アビス・デザイア⑤　作：はにわ改

　
ーー遠くから絶叫が響いた。
それは蓮華にとって聞き間違えようのない、自分の命よりも大事にと常日頃から願い、護り慈しんできた者の声。

「ーーお嬢様っ！！」

心が引き裂かれるような痛烈な絶叫が鳴り止まず、蓮華を震わす。
刹那・久遠の御目付役・御世話役として、神楽坂の家に就いて約十年。
一侍女に過ぎない自分を家族の一員として慕ってくれた。
だからこそ自分も精一杯、二人の支えになろうと誓いを立てた。

ーーなのに何故今、聞こえてはならない『悲鳴』が自分の耳をつんざくのか。
一時的とはいえ、自分の目の届かないところで、二人はどんな被虐な仕打ちを受けているのかーー。
蓮華は自分に対する弾けそうな程の怒りを力に変え、
後続のクリスたちを突き放し一気に『そこ』へ辿り着いた。

「こ……これはーー？」

通路の突き当たり。
その右側の壁にどこかへ通じる入り口のようなものが見えるが、それは小さな稲光が渦巻く黒い『靄（もや）』に包まれていて、奥が全く見渡せない。

試しに、と右手をゆっくりその『靄』の中へ潜らせるが、
瞬間的に生じた刺すような熱さが反射的に手を引かせた。
一瞬の事ではあったが、その右手は軽く火傷したかのように赤く腫れている。

「ーー更科殿！」

そこへ駆けつけるクリス、舞、シェリル、そしてクロエ。
その４人も蓮華の背中から、同じくその黒い『靄』を見据える。

「この先に、お嬢様がーー？」

「ああ。
見取り図によるとここには広い空洞があるはずだがーー」

「何だい、この黒い変なのは……」

蓮華の声にクリスが答え、舞が前に出ようとするが、
その進路を蓮華の横に伸ばした手が遮った。

「いけません。
『Ｒ・Ｅ・Ｃ』か、あるいは他の要因かは分かりませんが、
生身で近付くのは危険です。

ーー恐れ入りますが、お下がりください」

既に『靄』に触っている蓮華だから、近付く舞を制止できた。

ーーならばどうするか？

誰がそれを問うよりも早く、蓮華が無言でデュエルディスクを構える。

「ーー行け、『オーレリア』！」

モンスターゾーンにセットされたカード。
それは『黒の一団』との戦いで多数の敵を狩った、大剣を携えた女傑・『オーレリア』。
『Ｒ・Ｅ・Ｃ』により実体化したその女剣士が、巨大な大剣を振るうとその風圧で重苦しく鈍い音が響く。
そしてその一撃は『靄』を切り裂き、一瞬向こう側が見えるが、直ぐに元通りに塞がってしまう。

「む……更科殿の力でも破れないとは、単なる障害物ではないな」

その様を見てクリスが分析する。
蓮華は刹那や久遠を始めとする神楽坂家のみならず、クロエやクリスからも一目置かれた実力者。
それ故に今回の作戦に於いても、前線の一員に抜擢されているのだ。

「ーー『結界』、だな」

一同がその声の主の方に振り返る。
その主とは、クロエだ。

「恐らく中で、刹那たちが敵と交戦……いや、デュエルしているのだろう」

「デュエル……そうか、『闇のデュエル』、か！」

思い当たったようにクリスが口にすると、クロエが頷いた。

「しかも更科殿が破れない程の『結界』を作れる者とすると、
中にいるのはただの雑魚ではあるまい」

「……『ラピス』、だな」

「ま、まずいじゃないか！
もしそうだとして、『闇のデュエル』で負けるなんてしたらーー。
それにさっきの悲鳴……」

クロエ、クリスがあくまで予測の範疇とはいえ、今の状況から中で起こってる事を推測すると、
舞が焦りの色を強くさせる。

「お嬢様……っ！」

そして蓮華。
この『靄』の向こう側に刹那が、久遠がいる。
もし二人が今まさに、生命の危機に晒されているのだとしたらーー。

居ても立ってもいられない、と蓮華は吸い込まれるように『靄』へ踏み入ろうとする。
触れただけで火傷に似た症状を起こすその領域。
それを知りながらも、刹那たちを放ってはおけないのだ。

