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008:荒廃の街 作:天2
008:荒廃の街
☆☆☆
我ら等しく 畜生なれど
伏して尾振るは 他者の犬
立ちて牙剥くは 自己の獣王
☆☆☆
初めて踏んだサテライトの地は閑散とした様子だった。
見渡す限りに人の気配はない。街は廃墟のような藻抜けのビルが立ち並び、道路は舗装こそされているもののもう何年もメンテナンスが為されておらず亀裂やデコボコがあちらこちらに見える。
噂で聞いていた以上に荒れている。これではスラムと言うよりゴーストタウンだ。
「しっかし、思ったよりあっさり入れたな。入口で一悶着ってのも覚悟してたけど、拍子抜けだぜ」
城之内の言う通り、サテライトに入るゲート付近で検問をやっているのが分かった時は一同に緊張が走ったが、二言三言刈田がセキュリティと話しただけで荷台を確認されることすらなかった。サテライトとシティを繋ぐ橋の警備は厳重だと聞かされていたが、そうでもないのかもしれない。
「サテライトからシティへ入る方は厳重でも、逆は違うのじゃろう。誰も好き好んでこのような果ての地へやって来る者などおらぬし、そんな物好きがおったとしてもそのような者はシティには要らんと思うておるのじゃよ」
ドールが吐き捨てるように言う。
確かにこの様子では、この街が生きていくのに利のある場所には思えない。余程の社会不適合者でもなければだが。
「海馬コーポレーションにとって、このサテライトという地はシティのゴミ投棄場でしかないのじゃ。選民思想だか何だか知らぬが、うつけは彼奴らの方よ」
ドールの剣幕には強い嫌悪が滲み出ていた。
最初会った時には得体の知れない怪しさだけの少女であったが、ここに来て意外と感情や人間味を見せてくれるようになった。幾分か打ち解けたということだろうか。
そう言えば彼女と海馬コーポレーションとの関係については聞いていなかったことに気付く。結果としてではあるが、ユーイや城之内は追われていたドールに巻き込まれる形で海馬コーポレーションと敵対する状況に陥ったのだ。聞く権利は充分にある。
そう思い、ユーイが切り出そうとするが、それより早く城之内が口を挟んだ。
「そういや、気になってたんだがよ……」
思い出したように言い出す。話の先はユーイに向けられている。
「ユーイが海馬コーポレーションの社長と知り合いだってのは意外だよなぁ。つか、ユーイ記憶喪失じゃなかったか?」
城之内の言葉の真意が分からず、ユーイは顔をしかめた。
「……いや、俺は海馬コーポレーションの社長なんて知らないが。と言うか、俺が知っている顔なんてさっきまで一緒だった連中だけだ」
記憶を失っているユーイに知り合いなど居ようはずもない。
顔と名前が一致する相手は刈田と物真似師、そしてドールと城之内くらいのものだ。その刈田もユーイ達をここまで送り届けると、一目散に車を回して去っていった。物真似師は言うに及ばず、彼ともきっと二度と会うことはないだろう。
そうなるとユーイにとって知り合いと呼べるのは、ここにいるドールと城之内以外にはいないことになる。
だが城之内は腑に落ちない顔をする。
「だけどさっきの物真似師とのデュエルでスゲー怒ってたじゃねーか、海馬を侮辱するなとか何とか……」
「ああ……」
そう言われて思い出した。
あの時は怒りで気にならなかったが、確かにあれはまるで友を愚弄されたことに対するような怒りだった。しかもユーイ自身、海馬をよく知る人物のように話していたし感じてもいた。
「だが俺は海馬と会ったこともなければ、顔も知らない……」
これは矛盾だ。
知らないはずの人物を知っている。まるでドッペルゲンガーでもいるかのような奇妙な感覚。
実際には会ったこともなければ顔も知らない相手のことで、人はあんな怒り方ができるものだろうか?
また、ユーイは何故そんな相手のことをまるでよく知っている相手のように感じたのだろうか?
