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Report#105「被験者狩り」 作:ランペル
……ちゃ……!
おね……ちゃ……!
おねぇ……ちゃん……!
「おねぇちゃん……!!」
か細い声が聞こえる。女の子の泣いている声。全身がだるい。むしろ、そんな不快さを超えて感覚が薄く、どこか心地良ささえ感じられる。薄目を開け、声のする方を見遣った。紫色の光に染まった視界は、朧げであまり視野がはっきりとしない。ぼやけた視界の中で、女の子らしきシルエットが浮かぶ。
「……?」
「ぅぅ……ぇ……おね、おねぇちゃん……」
瞼が重たい。泣きじゃくる少女が誰か知りたくて懸命に瞼を押し上げる。しかし、そんなことも満足に出来ない。ならば、せめて誰か問いかけようと口元を動かす。
「……ん……ぁ……?」
「ごめ、ごめんな、さい……おね、ちゃ……」
声がうまく出ない。少女は何故か謝罪を口にしていた。何を謝っているのかも判然としない。やはり、誰かが気になり、瞼を持ち上げる。両目ではなく片目に絞ってみると、ほんの少しだけ視野が広がった。右目だけを少し大きく開いて少女を見る。瞼が先ほどより開かれた事で、ぼやけていた視界が少しだけ明瞭なものになっていく。泣いている少女の顔には痛々しい傷跡があった。そして、しゃくりあげながら泣いている彼女は、首の後ろへ包帯が通っており右腕を吊り上げている。骨折などをした時に処置されるアームスリングと呼ばれる腕を吊る固定方法だ。
「……ほ……のか……」
夢の中に居るようなふわふわとした頭がやっとスッキリとして来た。目の前で泣いているのは、本導 穂香。朱猟に囚われていた彼女を助ける為に、梨沙はこの場所へ——
「……!」
意識を完全に取り戻した梨沙は、今の状況を確かめようと身体を起こそうとする。しかし、梨沙の身体はピクリと反応こそすれど、横になっている状態から起きる事は叶わなかった。
「お姉ちゃん……、動かない、で……。うぅ……ごめん、なさい…………」
「ごめんは、私の……セリフだよ……。穂香、ちゃん……傷、だいじょうぶ……?」
舌をどうにか動かし、穂香へと柔らかな笑みを向けながら声を掛ける。実際は表情もあまり動かせず、穂香を右目だけで見ながらの声掛けとなっていた。穂香の顔には、痛々しい傷が目立つ。そして、吊り下げられた右腕は、梨沙の記憶が正しければ朱猟によって捻り上げられてしまった場所だ。
「うん、うん……ぐす……お姉ちゃんが、来てくれたから……だいじょうぶ、だよ……」
穂香は涙を左手で拭いながら、梨沙へと答える。その穂香の後ろには、大きなミイラ男。梨沙が《盤外召喚》しておいた《ゴーストリック・マミー》が、口を開けたまま梨沙達を見ていた。
「よか、った……。マミー、ありがと。穂香ちゃん、助けて、くれて……」
梨沙は朱猟とのデュエルに勝利し、意識を完全に手放す寸前にディスク上へと《ゴーストリック・マミー》を《盤外召喚》していた。その目的は、敗者となった朱猟からデュエルディスクを没収し、無力化する事。そして、それに加えて囚われた穂香を解放してもらう事にあった。致命傷を受け、死にかけていた状況で正確な指示までは与えられなかったものの、《ゴーストリック・マミー》は梨沙の期待に応えたのだ。
「……。そう、だ。朱猟……さん、は……」
満足に首も動かせずに、穂香へと問いかける形となった梨沙。
「奴は、恐らく死にました」
梨沙の問いに答えたのは、穂香ではなかった。ましてや、梨沙達を見下ろす《ゴーストリック・マミー》でもない。その声の発生源は、梨沙の左腕に装着されたデュエルディスクから。
「おとう、さん……?」
声の主は梨沙の父親。何故、父親と通信されている状況にあるのかも理解出来ないでいると、ディスクの向こうから言葉が続けられた。
「穂香が確認した限り……身体の外へ飛び出し転がっている心臓だけが、何故か弱くも鼓動を続けていたようです……。しかし、あの状態では到底生きているとは思えません」
「な…………死ん……だ……?」
父親の声で紡がれた朱猟が死んでいるという事実。しかし、梨沙はマミーへデュエルディスクを奪い取る事を指示はしたが、決して殺す様には指示していない。無論、明確な脅威である朱猟が絶命しているというのは、梨沙の今の状況を考えれば幸運とは言える。他者をおもちゃとしか思わず、人の心を追い詰め、殺す。そんな狂気の化身の様な存在だった朱猟、殺した人数も数えきれないはずだ。それを思えば、極刑という刑は妥当だ。死んで当然だ。そう思いこそすれども、梨沙の内には小さく闇が広がる。
「(また……ころした……?)」
自分の行った結果、1人の命が奪われた。たとえ、相手がどれだけ悪逆な人間であったとしても、人を再び殺してしまったという事実は梨沙の心に重くのしかかる。ただでさえ息のし辛い肉体が、精神の締め付けでさらに呼吸が浅くなっていく。
「わ、たしが……ころした……」
「お姉ちゃんが悪いんじゃない、ぜったい……。だって、お姉ちゃんが、来てくれなかったら、ほのかは……」
梨沙の自罰的な考えを排するように、穂香が涙声で訴える。彼女の辛そうな表情が瞳に灯り、梨沙は口元に優しい笑みを浮かべた。
「うん……ありがと。ほの、かちゃんが、無事で……よかった……」
後ろ向きな考えなど必要ない。今は、穂香を助けられた事だけを喜べばいいんだ。それ以外、意味はない。
「梨沙、私の声は聞こえていますね?今から状況を端的に伝えます。冷静に、聞いてください」
デュエルディスクを通じて父親の声が響く。その物言いはどこか不穏さを秘めている。
「そう、だ……。なん、で、お父さん……が……?」
「梨沙……。お前の身体は、あと数時間持つかどうかです」
目覚めたばかりで、まだ頭がはっきりとしていない事も原因だが、父親の話した言葉を梨沙はすぐに理解できなかった。
「穂香に手伝ってもらって、可能な限りの応急処置を施して貰いました。ですが……内臓の損傷が激しすぎる。実験の薬の効果が高くなければ、こうして話す事もままならなかったでしょう……」
「ぅぅ……ひっく……」