だがそれに気付いたクリスが透かさず両脇から腕を通して羽交い締めにし、蓮華を引き戻す。

「ーー駄目だ、更科殿！
先ほど貴方自身が言われた通り、生身で『それ』に触れては、命に関わる！」

「で、ですが……！」

「心配なのは分かるが、先ずは我々も冷静にならねば！
何とかこの『結界』を破る手段を模索するのだ！」

クリスに止められて、蓮華は青ざめた顔を向けながらもその通りにする。

と、そこへ不意に懐の携帯が振動したのを感じたクリスは、
蓮華が動くのを止めたのを確認してから羽交い締めを解き、振動する携帯を取り出す。
代わってシェリルが寄り添いつつ、蓮華が無茶な行動に走らないように見張る。

「ーー私だ、どうした」

『結界』をどうするか、クロエ、舞が話し合いを始める脇で、クリスが部下からの電話連絡に出る。
すると彼女はそこで外で起きようとする驚愕の事実を知らされる。

「何……？」

電話の相手はクリスの直属の部下。
外で待機を命じられていた者たちの一人だ。
その者が外での異変を報せてきたのである。

ーークリスはふとクロエを見る。

まさかーーと。

「ーークロエ」

クリスがクロエに歩み寄る。

「今、報告があった。
外に軍の特殊部隊が到着したそうだ」

「特殊、部隊？
なんだい、そりゃあ」

「……」

クリスが部下の報告のままに口にすると、舞が首を傾げるが、クロエは真顔のまま何も語らない。

「お前の仕込み、だな？

ーー『コード・レッド』とは何だ」

普段から行動を共にしているからだろうか、クリスは即座に見抜いたのだった。
クリスにすら知らされていない、クロエの保険。
『コード・レッド』の詳細が明らかになろうとしていた。





ーー外には蓮華やクロエたちが辿り着く中、それに気付く余裕もない透矢と刹那。
そして今、『ラピス』の『グラボイド』に刹那の『ウリエル』へ攻撃が下された。
刹那は『ラピス』が発動した『暗黒物質』により、ライフを１００にされた時に生じた激烈な『痛み』によって、未だに透矢に抱えられたまま。
そんな中で、『グラボイド』は巨体を大地に潜らせると、激しい揺れを起こしながら、刹那のフィールドへと向かう。

『グラボイド』の攻撃力は自身の能力によって５１００であり、『ウリエル』は３３００。
差が歴然としているのも明らかながら、刹那はかすり傷でも負おうものなら消え失せる程のライフでしかない。

「くそ……くそっ！
どうにもならねぇのかよっ？！」

迫り来る攻撃を前に、刹那を抱えたまま透矢が吐き捨てるように叫ぶ。
このまま攻撃が通れば、刹那の命運は尽きる。
ゲームに敗北するのは勿論だが、果たして敗北した時、刹那はどうなるのか？

ライフ１００で瀕死の今、この最後の灯火さえも消されたならーー。

「死ぬ、ってのか……？
刹那が……刹那が死んじまうってのか？」

力無く意識を失っている刹那を見る。
閉じられた瞳。
これが二度と開かれないーー『死』。

透矢の中で恐ろしい不安が膨れ上がった。

「刹那！刹那、しっかりしてくれ！」

目を覚まして戦え、と言っているわけではない。
目を覚まさない事に恐怖を覚えた透矢は必死に刹那を揺さぶる。

ーーだが遂に刹那のフィールドの大地が裂け、そこから禍々しい巨大なモンスターが『ウリエル』を押し潰そうとのし掛かる。

ーーもはやこれまでか！

透矢は刹那を庇うべく、身体全体を使って覆い被さる。

「ーーり……リバース、カード、発動っ！」

「刹那？！」

「ーー『エンゼル・ブレッシング』！」

今際の際に刹那は目を覚まし、そして敗北の危機に即座に身体が反応した。
だが震える手がディスクには届かず、それを見た透矢がその手首を掴んでカードまで導いてやる。
その二人の懸命さが実り、『グラボイド』の攻撃が『ウリエル』に行き着く前にカードを発動させた。

「この、カードは……相手、モンスターの攻撃、時に発動！
標的となった、モンスターの……攻撃力を、その守備力分、アップ！」

刹那が発動させた罠カード、『エンゼル・ブレッシング』。
それにより、『ウリエル』の攻撃力はその守備力１８００分アップし、５１００となる。

「攻撃力が……並んだ！」

互いに同じ攻撃力によるバトル。
『ウリエル』がその力を振り絞って両手に持つ双剣を振りかざして『グラボイド』と相討ち、双方のモンスターが同時に碎け散る。
無論、刹那のライフが削られる事もない。
『ラピス』がふん、と鼻を鳴らす。