「もしかして記憶を失う前の俺は、海馬セトと知り合いだったのか……?」
今更のようにそんな疑問が浮かび上がってくる。
だが確かめる術は既にない。海馬コーポレーションとの関係は、最早完全に絶たれてしまっている。海馬コーポレーションの追っ手に捕まればあるいは海馬に会うことはできるのかもしれないが、それで過去の自分を知ることができたとしても今を前に進めることはもうできないだろう。
ユーイにとって過去の自分を知りたいのは、知って前に進みたいからだ。
過去を失うということは、未来をも失うということだ。自分が何処から来て何処に行くのか、その指針は過去にしかない。足跡のない砂漠のど真ん中に突然放り出されたら、人はどちらに進めば良いか分からず立ち止まってしまうものだ。
ユーイは進みたい。だから今は必死に自分の足跡を探すしかないのだ。
「考えておっても仕方がなかろう。今は目の前の目標にだけ集中しておれば良い」
ドールもユーイの出した答えと同意件らしい。
海馬の件は今は一旦保留にするしかない。
だがそれも大事な情報だ。頭の片隅に留めておかなければならないだろう。
「んじゃあ早速その目標っつー『ペガサス』って野郎の所に行こうじゃねーか。おいドール、それで何処に行きゃそいつに会えるんだ?」
話をまとめるように城之内が問うと、ドールはきょとんとして小首を傾げる。
「ん? 儂は其奴の居場所なぞ知らんぞ?」
今度きょとんとするのはこちらの方だった。
「ハアァァァ!? オメーが知らねェわけねーだろ!! ペガサスに会うっつったのはオメーだろがッ!!」
「儂がいつペガサスの居場所を知っとると言うた!? 会いに行くとは言うたが、そこまで連れて行くなどと言うた覚えはないのッ!!」
食って掛かる城之内に、反論するドール。
「『儂は水先案内人じゃ』みてーなこと、言ってたじゃねーか!! だからオレ達はてっきりーーー」
城之内は顔を赤くして怒鳴る。
それを下からグルルと睨み付けるドール。
「儂はか弱いお子様じゃぞッ!! そんな何でもかんでも知っとるわけがなかろーがッ!!」
「か弱いお子様がそんな邪悪な顔するかッ!!」
城之内のツッコミに、ドールはサッと顔を青くして後退る。
「なんじゃ、おぬし童は純真無垢ばかりなどと幻想を抱いておるクチか? お、おぬしもしやロリ○ンーーー」
「バッ、誰がロリ○ンだッ!?」
「隠さずとも良い。おぬしの性癖がどうあれ、儂らはおぬしを仲間はずれになどせんからの」
「おいユーイ!! こいついっぺん殴っていーかッ!?」
城之内とドールがじゃれているのを横目に、ユーイはため息を吐く。
仲が良いのは結構だが、いつまでもこんな道端で立ち話をしているわけにはいかない。
「ペガサスの居場所が分からないなら、とりあえず聞き込みをしていくしかないだろう。まずは人がいる所まで行ってみるしかないな」
城之内とドールはまだ睨み合っていたが、ユーイの提案には異論がないらしく、3人は連れだって歩き始めた。
話の流れから、結局ドールと海馬コーポレーションとの関係については聞けず仕舞いになってしまったのにも気付かずに。
☆☆☆
しばらく歩くと、チラホラと人の姿が見えるようになってきた。
誰も彼も生気の薄れた顔付きで、格好も薄汚れたものばかり。サテライト行きの浮浪者達と似たり寄ったりだが、こちらの方がより過酷な生活による疲弊感が濃い。
何をするでもなく道端に座りボーッとしている者、チビチビと酒瓶を仰いでいる者、意味の分からない言葉をブツブツと唱えている者。ユーイ達が視界に入ると、皆一様に感情のこもらないガラス玉のような瞳を向けてきた。
その荒廃した雰囲気に飲まれる3人だったが、顔を見合わせると「オレが行く」と城之内が意を決して近くの男に近付く。
「オレ達人を探してるんだが、ちょっと話を聞かせてもらっていいかな?」
酒瓶をチビチビ飲んでいた男はうろんな目を城之内に向ける。
無精髭に白いものが混じる50絡みの男。頬は痩け、目の回りには濃い隈(くま)。とても健康そうには見えない。もしかしたらアルコール中毒でも患っているのかもしれない。
男は城之内の言葉と口の中の酒をぐびりと飲み込むと、無言で犬にお手をさせるように手を差し出す。
「なんだ?」
「……金」
「話を聞くだけだぜ、金取んのかよ!?」
城之内が驚くと、男はへらへらと笑う。
「お前ら新人か? この街じゃタダのもんなんて何もないぞ」