父親の言葉に続いて穂香がしゃくりあげ、静かに涙を流す。梨沙はそんな彼女を視界に捉えたまま、父親から告げられた今の自分の状況へようやく意識が向かう。
「…………」
咀嚼した言葉が理解に達する。ほとんど体の自由が利かないのも、視界がぼやけるのも、左腕に感覚がないのも……全て、自分が死にかけているから。意識を失う前に、朱猟とのデュエルで受けたであろうダメージが何となく思い返される。
「そ、っか……。はは……私、死んじゃうんだ……ね」
乾いた笑いと共に梨沙が呟く。口にした途端、梨沙のあやふやな視野がさらに濁る。
「痛くも、痒くも、ないのに……。わたし、死んじゃ、うんだ……」
目頭が熱くなり、目の端から涙が流れ落ちる。必死に手足を動かそうと藻掻くも、動くのは精々数センチ。どんな絶望を前にしても、諦めずに進み続けて来たつもりだ。その末路が、これなのだろうか?仲間に犠牲を払い、得るものもなく、痛みさえ忘れ死んでいくのが、梨沙の最期だったのか。絶望へと抗う意思はまだ持ち続けていたつもりだ。しかし、自らの肉体がその意思についてこれなくなってしまっている……。それは、梨沙の希望が削ぎ落とされていくには十分過ぎる現実だった。
絶望へ呑みこまれそうになる梨沙の意識は——ディスク越しに響く父親の声によって引き戻される。
「希望を捨てるな、梨沙……。まだ、可能性は残っている」
「可能、性……?」
可能性——。その言葉は、闇に堕ちかけた梨沙の心をどうにか繋ぎ止める。
「エスケープの地点が判明しました。フリーエリアのエレベーターです。あの地点で、エスケープを実行すれば、外に出られる場所へ移動できます」
父親より伝えられるのは、梨沙が求めていた希望の欠片。外の世界へと出る為に必要な場所は、この実験内に用意されたエスケープ地点と同じ場所という情報を、観測者である西澤から得ている。それに重ね、父親がその地点をフリーエリアのエレベーターと特定した。当然、気になるのはその情報の出処。観測者の西澤ですら吐かなかったその地点を父親が知り得た手段。
「そんな、こと。どうやって……?」
「……梨沙の状態を考えれば、悠長にしている時間はありません。情報は西澤から聞き出しました。梨沙が彼女とデュエルを行った後に、拘束し尋問した結果です」
父親が口にした情報の出処。それは、この実験の観測者であり梨沙が殺さずに見逃した西澤。彼女とデュエルした地点は、グリーンフロアを出てほぼすぐの地点であり、敗北した西澤を父親が拘束したというのであれば納得は出来る。梨沙がデュエルディスクを破壊した事もあり、拘束するという点で考えればはるかに簡単な事だっただろう。
「西澤……さんが……」
梨沙が命を脅かした状況でさえ薄ら笑みを浮かべ、頑なに追加の情報は吐こうとしなかった西澤。それが、いくら尋問を経たとしても、そう簡単に情報を口にしたとは、思えなかった。思考に過るのは、そんな西澤が情報を出さざるを得ない状況を、父親やワルトナーが作り出したということ……。
「…………分かった。それじゃぁ、エレベーターに向かえば、いいんだね?」
思考に割り込む不信感を、梨沙は無理やり抑え込む。悪い事やして欲しくない事に目を向けて、一体何になるというのか。真実がどうであれ、目を逸らすしかない。全てに正面から向き合ったところで、状況は進展しないし、精神が擦り減っていくだけなのを梨沙は理解している。父親から示された情報を元に、今後の行動指針を口にした。
「えぇ。ここが仮想現実である以上、脱出さえ出来れば……今の梨沙がどれだけ瀕死であろうと問題はありません」
痛みがない事で、自分の肉体がどれだけ危うい状況にあるのかを正確には把握出来ていない。しかし、体にほとんど力は入らず、左腕に至っては一切感覚がないのだ。そして、穂香がこれだけ涙を流している事からも、自分が死にかけている事実は疑いようもない。
「朱猟とのデュエルには、勝てたのですか?」
「うん……。デッキ破壊して、勝ったよ。だから……朱猟さんが、どうして死んでるかは、分からないけど……」
朱猟が倒れる直前に梨沙は意識を落とし、壮絶な痛みを前に意識が朦朧としていた穂香も現場で何が起きたのかは理解していない。デッキ破壊であれば、対戦相手にダメージが反映されないのは、何度も検証してきた。実際、梨沙の意識が途切れたのはデュエル終了のアナウンスが鳴った直後だった。つまり、朱猟があの状況に陥った原因は、梨沙が倒れた後の《ゴーストリック・マミー》が何かをしたとしか考えられない。
「とにかく……これで梨沙はクラスⅢ4人とのデュエルに勝利するというエスケープ条件の片方を満たしました。所持DPはどうなっていますか?」
エスケープの条件は2つ。4人のクラスⅢへ勝利する事と、100万DPを支払う事。梨沙はこれまで、アリス、父親、渚。そして、今回の朱猟とのデュエルを通して、無事4人のクラスⅢへ勝利を収めた事になる。問題は残った100万DPの方だ。
「ほのかが見るよ……」
満足に動けない梨沙に代わって、穂香が梨沙の右側から左側へと移動し、デュエルディスクの画面を操作する。
「右上の……所持DPってところだよね?」
「はい、そこの数字はどうなっていますか?」
父親に促され穂香が、梨沙の所持しているDPの桁を数えていく。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……34万と8600だよ」
梨沙の所持DPは34万8600。到底100万には及ばない数値だ。
「DP分けてもらう……なんてことも、無理だもんね」
「DPを直接取引することは出来ません。梨沙の容体から考えても100万貯める時間もありません」
父親が、ディスク越しに100万DPの条件達成が絶望的であることを告げる。数秒の沈黙を経て、父親が静かに続けた。
「こうなれば、エレベーターに向かい、バグを引き起こしてみるしかありませんね……」
「バグ……お父さんから、貰ったのだね……」
父親から託されている《電子光虫ライノセバス》を収めたカードホルダー。電子にバグを引き起こすその生態は、この電脳空間において未知数のバグを引き起こす可能性を秘めている。無論、あくまでバグを引き起こすだけの代物であり、梨沙にとって都合の良いことが起きる確証などはない。しかし、梨沙が死にかけている状況において、そんな都合のいい何かが起きる事へ賭けるしか術はなかった。
