眠り姫　作：はにわ改

　
『ラピス』を倒し、無事に水花の救出に成功した一行だったが、再び緊迫した空気が辺りを張り巡らす。

「せ、刹那……！」

地面に横たわる刹那を、傍で膝を付いた透矢が見下ろす。
瞼が閉じられ、それはあたかも眠りに付いているだけのようにも見えるが、
呼吸の音は全く聞こえては来ず、胸の起伏も見られない。

「舞、刹那が危ないとは、どういうことだ！」

透矢に続き、駆け寄ったクリスが舞に訊く。
その腕には水花の身体が抱えられたままだ。

「……言葉の通りさ。
このままじゃ、もうあと幾ばくも刹那は保たないよ」

「も、保たないって……」

舞の深刻な表情。
普段彼女が見せない表情だからこそ、一層それが強調されて伝わる。
透矢はただ舞と刹那を交互に見るばかりだ。

「ーー舞。
久遠の方はどうなのだ」

クリスに続いてクロエが歩み寄り、変わらず冷めた表情で尋ねる。
その右肩には蝙蝠が止まり、まるで傍観者のように今の様子を眺めているようだ。

「……久遠は、心配いらない。
肉体的なダメージは大きいけど、命に別状はない。
傷さえ治せば、すぐに目を覚ますだろうさ」

舞が答え、透矢はふと久遠を見る。
すると蓮華が膝枕に久遠を寝かせ、１枚のカードを額に宛がうようにしている。
そのカードは『治療の神 ディアン・ケト』。
ライフを回復する効果を持つカードであり、それが『Ｒ・Ｅ・Ｃ』によって現実的な効果をもたらし、久遠の身体を癒しているようである。
実際、酷い怪我を負っていたはずだが、今は目に見えて分かるほどにその傷口は塞がっていた。

「でも刹那は、肉体的よりも精神的なダメージが大きい。
今の刹那に、自分の魂を内に繋ぎ止めとくだけの活力、ってもんが足りないのさ」

一方、刹那は外見的には傷付いた様子はないが、
舞の説明によれば内面的なダメージが大きいということか。
だが目に見えるものではないため、透矢にははっきりとそれは伝わらず、また把握もしづらい。

「と、とにかく、刹那の命が危ないんなら、早く治せる場所にーー」

「駄目だ。
それまで刹那の身体が保たないよ」

「じゃ、じゃあ、久遠みたいに何かカードを使って、回復とか出来ないんっすかっ？！」

「それも駄目さ。
今の刹那は生きるための根本的な活力、
生命エネルギーってもんが、枯れちまった状態なんだ。
いくら回復したって、それを繋ぎ止めるための活力が無きゃ意味がないのさ」

「そ、それじゃあ、どうすればいいんですかっ！？
このまま刹那が死ぬのを黙って見てろって言うんですかっ？！
何か……何か方法はないんですかっ？」

責め立てるように透矢が舞に問いかける。
すると難しい顔のまま、やや間を置いてから舞は切り出した。

「１つだけ……方法があるよ」

「あるんですかっ？」

「誰かが刹那に活力を直接、補給してあげりゃいいのさ」

「活力を補給……って、どうやって？」

更に訊く透矢に、舞は突き出した右の握り拳で人差し指を上に立てる。

「……『マウス・トゥ・マウス』さ」

「ま、まうす、とぅ……？」

「口移し、ってヤツだよ」

何故か舞の表情がにやける。
そしてその方法に透矢の目が一瞬点になったと思いきや、すぐにかっと大きく開いた。

「く、口移しって、そ、それはつまり……誰かが、刹那と……」

「そーそー。
キスする、って事だぁね」

「ほ、本当に……？」

「考えてみな？
人口呼吸だってそーだろ？
こういうのは、口移しが一番効果的なのさ」

「そ、それと今の状況は、違うよーな気が……」

「うるさいね！
とにかく、刹那を助けるためにゃそれしか方法がないんだ！
それも緊急だよっ！」

強引のようにも思えるが、舞の言葉とあっては透矢も真っ向から反論は出来ない。

「暗木様！
それでしたら是非私がお嬢様に！」

蓮華が名乗り出た。
刹那を心配し、助けたい一心なのだろう。

「いや、駄目だ。
この方法は異性がやるのがより効果的なのさ」

「い、異性……って」

「この場にいる異性は……お前さんしかいないねぇ？」

舞が透矢をじっと見ると、一同の視線もそこに集まった。
すると遅れて把握した透矢が思わず後ろに仰け反る。

「ちょ、ま、まさか！
俺にやれ、って言うんじゃないでしょーねっ？！」

「他に誰がいるんだい。

おら、さっさっとしな」

「で、出来るかっ！

意識を失って動けない刹那に黙ってそんなこと……っ！」

「そ、そうです！
お嬢様のお世話係の私と致しましても、とても承服出来ません！」

「やらなきゃ刹那は死んじまうんだ。

ほら、早くしないと手遅れになるよ」

透矢・蓮華がとんでもない、と訴えるも舞にそう言われて、二人はお互いを見合う。
透矢はどうしたらいいのかと視線で問い掛けるが、蓮華は冷ややかに睨み返してくるだけだ。