サテライトには公共のインフラやサービスは普及していない。着る物も居場所も食料や水も人の親切すらも、受けるには対価が必要になる。シビアな世界なのだ。
「金がねェならカードでも良いぞ」
男は差し出した手を下げようとはしない。
この世界では、カードは高値で取引される。強力なものになると、1枚数十億の値が付けられることもあるのだ。
男がそれだけの価値を持つカードを要求しているわけではないだろう。こんな路傍で取引されるカードなど価値の低い弱小カードに過ぎない。だがそれでも換金すれば数千円ほどの価値にはなり、小遣いくらいにはなるはずだ。
気付けばユーイ達は周りの者達から一身に注目を浴びる存在となっていた。誰も彼も飢えた目を隠すこともなく3人に向けている。
おそらく彼らはこの男に便乗することを狙っているのだろう。ここでユーイ達が金やカードを支払えば、ユーイ達は話を聞くだけで金を取れる相手という風に彼らの目に映ることになる。何かを求めている者は、彼らにとって対価を要求できる格好の相手というわけだ。
需要と供給。そのバランスを取るのは普通経済システムなのだが、その常識はここでは通用しない。迂闊に需要を示せば、過度な供給に食い尽くされかねないのだ。
城之内がユーイに目を向ける。
「どうする?」とその目が訊いている。
この場での最善の行動は、支払いを拒否することだろう。しかし、それではユーイ達は求める情報を得ることはできない。
「分かった。その対価、カードで支払おう。ただし、こちらの質問には嘘をつかずに全て答えてもらう」
ユーイが答えると、男は口の端だけでにやりと笑う。
「いいぜ。だが俺がお前らの知りたいことの答えを持っているとは限らねェからな。後で文句言うなよ」
ユーイが頷く。
そのやり取りを見ていた周囲の期待が膨らむのも感じる。
質問に答えるだけでカードが手に入るのだから、二番煎じを狙わない手はない。
舌打ちをしながらも、城之内が懐から1枚のカードを男に渡した。
渡したカードは《強欲ゴブリン》。レベル4の下級モンスターカードである。これは城之内が物真似師からくすねたカードの1枚だった。もちろんデッキには入らないあぶれたカードである。
カードを受け取った男は「何が聞きたい?」とにたにたと下卑た笑みを浮かべた。
他には聞こえないようユーイは彼に顔を近付ける。
酒臭い息が頬を掠めるが、今はそれを気にしている場合ではない。
「『ペガサス・J・クロフォード』という人を探している。サテライトの何処かにいるはずなんだが、心当たりはないか?」
ユーイが問うと、男は軽く考える素振りはしたものの、すぐに「知らんな」と首を振る。
「テメェ、真面目に答えてんのか!? まだカードを巻き上げようとしてテキトー言ってんじゃあねーだろーな!!」
城之内が凄みながら詰め寄るが、男はぶんぶんと首を振った。
「ほ、本当に知らないッ! サテライトに一体何人暮らしてると思ってんだ、よっぽど近しい奴か有名な奴じゃなけりゃ名前聞いただけじゃ分かるはずないだろ」
男が嘘を言っているようには見えなかった。ペガサスの居場所については、本当に知らないのだろう。
「なら質問を変えるぜ。次はオレの探し人だ」
城之内も男が嘘をついているわけではないことを察したのだろう、男を脅すような鋭い目付きはそのままに次の質問をする。
「『蛭谷(ひるたに)』って奴ならどうだ? 聞いたことはねーか?」
その名前を聞いた途端、男の顔色が変わった。
「お、お前ら、蛭谷の関係者かよ……!?」
先ほど城之内が凄んだ時に見せた瞬間的なビビりとは違う、本物の恐怖が彼の顔には浮かんでいた。
「……だったら何だってんだ?」
「カードは返すッ! だからこれ以上俺に関わらないでくれッ!」
男は一度は懐に入れた《強欲ゴブリン》のカードを城之内へ突き返すと、それ以上の会話を拒否して追いかける間もなく走り去って行ってしまう。
彼のおこぼれを貰おうと集まっていた周囲の者達も、蜘蛛の子を散らすように散会してしまった。
「な、何なんだよ一体……」
後に残されたのは困惑するばかりのユーイ達だけだ。
「蛭谷というのは?」
唖然とする城之内にユーイが問うと、彼は奥歯を噛むように答える。
「オレの昔のダチ……で、オレのデッキを盗んだ張本人だ。アイツ、一体何やってんだ……!」
住民達の怯え方は尋常ではなかった。まるでその名自体が厄災であるかのような反応。蛭谷という男がこのサテライトで何をしているのか今は知るよしもないが、轟いているのが悪名であるのは間違いなさそうだ。