「そうと……なったら、早く行かないと……」
梨沙が身体を起こそうと力を込める。しかし、右手は動かせど、身体そのものを起こすまでには至らない。
「(……起きれない)」
意識がある程度はっきりして尚、身体に力が戻って来ない。自分に忍び寄る死という概念がより一層現実味を帯びてくる。
「お姉ちゃん……」
ゆっくりと首を穂香の方へと向ける。梨沙の左側にて、目元に涙を溜めながら不安そうな顔を浮かべていた。
「あはは、大丈夫……だよ。動けない、けど……エレベーターまで向かうくらい、なら……」
視線が自らの服のポケットへ向かう。そこには《盤外召喚》用のモンスターをまとめている。取り出すべく腕を動かそうとするが、手首より先を動かすのが精一杯だった。
「(これだと……モンスターに掴まるのは無理だ)穂香、ちゃん。悪いんだけど、私のポケットからシュタインのカードを取ってくれないかな?ゴーストリック、シュタインのカード」
穂香へゆっくり伝えると、彼女はコクリと頷く。そして、梨沙のポケットからカードを取り出し、その中から目当てのカードを見つけると梨沙へと翳す。
「《ゴーストリック・シュタイン》……これ?」
「うん……ありがと。じゃぁ、それを——
ピンポンパンポーン
梨沙の言葉を遮るように、それは突如としてフロアへ鳴り渡った。梨沙達の意識が、自然とアナウンスの響く虚空へと吸い寄せられていく。
【ただいまより、実験内イベントを開始いたします。詳細は各自のデュエルディスクにて、ご確認ください。また、イベント実施の為、フリーエリア内各所のシャッターが不規則に閉鎖されます。】
告知が行われると共に、梨沙のデュエルディスクに通知音が入る。そして、アナウンスは繰り返し同じ内容を放送し始めた。
「イベント……?」
突発的に開始宣言されたイベント。訝しく思いながらも、詳細を確認したいと梨沙の視線が左腕へと向かう。
「ごめん、穂香ちゃん……。何が書いてるか見えなくて……。もう少し、画面を……こっちに向けてもらえるかな?」
「うん、待ってて」
穂香がゆっくりと、梨沙の腕に装着されているデュエルディスクの画面を見えるよう動かす。そこには、実施されるイベントの内容が表示されていた。
*****
-実験イベント開催-
以下の指定被験者を殺害することで、エスケープ(実験終了)の権利を獲得出来ます。指定被験者の所在地は、イベント用のマップにて表示されています。イベント実施の為、各所のシャッターが不規則に閉鎖されます。
指定被験者:裏野 梨沙
被験者番号:265-0855
*****
「…………」
突きつけられた情報を前に思考が一時停止する。目を閉じ、呼吸に意識を向け、自身の心を落ち着けていく……。今一度、画面を凝視し、示された内容を咀嚼していると、ディスクより突如声が響いた。
「……梨沙!!急いでエレベーターへ向かいなさい!」
それは、父親の焦りを含んだ声音。その声が、梨沙が読み取ったイベントの内容と合致し、梨沙の内で感情が渦巻く。
「……っ、穂香ちゃん。マミーと入れ替えで、シュタインを、ディスクに置いてくれる?」
弱り切った肉体に反して、声は意外にもすぐに発された。この実験は考える時間さえ与えてくれない……。
「う、うん……」
まだイベントの内容を把握していない穂香は、戸惑いながらも梨沙の指示に従いデュエルディスクから《ゴーストリック・マミー》を取り除くと、《ゴーストリック・シュタイン》を召喚する。それによって、《盤外召喚》されていたミイラ男が消え去り、代わりにフランケンシュタインが姿を現した。
「シュタイン、お願い……。私のこと、運んでくれる?」
シュタインを見上げて、頼み込むとシュタインはゆっくりとしゃがみ込む。そして、その大きな手が梨沙を抱きかかえようと、床と身体の隙間へと差し込まれる。
「(まさか……私を狙い撃ちしてくるなんて……)」
実験側が起こしたイベント。その狙いは、他の被験者を使って梨沙を殺すことだ。離反した河原を、観測者である西澤が直接処刑しに来たことからも、この電脳世界の仕組みそのものを観測者側が操作し得ないことは明らかである。だからこそ、観測者側が実験へと干渉する術は、直接実験へ参加するか、被験者の動きを誘導するかの2択だ。今回、イベントの報酬として吊り下げられたエスケープという文言も、ここが電脳世界であることを考えれば、本当の意味で脱出など出来やしない。つまり、報酬などあってないようなものだ。しかし、その事実を知らない他の被験者にとっては、またとない脱出の機会にしか映っていないだろう。
「梨沙、状況は理解していますね?ミアを護衛にそちらへ向かわせます。今の梨沙では到底デュエルに耐えられるはずもありません。とにかく、急いでエレベーターへ向かいなさい」
「うん……。穂香ちゃん、私と一緒に居たら……きっと、危ないから……」
「やだよ……。お化けのお姉ちゃんと一緒に行く。お姉ちゃんがほのかのこと助けてくれたみたいに、今度はほのかがお姉ちゃんを守るの……」
そう言うと、穂香は床に置かれたデュエルディスクを拾い上げ、梨沙を抱き上げようと地面に広げられたシュタインの掌の余ったスペースへ置く。
「穂香ちゃん……」
移動の際に腕が痛むのか、時折表情を歪めながらディスクを置いた隣へと乗り込む穂香。バランスを保つように、シュタインの服の部分を掴む。
「ほのか、しっかり掴まってるから。フランケンさんは、お姉ちゃんのこと落とさないようにしてあげてね?」
そうシュタインへと伝える穂香に対し、シュタインがゆっくりと頷き返すと、2人が抱え上げられていく。そして、穂香は深手を負っていない手でシュタインの服から、肩に備えられた取っ手へ掴む先を変える。
「梨沙、穂香をその場に置いていく訳にもいかないでしょう。とにかく、移動しなさい」