「（おい……舞の言ってる事って本当なのか？）」

「（知らんな。
人体の事に関しては私は専門外だ）」

『（くすくす……でも、トーヤがどう出るか見ものですわ）』

クリス・クロエ・蝙蝠（エリザ）が傍観を決め込みながら、小さく言葉を交わしている。

「ほら、早くしなってのが分からないのかい！
刹那が死んじまってもいいのかい！」

「……っ！」

決断を急いてくる舞に透矢は戸惑いつつも、このまま指を咥えてはいられないと、刹那に身体を近付けていく。

「ほ……本当に……本当にこれしか方法がないんですね？」

「くどいよ。
何さ、たかがキスの１つや２つ、減るもんでもねぇだろ。
ったく、じれったいねぇ」

最終確認をする透矢。
舞は慣れた仕草で煙草をふかしながらそんな事を言う。

次に透矢は蓮華を見た。

「あ、あの……」

透矢はまるで許しを求めるように、声を漏らす。
すると蓮華は１度咳払いを挟んだ。

「ーーお嬢様を助けるためです。
この場は見ない振りを致します」

「で、でも……」

「ですが、あくまでこれは治療行為です。
もしお嬢様の唇を必要以上に汚すような事をなされば……お覚悟を」

肉を切り裂くような鋭い眼差しで見据えてくる蓮華に、透矢は渇いた笑いで茶を濁そうとする。

ーーともあれ、どうやら自分がやらなければならないようだ。

透矢は更に刹那へ顔を近付ける。

ーー普段は全く意識しない刹那の唇。
薄紅色の唇を見つめていると、やはりというべきか自然と鼓動が高鳴る。

「早くしなよっ！
ったく、男らしくないねぇっ！」

「わ、分かりましたよっ！
やりゃいいんでしょっ、やりゃあ！」

苛立ったように煙草を地面に叩きつける舞に、透矢も半ば怒り気味に覚悟を決める。

「刹那……すまん」

意識のない相手に謝る透矢。

刹那は初めてなのだろうか？

仮にそうだとしたら、自分が断りもなく奪ってもいいのだろうか？

いや、しかし人命が懸かっている。
そんな事を言っている場合ではないのだーー。

ーー２つの顔が近付き、やがて互いの唇が接触を果たす。
それを目の当たりにした蓮華は不意に川のような涙を流した。

「ああ……御主人様、奥様、申し訳ございません。
私が付いていながら、御婚礼前のお嬢様の操を御守りできずーー」

メイドとして世話を務め、同時に慈しんできた刹那の唇を奪われた事を詫びる蓮華。
そんな時、彼女の膝枕に頭を乗せていた久遠の瞼が動いた。

「ん……」

「ーーはっ！
久遠お嬢様っ？！」

「うぅん……れ、蓮華、さん？」

「久遠お嬢様っ！
ああ、良かった……！
御意識が戻られたのですね！」

目を開いた久遠に、蓮華は涙を拭い満面の笑顔で迎える。

「私は……一体……？」

「お嬢様、ご無理をなさらず。
急に起き上がられては……」

起き上がろうとする久遠を蓮華が１度は制するが、それでも身体を起こした久遠。

「ーー大丈夫か、久遠」

「クロエ、先生……」

「お前は『ラピス』によって気絶させられていたのだ。

……どうだ、身体に異常はないか？」

「そう、か……私はーー」

頭痛を抑えるように額に手を当てる久遠に、蓮華が心配そうに寄り添う。
するとそんな目覚めたばかりの久遠がふと前を見ると、その視界に飛び込んできたものーー。

「なーーっ？！」

倒れている姉に、傍らに座り込んだ透矢が覆い被さるようにして顔を落としーー。

唇が接触している。

「な……な、な……」

久遠が両手を地面に付いてわなわなと身体を震わす。

今はアメリカに住む身である久遠にすれば、その行為自体珍しい光景ではない。
人前で頬などに口付けするなど、日常の挨拶代わりとも言えるだろう。

だが、だがしかし。

家族であり姉である刹那が、唇を奪われているその光景はさすがにただ事ではない。

「と、透矢くん？！
な、何？何してるのっ！？
何でお姉さまにそんなことーー」

「久遠お嬢様っ！」

「な、何すんのよ、蓮華さん！
は、離してっ！！」

平静を失い、地を出しながら体を動かす久遠を蓮華が抑える。

「あれは……あれは、治療行為でございます。
刹那お嬢様を助けるためのーー」

「はぁ？
何、馬鹿なこと言ってんのよっ！
何でキスすんのが治療行為なわけ？」

「起きて早々、うるさいやつだねぇ。
後でちゃんと説明してやっから、黙ってみてなよ」

「ま、舞先生っ？！
い、いつの間に？

そ、そんな事よりも、今、説明しなさいよっ！」

舞が無事助かった事を知る前に気絶した久遠は、その姿に一瞬驚かされるが、
それよりも今のこの状況の方が彼女にとって大事である。
だが舞はそんな久遠を無視して、また新しい煙草に火を付けた。