歯噛みしていた城之内がユーイ達に強い目を向ける。
「ユーイ、オメーらが早く記憶を取り戻したいと思ってるのは分かってる。分かった上でこの通り頼む。オレに力を貸してくれねーか」
姿勢を正し頭を下げた。
その下げられた金色の後頭部を見ながら、ユーイとドールは顔を見合わせる。
「その蛭谷って奴を見つけ出してデッキを取り戻すんだな?」
「それもある。それもあるが……アイツは元々ダチだったんだ。もしアイツがこのサテライトで何かヤベーことをやってるっつーんなら、ダチとしてオレはアイツを止めてやりてー」
わざわざサテライトまで取り返しに来てしまうくらい大切なデッキを奪われた恨みはあるだろう。だがそれでも城之内は昔仲間だった相手への情の方を優先させる。
一見やんちゃげに見えるこの少年は、そういう『男』なのだ。
「顔を上げてくれ、城之内くん」
ユーイは城之内の身体を起こしてやる。
そしてにこりと笑いかけた。
「ここに来る車の中で約束したじゃあないか、お互いの目的のために協力し合おうって」
「だが今の様子からすると、蛭谷を追うのには危険が伴うかもしれねー」
「それはこのサテライトにいる限り何をしていても同じことだ。何処にどんな危険が隠れているか分かったものじゃない。だから俺達は力を合わせようとしてたんじゃあないのか?」
「それはそうだが……」
煮え切らない城之内の態度に、ユーイは静かに手のひらを突き出した。
「俺の手はそんなに小さいか?」
城之内には質問の意味が分からない。
それほど大きいというわけではないが、特別小さい手ではない。
ユーイは困惑する城之内にくすりと笑いかける。
「俺の手は、山程の人を救えるほど大きくはないだろうけど、友達の友達を助けるのに不足があるほど小さくはないつもりだ。使ってくれ、この手を。頼ってくれ、俺の手を。俺達は、友達なんだから」
「ユーイ……」
ユーイが城之内の願いを承諾したことで、ドールは深くため息を吐く。
「仕方がないの。多少寄り道にはなるが、おぬしを仲間に引き入れたのは儂だしの」
「ドール……」
「良いか、城之内。儂らは誰1人としてこの過酷な荒野を孤独には生きては行けぬ。ユーイは強いが、たった1人の強さだけではどうにもならない事態も起こり得るじゃろう。じゃから協力するのじゃ。そして協力とは、一方的に相手を従えることではあるまい。おぬしは儂らの力を当てにすれば良いし、儂らにとってもおぬし程度の力でも何かの足しにはならんこともない」
「……そこは素直にオレの力が必要だっつってくれよ」
最後は照れ隠しなのかぶっきらぼうに言い放つドールに苦笑する。
だが城之内も納得したらしかった。
「分かった。んじゃあ甘えることにするぜ。よろしく頼む」
「あくまでもペガサス探索のついでに、じゃがな」
段々とドールの憎まれ口にも慣れてきたのか、城之内は笑い飛ばす。
「ああ、それでいい。ペガサスのついでに蛭谷のことも聞き込みしてみてくれ」
「分かった」
ユーイが頷き、ドールはフンと鼻を鳴らす。
話は纏まった。
しかしーーーと辺りを見回すが、人の姿はもう何処にも見えない。
「これは手分けして聞き込みをする方が賢明じゃな。このままチマチマ聞いて回っておっても埒が明かんじゃろう」
こうして一行は一時的に別行動を取ることとなった。
とは言えデュエルディスクを持たないドールを1人にするのは危険なので、彼女はユーイに同行することになる。
合流する時間と場所を取り決め、一行は二手に別れたのだった。
☆☆☆
城之内と別れたユーイ達はそれからしばらく歩き回り見つけた人に片っ端から情報を聞いて回ったが、めぼしい成果は得られなかった。
反応は最初に話を訊いた男と似たり寄ったり。ペガサスは知らないし、蛭谷には関わりたくない。こればかりである。
まるで箝口令でも敷かれているかのような徹底ぶりに、流石のユーイ達も辟易とし始めていた。
「このまま聞き回っていても有益な情報は得られそうにないな。城之内くんはどうだっただろう。一旦合流するか」
別れた時に取り決めた合流時刻まではまだ少し時間があるが、このまま闇雲に聞き込みを行っても体力も気力も消耗する一方だ。
ユーイはまだしも、年端の行かないドールは口には出さないものの体力的にキツそうだ。こくりと頷きはしたものの、頬は紅潮し額に汗で髪が張り付き、ユーイの言葉に返事はない。
その様子から踵を返しかけた時、何か声がした気がしてユーイは足を止めた。
「うう……ぐすっ……ううう……ずずっ……」