父親に促され、梨沙は口を噤む。こんな場所に穂香を置き去りにしたからと言って、穂香が安全になる訳ではない。かといって、殺害対象となっている梨沙と同行しても穂香は危険に晒される。そして、この判断を迷っている間にも、被験者たちがこの場へ集まってきているかもしれない……。
「シュタイン……ひとまず、外に行って……。それから、真っすぐ……エレベーターのある場所まで……」
梨沙がシュタインへ指示を与えると、すぐさまシュタインがパープルフロアの出口へのそりと動き出す。最初の数歩こそゆったりとした足取りだったが、それは次第に速度を増していき、小走りで歩み始めた。
「(考える時間なんてない……。とにかく、今は動かないと……)」
梨沙と穂香を抱えたシュタインがフロアの扉の前へ立つ。扉が開かれ、外の紫に毒されていない白い床が目に映る。そして、すぐさまシュタインが外に出た事で、2人はフリーエリアへと出た。
「……っ」
フロアの正面に位置する、エレベーターへと最短で通じる通路にはシャッターが降りており、封鎖されていた。イベントの発生により、シャッターが不規則に閉鎖される事によって、被験者たちはスムーズにフリーエリアを移動できなくなっている。
「まずいですね……。梨沙、ディスクで表示されるマップはかなり正確に梨沙の位置を発信しています。現在、パープルフロアから出て行ったのも、こちらの画面で確認が出来ています……」
「そんな……じゃぁ、早くエレベーターに行かないとだよ」
父親の言葉に穂香が不安そうな声を洩らす。パープルフロアを出たという事実が父親のディスクに表示されている意味。それは、梨沙を狙う他の被験者にもリアルタイムで梨沙の現在地が共有されていることを示していた。
「どのシャッターが塞がれているかは、マップでは見えません……。とにかく、移動しなさい梨沙。不規則に動けば、他の被験者もシャッターで真っすぐ梨沙に近づくのは困難なはずです」
「シュタイン……。今塞がってる方角に、出来るだけ近づくように向かってくれる……?」
梨沙が視線だけを閉ざされたシャッターの方へ向ける。その先にあるであろうエレベーターの地点を目指し、シュタインがドタドタと通路を右に進む。そして、その先の通路を左へ曲がる。可能な限りの最短距離で移動するシュタインは、シャッターで道が塞がれているのを確認すると適宜方向転換して、エレベーターの方へと向かっていく。
「っ……う、ぐ……」
「お姉ちゃん……!大丈夫……?」
梨沙の表情が曇る。弱り切った梨沙の肉体は移動の際に生じる揺れで、心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。そして、シュタインが角を曲がる度に、遠心力の影響か呼吸が一瞬出来なくなる。痛みがなくとも苦しみの全てが取り除かれている訳ではない。浅い呼吸を繰り返しながらも、シュタインの手の中で揺られ、規則的に配置された天井の照明が流れていく。
「ん……ぐ、はぁ……はぁ……は、あ……」
大丈夫だ、と穂香へ言葉を返したかった。しかし、移動の揺れだけで梨沙は返事さえ出来ない。目の端に涙が浮かぶ。
「(諦めない……諦めない……諦めたり、しない……)」
心の中で、ただただ繰り返した。瀕死になった肉体はもう長くない。ならば、少しでも生き永らえるのに必要なのは、生きるという意思以外にない。懸命に呼吸する事にだけ意識を向ける。
「……!」
「う……」
突如、シュタインの動きが止まった。揺れが静止したことで、梨沙の呼吸のリズムが少しずつ緩やかになっていく。
「見つ、けた……。どっちだ?どっちを、ころせば……?」
梨沙の耳に響くのは、知らない男の声——。必然、出会ってはならない存在だと理解する。
「フランケンさん!戻って……!」
穂香の声が響けば、シュタインが踵を返して元来た道を戻ろうとする。しかし、数歩動き出した所でその歩みが再び止まる。
「お姉ちゃんに、近づかないで……!」
即座に元来た道の方向に向けて、穂香が声を荒げた。それと共に、視界の端で穂香が吊るされた右腕へ、包帯越しにデュエルディスクを装着するのが見えた。
「いっ……!?」
穂香が痛そうに表情を歪める。デュエルを行う為にも、無傷の左手は自由にしておかなければならない。だからこそ、痛みで絶叫を上げそうになりながらも、穂香は破壊された右腕へディスクを装着せざるを得ないのだ。目元に涙を貯めながらも、その瞳に宿る闘志は消えていない。
「ほ、のか……ちゃ……」
満足に息が吸えない中、穂香の名を口にする。自分を守ろうと、穂香がデュエルを始めようとしているのだ。死ぬかもしれないデュエルを……。
「あいつか……?いや、違う……そこで寝てる方か……!?」
最初に進んでいた通路の方から聞こえる疑惑に満ちた声が、期待に膨らんでいく。そして、元来た道の方向から、何者かの足音が聞こえてきた。
「(挟まれたんだ……)」
呼吸するのに精一杯で、満足に周囲の状況を把握できない梨沙が、そこでようやく事態を呑み込んだ。進行方向に現れた被験者。それを避けようとして、振り返った先にも別の被験者。この場所は、不規則に閉じるシャッターによって一本道になってしまっている。つまり、逃げ道が塞がれていた。
「ぅぐ……こ、来ないで……!近づくと……ひどいから……!」
穂香がデュエルディスクを構えようと動かすと、痛みで苦悶が浮かぶ。それでも、接近してきているであろう者達へ声をあげて威嚇する。
「……お、おいガキ!失せねぇと……お前もころすぞ!?外に、出られるんだ……こんなチャンス、もう二度とねえぇんだよ!!」
最初に道を塞いだ男から荒々しくも震えた声が放たれ、ひっと穂香が怯えた声を溢す。恫喝した男の足音が恐る恐る近づいて来る。そして、反対から近づいてくる足音は対照的に何の感情も感じられない無機質さだ。
「来ないで……」
「……ミア!まだ着かないのか……!?」
穂香が怯え、ディスク越しの父親の声は焦っていた。梨沙の身体は、ほとんど動かせないでいる。戦う事はおろか、梨沙達を囲む被験者の顔すらまともに確認できない。
「(どうしたら……どう、したら……)」
思考の加速と共に、弱った心臓が必死に鼓動を強める。呼吸すら忘れ、考える。
考えれば考える程に——死が、着実に形を持ち始めていった——。
おね……ちゃ……!