「更に……この戦闘で、相手モンスターの迎撃に成功、した時！
デッキから、カードを……１枚、ドロー！」

『エンゼル・ブレッシング』の追加効果の処理。
言うことの聞かない身体で、時間を掛けながらカードをドローすると、同時に刹那は自らに鞭打って、身体を立たせる。

「ありがとう……透矢、くん。
君の声が……私を呼んでくれる君の声が……心強かった」

「刹那、無理すんな！」

「大丈夫……まだライフは、１００ポイント残ってるもの。
まだ、倒れるわけにはいかないわ」

「刹那……」

「（そう、まだ倒れられない。

せめてーーせめて、透矢くんに引き継ぐまではーー）」

透矢の手から離れて、一人で立ち上がった刹那。
この時既に、刹那は己の運命を悟っていた。
例え倒れるにせよ、ただ倒れるわけにはいかないとーー。

『くす……我が“グラボイド”と相討ち、とはな。
まだまだ楽しませてくれそうだな』

「くそ……っ！」

刹那の粘りを愉快、と表現する『ラピス』に、透矢は握り拳に力を込めながら感情を露にする。

『だが１つ、絶望の未来を予告しておこう』

「絶望の未来、だと？！」

『“暗黒物質”の追加効果。
それはこの魔法カードを２度目に受けた者は、ライフを強制的に０にされるのだ』

「ば、馬鹿な！そ、それじゃ……」

『我は次のターン、このターンと同じように“暗黒物質”を確定で手札に加えられる。
即ち……どんなに粘ろうと、その女は次の我のターンに死ぬ運命だ』

伝えられる絶望的な事実。
透矢はまるで自分事のようにそれを受け止めるが、実際に死の宣告を受けたのは刹那。
その刹那は不気味な程に落ち着いている。

『ーーデュエルの続きだ。
我は墓地にいる“Ａ・Ｄ”モンスターを我の場に特殊召喚する』

「あ……」

『くす……そうだ。
お前がダメージを跳ね返してくれたお陰で、“アビス・デザイア”の効果で、我が墓地にはカードが“貯まっている”。

ーー我は墓地から“メガロディニクス”、“アクティニオン”の２体を裏側守備表示で特殊召喚する』

『Ａ・Ｄ（アビス・ドミネーター）』モンスターは墓地に存在するとき、そのカードの上に一定枚数以上の他のカードが『堆積』していると、特殊召喚出来る能力を持つ。
『ラピス』が少し前に語った、計算外が有利に働く、とはこの事を示していた。

『更に“アビス・デザイア”の効果で“サードリウス”を除外ゾーンから裏側守備表示で特殊召喚……』

『アビス・デザイア』は自分・相手ターンに除外ゾーンから『Ａ・Ｄ』モンスターを特殊召喚する能力を持つ。
これにより、計３体の、厄介な能力を持つ『Ａ・Ｄ』モンスターが『ラピス』の場に並んだ。

『そしてエンドフェイズ。
“深暗物質（アビス・マター）”の最後の効果が発動。
互いのエンドフェイズに我が墓地にカードが１枚以上存在する場合、それら全てをゲームから除外する』

「こいつ……また墓地のカードを全部除外すんのか！」

再び墓地から出ていき、宙空をさ迷い始めるカードたち。
これらはたださ迷っているわけではなく、『ラピス』の身を護る重要な障壁の役割を果たしていた。

『さて……我がターンは終了、といきたいところだが、その前にーー』

『ラピス』が不意に入り口の方を見る。
『ラピス』は既に何かに気付いており、その方向に向かって人差し指を指すと、その指先が紫色に輝く。
すると黒く覆われたフィールドの一部に穴が空けられて、そこに浮き上がったのは、何人かの人物たち。

『くす……観客たちが来ていたようだな』

「蓮華さん……クロエ先生、クリス先生に、それに舞先生！シェリルも！」

透矢がその方向を見て、その姿を確認する。
一方で刹那はその方を一瞥するだけで、すぐに『ラピス』を睨み据えた。
体力的にも精神的にも限界に近い彼女。
己が成すべき事を成すため、その僅かに残った力を今、この状況に注ぐ覚悟を決めていたのだ。