耳を澄ますと、それは近くの物陰から聞こえるようだった。
鼻水を啜るような声。
「泣き声?」
ユーイが恐る恐るその物陰を覗くと、誰かがこちらに背を向けてうずくまっている。
大きな背中が小刻みに揺れている。泣いているのはこの人物に間違いない。
「どうした? 大丈夫か?」
ユーイが声をかけると、不意の声に驚いたらしくその背中がびくりと震えた。
背中の主が恐る恐るゆっくりとこちらに身体を向ける。
「お、おれのことなんだな?」
小さくつぶらな瞳いっぱいに涙を溜めて振り返ったその男の顔は、コアラによく似ていた。
☆☆☆
我ら等しく 畜生なれど
伏して尾振るは 他者の犬
立ちて牙剥くは 自己の獣王
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初めて踏んだサテライトの地は閑散とした様子だった。
見渡す限りに人の気配はない。街は廃墟のような藻抜けのビルが立ち並び、道路は舗装こそされているもののもう何年もメンテナンスが為されておらず亀裂やデコボコがあちらこちらに見える。
噂で聞いていた以上に荒れている。これではスラムと言うよりゴーストタウンだ。
「しっかし、思ったよりあっさり入れたな。入口で一悶着ってのも覚悟してたけど、拍子抜けだぜ」
城之内の言う通り、サテライトに入るゲート付近で検問をやっているのが分かった時は一同に緊張が走ったが、二言三言刈田がセキュリティと話しただけで荷台を確認されることすらなかった。サテライトとシティを繋ぐ橋の警備は厳重だと聞かされていたが、そうでもないのかもしれない。
「サテライトからシティへ入る方は厳重でも、逆は違うのじゃろう。誰も好き好んでこのような果ての地へやって来る者などおらぬし、そんな物好きがおったとしてもそのような者はシティには要らんと思うておるのじゃよ」
ドールが吐き捨てるように言う。
確かにこの様子では、この街が生きていくのに利のある場所には思えない。余程の社会不適合者でもなければだが。
「海馬コーポレーションにとって、このサテライトという地はシティのゴミ投棄場でしかないのじゃ。選民思想だか何だか知らぬが、うつけは彼奴らの方よ」
ドールの剣幕には強い嫌悪が滲み出ていた。
最初会った時には得体の知れない怪しさだけの少女であったが、ここに来て意外と感情や人間味を見せてくれるようになった。幾分か打ち解けたということだろうか。
そう言えば彼女と海馬コーポレーションとの関係については聞いていなかったことに気付く。結果としてではあるが、ユーイや城之内は追われていたドールに巻き込まれる形で海馬コーポレーションと敵対する状況に陥ったのだ。聞く権利は充分にある。
そう思い、ユーイが切り出そうとするが、それより早く城之内が口を挟んだ。
「そういや、気になってたんだがよ……」
思い出したように言い出す。話の先はユーイに向けられている。
「ユーイが海馬コーポレーションの社長と知り合いだってのは意外だよなぁ。つか、ユーイ記憶喪失じゃなかったか?」
城之内の言葉の真意が分からず、ユーイは顔をしかめた。
「……いや、俺は海馬コーポレーションの社長なんて知らないが。と言うか、俺が知っている顔なんてさっきまで一緒だった連中だけだ」
記憶を失っているユーイに知り合いなど居ようはずもない。
顔と名前が一致する相手は刈田と物真似師、そしてドールと城之内くらいのものだ。その刈田もユーイ達をここまで送り届けると、一目散に車を回して去っていった。物真似師は言うに及ばず、彼ともきっと二度と会うことはないだろう。
そうなるとユーイにとって知り合いと呼べるのは、ここにいるドールと城之内以外にはいないことになる。
だが城之内は腑に落ちない顔をする。
「だけどさっきの物真似師とのデュエルでスゲー怒ってたじゃねーか、海馬を侮辱するなとか何とか……」
「ああ……」
そう言われて思い出した。
あの時は怒りで気にならなかったが、確かにあれはまるで友を愚弄されたことに対するような怒りだった。しかもユーイ自身、海馬をよく知る人物のように話していたし感じてもいた。
「だが俺は海馬と会ったこともなければ、顔も知らない……」
これは矛盾だ。
知らないはずの人物を知っている。まるでドッペルゲンガーでもいるかのような奇妙な感覚。
実際には会ったこともなければ顔も知らない相手のことで、人はあんな怒り方ができるものだろうか?
また、ユーイは何故そんな相手のことをまるでよく知っている相手のように感じたのだろうか?