おねぇ……ちゃん……!
「おねぇちゃん……!!」
か細い声が聞こえる。女の子の泣いている声。全身がだるい。むしろ、そんな不快さを超えて感覚が薄く、どこか心地良ささえ感じられる。薄目を開け、声のする方を見遣った。紫色の光に染まった視界は、朧げであまり視野がはっきりとしない。ぼやけた視界の中で、女の子らしきシルエットが浮かぶ。
「……?」
「ぅぅ……ぇ……おね、おねぇちゃん……」
瞼が重たい。泣きじゃくる少女が誰か知りたくて懸命に瞼を押し上げる。しかし、そんなことも満足に出来ない。ならば、せめて誰か問いかけようと口元を動かす。
「……ん……ぁ……?」
「ごめ、ごめんな、さい……おね、ちゃ……」
声がうまく出ない。少女は何故か謝罪を口にしていた。何を謝っているのかも判然としない。やはり、誰かが気になり、瞼を持ち上げる。両目ではなく片目に絞ってみると、ほんの少しだけ視野が広がった。右目だけを少し大きく開いて少女を見る。瞼が先ほどより開かれた事で、ぼやけていた視界が少しだけ明瞭なものになっていく。泣いている少女の顔には痛々しい傷跡があった。そして、しゃくりあげながら泣いている彼女は、首の後ろへ包帯が通っており右腕を吊り上げている。骨折などをした時に処置されるアームスリングと呼ばれる腕を吊る固定方法だ。
「……ほ……のか……」
夢の中に居るようなふわふわとした頭がやっとスッキリとして来た。目の前で泣いているのは、本導 穂香。朱猟に囚われていた彼女を助ける為に、梨沙はこの場所へ——
「……!」
意識を完全に取り戻した梨沙は、今の状況を確かめようと身体を起こそうとする。しかし、梨沙の身体はピクリと反応こそすれど、横になっている状態から起きる事は叶わなかった。
「お姉ちゃん……、動かない、で……。うぅ……ごめん、なさい…………」
「ごめんは、私の……セリフだよ……。穂香、ちゃん……傷、だいじょうぶ……?」
舌をどうにか動かし、穂香へと柔らかな笑みを向けながら声を掛ける。実際は表情もあまり動かせず、穂香を右目だけで見ながらの声掛けとなっていた。穂香の顔には、痛々しい傷が目立つ。そして、吊り下げられた右腕は、梨沙の記憶が正しければ朱猟によって捻り上げられてしまった場所だ。
「うん、うん……ぐす……お姉ちゃんが、来てくれたから……だいじょうぶ、だよ……」
穂香は涙を左手で拭いながら、梨沙へと答える。その穂香の後ろには、大きなミイラ男。梨沙が《盤外召喚》しておいた《ゴーストリック・マミー》が、口を開けたまま梨沙達を見ていた。
「よか、った……。マミー、ありがと。穂香ちゃん、助けて、くれて……」
梨沙は朱猟とのデュエルに勝利し、意識を完全に手放す寸前にディスク上へと《ゴーストリック・マミー》を《盤外召喚》していた。その目的は、敗者となった朱猟からデュエルディスクを没収し、無力化する事。そして、それに加えて囚われた穂香を解放してもらう事にあった。致命傷を受け、死にかけていた状況で正確な指示までは与えられなかったものの、《ゴーストリック・マミー》は梨沙の期待に応えたのだ。
「……。そう、だ。朱猟……さん、は……」
満足に首も動かせずに、穂香へと問いかける形となった梨沙。
「奴は、恐らく死にました」
梨沙の問いに答えたのは、穂香ではなかった。ましてや、梨沙達を見下ろす《ゴーストリック・マミー》でもない。その声の発生源は、梨沙の左腕に装着されたデュエルディスクから。
「おとう、さん……?」
声の主は梨沙の父親。何故、父親と通信されている状況にあるのかも理解出来ないでいると、ディスクの向こうから言葉が続けられた。
「穂香が確認した限り……身体の外へ飛び出し転がっている心臓だけが、何故か弱くも鼓動を続けていたようです……。しかし、あの状態では到底生きているとは思えません」
「な…………死ん……だ……?」
父親の声で紡がれた朱猟が死んでいるという事実。しかし、梨沙はマミーへデュエルディスクを奪い取る事を指示はしたが、決して殺す様には指示していない。無論、明確な脅威である朱猟が絶命しているというのは、梨沙の今の状況を考えれば幸運とは言える。他者をおもちゃとしか思わず、人の心を追い詰め、殺す。そんな狂気の化身の様な存在だった朱猟、殺した人数も数えきれないはずだ。それを思えば、極刑という刑は妥当だ。死んで当然だ。そう思いこそすれども、梨沙の内には小さく闇が広がる。
「(また……ころした……?)」
自分の行った結果、1人の命が奪われた。たとえ、相手がどれだけ悪逆な人間であったとしても、人を再び殺してしまったという事実は梨沙の心に重くのしかかる。ただでさえ息のし辛い肉体が、精神の締め付けでさらに呼吸が浅くなっていく。
「わ、たしが……ころした……」
「お姉ちゃんが悪いんじゃない、ぜったい……。だって、お姉ちゃんが、来てくれなかったら、ほのかは……」
梨沙の自罰的な考えを排するように、穂香が涙声で訴える。彼女の辛そうな表情が瞳に灯り、梨沙は口元に優しい笑みを浮かべた。
「うん……ありがと。ほの、かちゃんが、無事で……よかった……」
後ろ向きな考えなど必要ない。今は、穂香を助けられた事だけを喜べばいいんだ。それ以外、意味はない。
「梨沙、私の声は聞こえていますね?今から状況を端的に伝えます。冷静に、聞いてください」
デュエルディスクを通じて父親の声が響く。その物言いはどこか不穏さを秘めている。
「そう、だ……。なん、で、お父さん……が……?」
「梨沙……。お前の身体は、あと数時間持つかどうかです」
