蓮華はその場から立ち去り、別の場所へと久遠を探しに去っていった。

ホッと胸を撫で下ろした久遠は、透矢の手を引いて物陰から出ると、透矢に笑顔を向ける。

「ありがとう、透矢くん。
声、出さないでくれて」

「いや、礼なんて。
むしろ、蓮華さんに悪いことしちゃったよな」

「いいのよ。
どーせ、あの人だって両親に雇われて、私たち姉妹の面倒見てるだけなんだから」

「そーか？
なんか、本気で心配してるようだったぜ？
てゆーか、そもそも何で蓮華さんから逃げてたんだよ」

久遠に礼を言われるも、透矢には罪悪感が沸き上がる。
これで久遠に非がある理由ならば、久遠を匿った自分はとんでもない事をした事になる、と。

「そんなことよりも、さ。
透矢くん、たまには私にも付き合ってよ。
いっつもお邪魔虫が引っ付いてて、そんな機会ないんだし」

「お邪魔虫って、お前なぁ！
それよりも、まず俺の質問に答えろよ」

「いーや！
私に付き合ってくれるなら、教えてあげてもいいケド」

「あのなぁ……お前、俺なんかと遊んでていいのかよ？
刹那が頭、怪我してんだぞ？」

「だから？
本人が大丈夫だ、って言ってるのに無闇に私たちが心配しても仕方ないじゃない」

「いや、そりゃそうかもしんねぇけどーー」

透矢のその態度に、久遠が急激に不機嫌になったかのように眉を寄せる。

「ーーふん、もういい！
所詮、透矢くんもお姉さまがいいんだ」

「何でそうなんだよ。
俺はただ、少しはお前も姉ちゃんを気遣ってやれ、って言ってるだけでさ」

「あーもう、うるさぁい！
だったら、透矢くんがお見舞いでも何でもしたらいいじゃない！
あたしに振らないでよっ！」

「何だよ、その言い方は！
だから昼間、真希にも殴られるんだろうがっ！」

「ふんっ！
どうして私の周りの人間って、みんな私のやり方にお節介な口出しするのかしら。
本っ当に腹立つ！」

「そりゃあ、お節介っつーなら、悪いかもしんないけどさ！
俺も真希も、お前たちが心配なんだよ」

「それが余計なお節介なの！

ーーてゆーか、透矢くんが本当に心配してるのはお姉さまで、私なんて精々、『ついで』でしょ？」

「んな事ねぇって！
お前が勝手にそんな風に思ってるだけだろーが！」

「ーーだったら、少しは私のわがままも聞いてよ！！」

「く、久遠……」

ーー夜。
休憩室で大声を出し合う二人。
特に久遠が感情を剥き出しにする。

「みんな……みんな、私に『あーしろ、こーしろ』って言うばかりで、誰も真剣に私の話なんて聞いてくれないっ！」

「……」

「誰も私のことなんて見てくれないっ！
みんな、『お姉さま、お姉さま』よ！」

あるいは久遠の本音だろうか。
少なくとも透矢には、彼女の生の叫びが聞こえたような気がした。

「ーー分かったよ。
だったら、話してくれ。
俺でいいんなら、いくらでも付き合ってやる」

「何よ、今度は同情？
そんなのちっとも嬉しくないわ」

「お前なぁ、じゃあ俺にどうしてほしいんだよっ！」

いい加減、面倒くさいーーそんな透矢の本音が表情にも怒りとなって表れる。
すると久遠は透矢に向かって一歩踏み出すと、その胸に手を置いた。

「だったら……だったら、透矢くん、私だけを好きになってくれる？」

「はぁ？好きに……って」

「今だけでも、お姉さまじゃなくて、私のことだけ、見てくれる？」

「久遠、お前……」

刹那と久遠。
姉が妹を思うのに、妹がそれに応えてくれない理由。
それは姉自身が、前に透矢に打ち明けていた事に関係してくる。

久遠が口にしたそのたった１つの『わがまま』。

それが解消されない限り、変われないのかもしれない。

ただ、透矢もそんな久遠の訴えに即答できるはずもなく、目を反らしてしまう。
その透矢の反応を見た久遠は、唇を噛むと、透矢の胸を押して突き飛ばしたのだった。

「ーー馬鹿っ！」

そしてそう声を発して、久遠は走り去ってしまった。
透矢はそれを呼び止めようとしたものの、それは叶わず。
尻餅を付いたまま、透矢悩むように頭を抱える。

「何なんだよ……『私だけ』、『私だけ』って……。
言う相手、間違ってんじゃねぇのか？」

久遠の抱える感情が、何故、出会ってまだ日も浅い自分に注がれたのか。

透矢はまたひとつ、解消出来ない悩みを増やし、寝付きを悪くするのだったーー。