「もしかして記憶を失う前の俺は、海馬セトと知り合いだったのか……?」
今更のようにそんな疑問が浮かび上がってくる。
だが確かめる術は既にない。海馬コーポレーションとの関係は、最早完全に絶たれてしまっている。海馬コーポレーションの追っ手に捕まればあるいは海馬に会うことはできるのかもしれないが、それで過去の自分を知ることができたとしても今を前に進めることはもうできないだろう。
ユーイにとって過去の自分を知りたいのは、知って前に進みたいからだ。
過去を失うということは、未来をも失うということだ。自分が何処から来て何処に行くのか、その指針は過去にしかない。足跡のない砂漠のど真ん中に突然放り出されたら、人はどちらに進めば良いか分からず立ち止まってしまうものだ。
ユーイは進みたい。だから今は必死に自分の足跡を探すしかないのだ。
「考えておっても仕方がなかろう。今は目の前の目標にだけ集中しておれば良い」
ドールもユーイの出した答えと同意件らしい。
海馬の件は今は一旦保留にするしかない。
だがそれも大事な情報だ。頭の片隅に留めておかなければならないだろう。
「んじゃあ早速その目標っつー『ペガサス』って野郎の所に行こうじゃねーか。おいドール、それで何処に行きゃそいつに会えるんだ?」
話をまとめるように城之内が問うと、ドールはきょとんとして小首を傾げる。
「ん? 儂は其奴の居場所なぞ知らんぞ?」
今度きょとんとするのはこちらの方だった。
「ハアァァァ!? オメーが知らねェわけねーだろ!! ペガサスに会うっつったのはオメーだろがッ!!」
「儂がいつペガサスの居場所を知っとると言うた!? 会いに行くとは言うたが、そこまで連れて行くなどと言うた覚えはないのッ!!」
食って掛かる城之内に、反論するドール。
「『儂は水先案内人じゃ』みてーなこと、言ってたじゃねーか!! だからオレ達はてっきりーーー」
城之内は顔を赤くして怒鳴る。
それを下からグルルと睨み付けるドール。
「儂はか弱いお子様じゃぞッ!! そんな何でもかんでも知っとるわけがなかろーがッ!!」
「か弱いお子様がそんな邪悪な顔するかッ!!」
城之内のツッコミに、ドールはサッと顔を青くして後退る。
「なんじゃ、おぬし童は純真無垢ばかりなどと幻想を抱いておるクチか? お、おぬしもしやロリ○ンーーー」
「バッ、誰がロリ○ンだッ!?」
「隠さずとも良い。おぬしの性癖がどうあれ、儂らはおぬしを仲間はずれになどせんからの」
「おいユーイ!! こいついっぺん殴っていーかッ!?」
城之内とドールがじゃれているのを横目に、ユーイはため息を吐く。
仲が良いのは結構だが、いつまでもこんな道端で立ち話をしているわけにはいかない。
「ペガサスの居場所が分からないなら、とりあえず聞き込みをしていくしかないだろう。まずは人がいる所まで行ってみるしかないな」
城之内とドールはまだ睨み合っていたが、ユーイの提案には異論がないらしく、3人は連れだって歩き始めた。
話の流れから、結局ドールと海馬コーポレーションとの関係については聞けず仕舞いになってしまったのにも気付かずに。
☆☆☆
しばらく歩くと、チラホラと人の姿が見えるようになってきた。
誰も彼も生気の薄れた顔付きで、格好も薄汚れたものばかり。サテライト行きの浮浪者達と似たり寄ったりだが、こちらの方がより過酷な生活による疲弊感が濃い。
何をするでもなく道端に座りボーッとしている者、チビチビと酒瓶を仰いでいる者、意味の分からない言葉をブツブツと唱えている者。ユーイ達が視界に入ると、皆一様に感情のこもらないガラス玉のような瞳を向けてきた。
その荒廃した雰囲気に飲まれる3人だったが、顔を見合わせると「オレが行く」と城之内が意を決して近くの男に近付く。
「オレ達人を探してるんだが、ちょっと話を聞かせてもらっていいかな?」
酒瓶をチビチビ飲んでいた男はうろんな目を城之内に向ける。
無精髭に白いものが混じる50絡みの男。頬は痩け、目の回りには濃い隈(くま)。とても健康そうには見えない。もしかしたらアルコール中毒でも患っているのかもしれない。
男は城之内の言葉と口の中の酒をぐびりと飲み込むと、無言で犬にお手をさせるように手を差し出す。
「なんだ?」
「……金」
「話を聞くだけだぜ、金取んのかよ!?」
城之内が驚くと、男はへらへらと笑う。
「お前ら新人か? この街じゃタダのもんなんて何もないぞ」
サテライトには公共のインフラやサービスは普及していない。着る物も居場所も食料や水も人の親切すらも、受けるには対価が必要になる。シビアな世界なのだ。
「金がねェならカードでも良いぞ」
男は差し出した手を下げようとはしない。