目覚めたばかりで、まだ頭がはっきりとしていない事も原因だが、父親の話した言葉を梨沙はすぐに理解できなかった。
「穂香に手伝ってもらって、可能な限りの応急処置を施して貰いました。ですが……内臓の損傷が激しすぎる。実験の薬の効果が高くなければ、こうして話す事もままならなかったでしょう……」
「ぅぅ……ひっく……」
父親の言葉に続いて穂香がしゃくりあげ、静かに涙を流す。梨沙はそんな彼女を視界に捉えたまま、父親から告げられた今の自分の状況へようやく意識が向かう。
「…………」
咀嚼した言葉が理解に達する。ほとんど体の自由が利かないのも、視界がぼやけるのも、左腕に感覚がないのも……全て、自分が死にかけているから。意識を失う前に、朱猟とのデュエルで受けたであろうダメージが何となく思い返される。
「そ、っか……。はは……私、死んじゃうんだ……ね」
乾いた笑いと共に梨沙が呟く。口にした途端、梨沙のあやふやな視野がさらに濁る。
「痛くも、痒くも、ないのに……。わたし、死んじゃ、うんだ……」
目頭が熱くなり、目の端から涙が流れ落ちる。必死に手足を動かそうと藻掻くも、動くのは精々数センチ。どんな絶望を前にしても、諦めずに進み続けて来たつもりだ。その末路が、これなのだろうか?仲間に犠牲を払い、得るものもなく、痛みさえ忘れ死んでいくのが、梨沙の最期だったのか。絶望へと抗う意思はまだ持ち続けていたつもりだ。しかし、自らの肉体がその意思についてこれなくなってしまっている……。それは、梨沙の希望が削ぎ落とされていくには十分過ぎる現実だった。
絶望へ呑みこまれそうになる梨沙の意識は——ディスク越しに響く父親の声によって引き戻される。
「希望を捨てるな、梨沙……。まだ、可能性は残っている」
「可能、性……?」
可能性——。その言葉は、闇に堕ちかけた梨沙の心をどうにか繋ぎ止める。
「エスケープの地点が判明しました。フリーエリアのエレベーターです。あの地点で、エスケープを実行すれば、外に出られる場所へ移動できます」
父親より伝えられるのは、梨沙が求めていた希望の欠片。外の世界へと出る為に必要な場所は、この実験内に用意されたエスケープ地点と同じ場所という情報を、観測者である西澤から得ている。それに重ね、父親がその地点をフリーエリアのエレベーターと特定した。当然、気になるのはその情報の出処。観測者の西澤ですら吐かなかったその地点を父親が知り得た手段。
「そんな、こと。どうやって……?」
「……梨沙の状態を考えれば、悠長にしている時間はありません。情報は西澤から聞き出しました。梨沙が彼女とデュエルを行った後に、拘束し尋問した結果です」
父親が口にした情報の出処。それは、この実験の観測者であり梨沙が殺さずに見逃した西澤。彼女とデュエルした地点は、グリーンフロアを出てほぼすぐの地点であり、敗北した西澤を父親が拘束したというのであれば納得は出来る。梨沙がデュエルディスクを破壊した事もあり、拘束するという点で考えればはるかに簡単な事だっただろう。
「西澤……さんが……」
梨沙が命を脅かした状況でさえ薄ら笑みを浮かべ、頑なに追加の情報は吐こうとしなかった西澤。それが、いくら尋問を経たとしても、そう簡単に情報を口にしたとは、思えなかった。思考に過るのは、そんな西澤が情報を出さざるを得ない状況を、父親やワルトナーが作り出したということ……。
「…………分かった。それじゃぁ、エレベーターに向かえば、いいんだね?」
思考に割り込む不信感を、梨沙は無理やり抑え込む。悪い事やして欲しくない事に目を向けて、一体何になるというのか。真実がどうであれ、目を逸らすしかない。全てに正面から向き合ったところで、状況は進展しないし、精神が擦り減っていくだけなのを梨沙は理解している。父親から示された情報を元に、今後の行動指針を口にした。
「えぇ。ここが仮想現実である以上、脱出さえ出来れば……今の梨沙がどれだけ瀕死であろうと問題はありません」
痛みがない事で、自分の肉体がどれだけ危うい状況にあるのかを正確には把握出来ていない。しかし、体にほとんど力は入らず、左腕に至っては一切感覚がないのだ。そして、穂香がこれだけ涙を流している事からも、自分が死にかけている事実は疑いようもない。
「朱猟とのデュエルには、勝てたのですか?」
「うん……。デッキ破壊して、勝ったよ。だから……朱猟さんが、どうして死んでるかは、分からないけど……」
朱猟が倒れる直前に梨沙は意識を落とし、壮絶な痛みを前に意識が朦朧としていた穂香も現場で何が起きたのかは理解していない。デッキ破壊であれば、対戦相手にダメージが反映されないのは、何度も検証してきた。実際、梨沙の意識が途切れたのはデュエル終了のアナウンスが鳴った直後だった。つまり、朱猟があの状況に陥った原因は、梨沙が倒れた後の《ゴーストリック・マミー》が何かをしたとしか考えられない。
「とにかく……これで梨沙はクラスⅢ4人とのデュエルに勝利するというエスケープ条件の片方を満たしました。所持DPはどうなっていますか?」
エスケープの条件は2つ。4人のクラスⅢへ勝利する事と、100万DPを支払う事。梨沙はこれまで、アリス、父親、渚。そして、今回の朱猟とのデュエルを通して、無事4人のクラスⅢへ勝利を収めた事になる。問題は残った100万DPの方だ。
「ほのかが見るよ……」
満足に動けない梨沙に代わって、穂香が梨沙の右側から左側へと移動し、デュエルディスクの画面を操作する。