「ーーよし、もうそんくらいでいいだろ。
遊戦名、ご苦労さん」

舞に言われて、透矢は刹那から口を離す。

「ま、舞先生の言うとおりにしましたよっ！
これで刹那は助かるんですかっ！」

「ああ、今、診るよ」

煙草を咥えたまま、再び舞が刹那の身体を触診する。
胸元、首筋、手首、と右の指２本で触れていくと、何かを感じ取ったように頷く。

「よし、生気が戻ったね。
時期に目を覚ますよ」

「ほ、本当に？

ーー刹那、おい、刹那！」

透矢が刹那を呼びながら、身体を揺さぶる。

やがてーー。

「ん……」

「刹那っ！」

「お姉さま！」

「お嬢様！」

声が漏れたのを聞き逃さなかった三人。
固く閉ざされた瞳が、今ゆっくりと開く。
そして彼女が最初に見たものはーー。

「とう、や、くん……」

「刹那……！」

透矢に助けられながら、ゆっくりと身体を起こす刹那。
久遠、蓮華も傍に寄る。

「私……ライフを０にされてーー」

目覚めたばかりなのに、すぐに最後の記憶を呼び起こしていく刹那。
そうしていく中で、すぐに彼女ははっとさせられた。

「と、透矢くんっ！
ら、『ラピス』はっ？！」

身を乗りだし、鬼気迫るような表情で透矢に訊く。
すると透矢はそんな刹那に穏やかな笑顔で応えた。

「……勝ったよ。
お前のお陰でな」

「勝った……？
本当に？
本当に……？」

「ああ。

ーーありがとな。
刹那が最後に俺にバトンを渡してくれたから、最後まで走る事が出来たんだ。

みんな、お前のお陰だよ」

それを聞いた刹那の表情から一瞬力が抜けると、
まるで張り詰めていたものが一気に解放されたかのように、双眸から熱いものを溢れ出させた。

「ーー透矢くんっ！！」

そして無意識に動いた身体が透矢の肩に手を回し、全体重を預けてくる。
透矢は一瞬慌てつつも、しっかりその身体を受け止めた。

「信じてたっ！
透矢くんならきっと……きっと勝ってくれるって！」

「おいおい、落ち着けって。
泣くことねぇじゃねぇか」

「透矢くん……透矢くんっ！」

「んだよ……参ったな……」

力強く抱き締めてくる刹那を振りほどく力がない透矢。
仕方なく顔の横で赤子のように泣く刹那が落ち着くまで、そのままにさせてやることにする。

舞、蓮華は互いにアイコンタクトを交わして穏やかに微笑み、
クリスとクロエも顔を見合わせるが、すぐにクリスが思い出したように顔を反らす。
クロエはやれやれ、と頭を掻いていると、その横で蝙蝠（エリザ）が小さく笑い声を立てていた。

ーーただ一人。
久遠だけは複雑な面持ちで、透矢と刹那を見つめている。

「ーーあ、久遠はっ？！」

そこへ刹那が気付いたように透矢から離れて周りを見ると、すぐ傍に妹の健在な姿を見つける。

「久遠……っ！
あなたも無事だったのね！」

「う、うん……」

「久遠……良かった」

今度は妹を抱き締める姉。
お互い無事である事を喜ぶべき場面である筈だが、久遠の表情は何故か浮かない。

「ーーよし、全員無事なのを確認したところで、早くここを出るとしよう。
特に刹那たちは念のために改めて検査を受けた方が良かろう」

クロエが切り出すと、一同が頷いて立ち上がる。
そして順々に部屋を出ていこうというところで、透矢はクロエに駆け寄った。

「クロエ先生！
聞きたい事があるんですけど！」

そう口にする透矢にクロエはため息を付きつつも、彼の肩を叩いた。

「ーー分かっている。
だが今はまずここを出よう。
話は落ち着いてからでも出来る。

お前も……疲れているだろう？」

「なら、教えてくれますか？
俺が聞きたい事、全部！」

「ああ、答えられることならーー」

と、クロエが言い掛けて。

透矢の背後に音もなく立った人物。

ーー未だにその姿を現したままだったラグナシア。

そして透矢が振り返る暇も与えず、その首筋に手刀が打ち込まれた。

「う……っ」

崩れ落ちた透矢の身体をラグナシアが即座に支える。

「あ、“アレクシア”殿っ！？」

「い、一体、何をっ？！」

ラグナシアのまさかの行動に一同が驚愕する。
刹那が真っ先に駆け寄り、ラグナシアのその意図を訊いた。

『ーークロエ、殿。
貴方に頼みがある』

「頼み……？」

万事が良い方向で終わりを迎えようとしている中で、ラグナシアが突如取った行動、その意味とはーー？

全ては透矢のため、そして亡き前のマスターのためーー。

ラグナシアの決断に迷いは無かった。