この世界では、カードは高値で取引される。強力なものになると、1枚数十億の値が付けられることもあるのだ。
男がそれだけの価値を持つカードを要求しているわけではないだろう。こんな路傍で取引されるカードなど価値の低い弱小カードに過ぎない。だがそれでも換金すれば数千円ほどの価値にはなり、小遣いくらいにはなるはずだ。
気付けばユーイ達は周りの者達から一身に注目を浴びる存在となっていた。誰も彼も飢えた目を隠すこともなく3人に向けている。
おそらく彼らはこの男に便乗することを狙っているのだろう。ここでユーイ達が金やカードを支払えば、ユーイ達は話を聞くだけで金を取れる相手という風に彼らの目に映ることになる。何かを求めている者は、彼らにとって対価を要求できる格好の相手というわけだ。
需要と供給。そのバランスを取るのは普通経済システムなのだが、その常識はここでは通用しない。迂闊に需要を示せば、過度な供給に食い尽くされかねないのだ。
城之内がユーイに目を向ける。
「どうする?」とその目が訊いている。
この場での最善の行動は、支払いを拒否することだろう。しかし、それではユーイ達は求める情報を得ることはできない。
「分かった。その対価、カードで支払おう。ただし、こちらの質問には嘘をつかずに全て答えてもらう」
ユーイが答えると、男は口の端だけでにやりと笑う。
「いいぜ。だが俺がお前らの知りたいことの答えを持っているとは限らねェからな。後で文句言うなよ」
ユーイが頷く。
そのやり取りを見ていた周囲の期待が膨らむのも感じる。
質問に答えるだけでカードが手に入るのだから、二番煎じを狙わない手はない。
舌打ちをしながらも、城之内が懐から1枚のカードを男に渡した。
渡したカードは《強欲ゴブリン》。レベル4の下級モンスターカードである。これは城之内が物真似師からくすねたカードの1枚だった。もちろんデッキには入らないあぶれたカードである。
カードを受け取った男は「何が聞きたい?」とにたにたと下卑た笑みを浮かべた。
他には聞こえないようユーイは彼に顔を近付ける。
酒臭い息が頬を掠めるが、今はそれを気にしている場合ではない。
「『ペガサス・J・クロフォード』という人を探している。サテライトの何処かにいるはずなんだが、心当たりはないか?」
ユーイが問うと、男は軽く考える素振りはしたものの、すぐに「知らんな」と首を振る。
「テメェ、真面目に答えてんのか!? まだカードを巻き上げようとしてテキトー言ってんじゃあねーだろーな!!」
城之内が凄みながら詰め寄るが、男はぶんぶんと首を振った。
「ほ、本当に知らないッ! サテライトに一体何人暮らしてると思ってんだ、よっぽど近しい奴か有名な奴じゃなけりゃ名前聞いただけじゃ分かるはずないだろ」
男が嘘を言っているようには見えなかった。ペガサスの居場所については、本当に知らないのだろう。
「なら質問を変えるぜ。次はオレの探し人だ」
城之内も男が嘘をついているわけではないことを察したのだろう、男を脅すような鋭い目付きはそのままに次の質問をする。
「『蛭谷(ひるたに)』って奴ならどうだ? 聞いたことはねーか?」
その名前を聞いた途端、男の顔色が変わった。
「お、お前ら、蛭谷の関係者かよ……!?」
先ほど城之内が凄んだ時に見せた瞬間的なビビりとは違う、本物の恐怖が彼の顔には浮かんでいた。
「……だったら何だってんだ?」
「カードは返すッ! だからこれ以上俺に関わらないでくれッ!」
男は一度は懐に入れた《強欲ゴブリン》のカードを城之内へ突き返すと、それ以上の会話を拒否して追いかける間もなく走り去って行ってしまう。
彼のおこぼれを貰おうと集まっていた周囲の者達も、蜘蛛の子を散らすように散会してしまった。
「な、何なんだよ一体……」
後に残されたのは困惑するばかりのユーイ達だけだ。
「蛭谷というのは?」
唖然とする城之内にユーイが問うと、彼は奥歯を噛むように答える。
「オレの昔のダチ……で、オレのデッキを盗んだ張本人だ。アイツ、一体何やってんだ……!」
住民達の怯え方は尋常ではなかった。まるでその名自体が厄災であるかのような反応。蛭谷という男がこのサテライトで何をしているのか今は知るよしもないが、轟いているのが悪名であるのは間違いなさそうだ。
歯噛みしていた城之内がユーイ達に強い目を向ける。
「ユーイ、オメーらが早く記憶を取り戻したいと思ってるのは分かってる。分かった上でこの通り頼む。オレに力を貸してくれねーか」
姿勢を正し頭を下げた。
その下げられた金色の後頭部を見ながら、ユーイとドールは顔を見合わせる。
「その蛭谷って奴を見つけ出してデッキを取り戻すんだな?」
「それもある。それもあるが……アイツは元々ダチだったんだ。もしアイツがこのサテライトで何かヤベーことをやってるっつーんなら、ダチとしてオレはアイツを止めてやりてー」