「右上の……所持DPってところだよね?」
「はい、そこの数字はどうなっていますか?」
父親に促され穂香が、梨沙の所持しているDPの桁を数えていく。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……34万と8600だよ」
梨沙の所持DPは34万8600。到底100万には及ばない数値だ。
「DP分けてもらう……なんてことも、無理だもんね」
「DPを直接取引することは出来ません。梨沙の容体から考えても100万貯める時間もありません」
父親が、ディスク越しに100万DPの条件達成が絶望的であることを告げる。数秒の沈黙を経て、父親が静かに続けた。
「こうなれば、エレベーターに向かい、バグを引き起こしてみるしかありませんね……」
「バグ……お父さんから、貰ったのだね……」
父親から託されている《電子光虫ライノセバス》を収めたカードホルダー。電子にバグを引き起こすその生態は、この電脳空間において未知数のバグを引き起こす可能性を秘めている。無論、あくまでバグを引き起こすだけの代物であり、梨沙にとって都合の良いことが起きる確証などはない。しかし、梨沙が死にかけている状況において、そんな都合のいい何かが起きる事へ賭けるしか術はなかった。
「そうと……なったら、早く行かないと……」
梨沙が身体を起こそうと力を込める。しかし、右手は動かせど、身体そのものを起こすまでには至らない。
「(……起きれない)」
意識がある程度はっきりして尚、身体に力が戻って来ない。自分に忍び寄る死という概念がより一層現実味を帯びてくる。
「お姉ちゃん……」
ゆっくりと首を穂香の方へと向ける。梨沙の左側にて、目元に涙を溜めながら不安そうな顔を浮かべていた。
「あはは、大丈夫……だよ。動けない、けど……エレベーターまで向かうくらい、なら……」
視線が自らの服のポケットへ向かう。そこには《盤外召喚》用のモンスターをまとめている。取り出すべく腕を動かそうとするが、手首より先を動かすのが精一杯だった。
「(これだと……モンスターに掴まるのは無理だ)穂香、ちゃん。悪いんだけど、私のポケットからシュタインのカードを取ってくれないかな?ゴーストリック、シュタインのカード」
穂香へゆっくり伝えると、彼女はコクリと頷く。そして、梨沙のポケットからカードを取り出し、その中から目当てのカードを見つけると梨沙へと翳す。
「《ゴーストリック・シュタイン》……これ?」
「うん……ありがと。じゃぁ、それを——
ピンポンパンポーン
梨沙の言葉を遮るように、それは突如としてフロアへ鳴り渡った。梨沙達の意識が、自然とアナウンスの響く虚空へと吸い寄せられていく。
【ただいまより、実験内イベントを開始いたします。詳細は各自のデュエルディスクにて、ご確認ください。また、イベント実施の為、フリーエリア内各所のシャッターが不規則に閉鎖されます。】
告知が行われると共に、梨沙のデュエルディスクに通知音が入る。そして、アナウンスは繰り返し同じ内容を放送し始めた。
「イベント……?」
突発的に開始宣言されたイベント。訝しく思いながらも、詳細を確認したいと梨沙の視線が左腕へと向かう。
「ごめん、穂香ちゃん……。何が書いてるか見えなくて……。もう少し、画面を……こっちに向けてもらえるかな?」
「うん、待ってて」
穂香がゆっくりと、梨沙の腕に装着されているデュエルディスクの画面を見えるよう動かす。そこには、実施されるイベントの内容が表示されていた。
*****
-実験イベント開催-
以下の指定被験者を殺害することで、エスケープ(実験終了)の権利を獲得出来ます。指定被験者の所在地は、イベント用のマップにて表示されています。イベント実施の為、各所のシャッターが不規則に閉鎖されます。
指定被験者:裏野 梨沙
被験者番号:265-0855
*****
「…………」
突きつけられた情報を前に思考が一時停止する。目を閉じ、呼吸に意識を向け、自身の心を落ち着けていく……。今一度、画面を凝視し、示された内容を咀嚼していると、ディスクより突如声が響いた。
「……梨沙!!急いでエレベーターへ向かいなさい!」
それは、父親の焦りを含んだ声音。その声が、梨沙が読み取ったイベントの内容と合致し、梨沙の内で感情が渦巻く。
「……っ、穂香ちゃん。マミーと入れ替えで、シュタインを、ディスクに置いてくれる?」
弱り切った肉体に反して、声は意外にもすぐに発された。この実験は考える時間さえ与えてくれない……。
「う、うん……」
まだイベントの内容を把握していない穂香は、戸惑いながらも梨沙の指示に従いデュエルディスクから《ゴーストリック・マミー》を取り除くと、《ゴーストリック・シュタイン》を召喚する。それによって、《盤外召喚》されていたミイラ男が消え去り、代わりにフランケンシュタインが姿を現した。
「シュタイン、お願い……。私のこと、運んでくれる?」
シュタインを見上げて、頼み込むとシュタインはゆっくりとしゃがみ込む。そして、その大きな手が梨沙を抱きかかえようと、床と身体の隙間へと差し込まれる。
「(まさか……私を狙い撃ちしてくるなんて……)」