わざわざサテライトまで取り返しに来てしまうくらい大切なデッキを奪われた恨みはあるだろう。だがそれでも城之内は昔仲間だった相手への情の方を優先させる。
一見やんちゃげに見えるこの少年は、そういう『男』なのだ。
「顔を上げてくれ、城之内くん」
ユーイは城之内の身体を起こしてやる。
そしてにこりと笑いかけた。
「ここに来る車の中で約束したじゃあないか、お互いの目的のために協力し合おうって」
「だが今の様子からすると、蛭谷を追うのには危険が伴うかもしれねー」
「それはこのサテライトにいる限り何をしていても同じことだ。何処にどんな危険が隠れているか分かったものじゃない。だから俺達は力を合わせようとしてたんじゃあないのか?」
「それはそうだが……」
煮え切らない城之内の態度に、ユーイは静かに手のひらを突き出した。
「俺の手はそんなに小さいか?」
城之内には質問の意味が分からない。
それほど大きいというわけではないが、特別小さい手ではない。
ユーイは困惑する城之内にくすりと笑いかける。
「俺の手は、山程の人を救えるほど大きくはないだろうけど、友達の友達を助けるのに不足があるほど小さくはないつもりだ。使ってくれ、この手を。頼ってくれ、俺の手を。俺達は、友達なんだから」
「ユーイ……」
ユーイが城之内の願いを承諾したことで、ドールは深くため息を吐く。
「仕方がないの。多少寄り道にはなるが、おぬしを仲間に引き入れたのは儂だしの」
「ドール……」
「良いか、城之内。儂らは誰1人としてこの過酷な荒野を孤独には生きては行けぬ。ユーイは強いが、たった1人の強さだけではどうにもならない事態も起こり得るじゃろう。じゃから協力するのじゃ。そして協力とは、一方的に相手を従えることではあるまい。おぬしは儂らの力を当てにすれば良いし、儂らにとってもおぬし程度の力でも何かの足しにはならんこともない」
「……そこは素直にオレの力が必要だっつってくれよ」
最後は照れ隠しなのかぶっきらぼうに言い放つドールに苦笑する。
だが城之内も納得したらしかった。
「分かった。んじゃあ甘えることにするぜ。よろしく頼む」
「あくまでもペガサス探索のついでに、じゃがな」
段々とドールの憎まれ口にも慣れてきたのか、城之内は笑い飛ばす。
「ああ、それでいい。ペガサスのついでに蛭谷のことも聞き込みしてみてくれ」
「分かった」
ユーイが頷き、ドールはフンと鼻を鳴らす。
話は纏まった。
しかしーーーと辺りを見回すが、人の姿はもう何処にも見えない。
「これは手分けして聞き込みをする方が賢明じゃな。このままチマチマ聞いて回っておっても埒が明かんじゃろう」
こうして一行は一時的に別行動を取ることとなった。
とは言えデュエルディスクを持たないドールを1人にするのは危険なので、彼女はユーイに同行することになる。
合流する時間と場所を取り決め、一行は二手に別れたのだった。
☆☆☆
城之内と別れたユーイ達はそれからしばらく歩き回り見つけた人に片っ端から情報を聞いて回ったが、めぼしい成果は得られなかった。
反応は最初に話を訊いた男と似たり寄ったり。ペガサスは知らないし、蛭谷には関わりたくない。こればかりである。
まるで箝口令でも敷かれているかのような徹底ぶりに、流石のユーイ達も辟易とし始めていた。
「このまま聞き回っていても有益な情報は得られそうにないな。城之内くんはどうだっただろう。一旦合流するか」
別れた時に取り決めた合流時刻まではまだ少し時間があるが、このまま闇雲に聞き込みを行っても体力も気力も消耗する一方だ。
ユーイはまだしも、年端の行かないドールは口には出さないものの体力的にキツそうだ。こくりと頷きはしたものの、頬は紅潮し額に汗で髪が張り付き、ユーイの言葉に返事はない。
その様子から踵を返しかけた時、何か声がした気がしてユーイは足を止めた。
「うう……ぐすっ……ううう……ずずっ……」
耳を澄ますと、それは近くの物陰から聞こえるようだった。
鼻水を啜るような声。
「泣き声?」
ユーイが恐る恐るその物陰を覗くと、誰かがこちらに背を向けてうずくまっている。
大きな背中が小刻みに揺れている。泣いているのはこの人物に間違いない。
「どうした? 大丈夫か?」
ユーイが声をかけると、不意の声に驚いたらしくその背中がびくりと震えた。
背中の主が恐る恐るゆっくりとこちらに身体を向ける。
「お、おれのことなんだな?」
小さくつぶらな瞳いっぱいに涙を溜めて振り返ったその男の顔は、コアラによく似ていた。
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