実験側が起こしたイベント。その狙いは、他の被験者を使って梨沙を殺すことだ。離反した河原を、観測者である西澤が直接処刑しに来たことからも、この電脳世界の仕組みそのものを観測者側が操作し得ないことは明らかである。だからこそ、観測者側が実験へと干渉する術は、直接実験へ参加するか、被験者の動きを誘導するかの2択だ。今回、イベントの報酬として吊り下げられたエスケープという文言も、ここが電脳世界であることを考えれば、本当の意味で脱出など出来やしない。つまり、報酬などあってないようなものだ。しかし、その事実を知らない他の被験者にとっては、またとない脱出の機会にしか映っていないだろう。
「梨沙、状況は理解していますね?ミアを護衛にそちらへ向かわせます。今の梨沙では到底デュエルに耐えられるはずもありません。とにかく、急いでエレベーターへ向かいなさい」
「うん……。穂香ちゃん、私と一緒に居たら……きっと、危ないから……」
「やだよ……。お化けのお姉ちゃんと一緒に行く。お姉ちゃんがほのかのこと助けてくれたみたいに、今度はほのかがお姉ちゃんを守るの……」
そう言うと、穂香は床に置かれたデュエルディスクを拾い上げ、梨沙を抱き上げようと地面に広げられたシュタインの掌の余ったスペースへ置く。
「穂香ちゃん……」
移動の際に腕が痛むのか、時折表情を歪めながらディスクを置いた隣へと乗り込む穂香。バランスを保つように、シュタインの服の部分を掴む。
「ほのか、しっかり掴まってるから。フランケンさんは、お姉ちゃんのこと落とさないようにしてあげてね?」
そうシュタインへと伝える穂香に対し、シュタインがゆっくりと頷き返すと、2人が抱え上げられていく。そして、穂香は深手を負っていない手でシュタインの服から、肩に備えられた取っ手へ掴む先を変える。
「梨沙、穂香をその場に置いていく訳にもいかないでしょう。とにかく、移動しなさい」
父親に促され、梨沙は口を噤む。こんな場所に穂香を置き去りにしたからと言って、穂香が安全になる訳ではない。かといって、殺害対象となっている梨沙と同行しても穂香は危険に晒される。そして、この判断を迷っている間にも、被験者たちがこの場へ集まってきているかもしれない……。
「シュタイン……ひとまず、外に行って……。それから、真っすぐ……エレベーターのある場所まで……」
梨沙がシュタインへ指示を与えると、すぐさまシュタインがパープルフロアの出口へのそりと動き出す。最初の数歩こそゆったりとした足取りだったが、それは次第に速度を増していき、小走りで歩み始めた。
「(考える時間なんてない……。とにかく、今は動かないと……)」
梨沙と穂香を抱えたシュタインがフロアの扉の前へ立つ。扉が開かれ、外の紫に毒されていない白い床が目に映る。そして、すぐさまシュタインが外に出た事で、2人はフリーエリアへと出た。
「……っ」
フロアの正面に位置する、エレベーターへと最短で通じる通路にはシャッターが降りており、封鎖されていた。イベントの発生により、シャッターが不規則に閉鎖される事によって、被験者たちはスムーズにフリーエリアを移動できなくなっている。
「まずいですね……。梨沙、ディスクで表示されるマップはかなり正確に梨沙の位置を発信しています。現在、パープルフロアから出て行ったのも、こちらの画面で確認が出来ています……」
「そんな……じゃぁ、早くエレベーターに行かないとだよ」
父親の言葉に穂香が不安そうな声を洩らす。パープルフロアを出たという事実が父親のディスクに表示されている意味。それは、梨沙を狙う他の被験者にもリアルタイムで梨沙の現在地が共有されていることを示していた。
「どのシャッターが塞がれているかは、マップでは見えません……。とにかく、移動しなさい梨沙。不規則に動けば、他の被験者もシャッターで真っすぐ梨沙に近づくのは困難なはずです」
「シュタイン……。今塞がってる方角に、出来るだけ近づくように向かってくれる……?」
梨沙が視線だけを閉ざされたシャッターの方へ向ける。その先にあるであろうエレベーターの地点を目指し、シュタインがドタドタと通路を右に進む。そして、その先の通路を左へ曲がる。可能な限りの最短距離で移動するシュタインは、シャッターで道が塞がれているのを確認すると適宜方向転換して、エレベーターの方へと向かっていく。
「っ……う、ぐ……」
「お姉ちゃん……!大丈夫……?」
梨沙の表情が曇る。弱り切った梨沙の肉体は移動の際に生じる揺れで、心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。そして、シュタインが角を曲がる度に、遠心力の影響か呼吸が一瞬出来なくなる。痛みがなくとも苦しみの全てが取り除かれている訳ではない。浅い呼吸を繰り返しながらも、シュタインの手の中で揺られ、規則的に配置された天井の照明が流れていく。
「ん……ぐ、はぁ……はぁ……は、あ……」
大丈夫だ、と穂香へ言葉を返したかった。しかし、移動の揺れだけで梨沙は返事さえ出来ない。目の端に涙が浮かぶ。
「(諦めない……諦めない……諦めたり、しない……)」
心の中で、ただただ繰り返した。瀕死になった肉体はもう長くない。ならば、少しでも生き永らえるのに必要なのは、生きるという意思以外にない。懸命に呼吸する事にだけ意識を向ける。
「……!」
「う……」
突如、シュタインの動きが止まった。揺れが静止したことで、梨沙の呼吸のリズムが少しずつ緩やかになっていく。
「見つ、けた……。どっちだ?どっちを、ころせば……?」
梨沙の耳に響くのは、知らない男の声——。必然、出会ってはならない存在だと理解する。
「フランケンさん!戻って……!」
穂香の声が響けば、シュタインが踵を返して元来た道を戻ろうとする。しかし、数歩動き出した所でその歩みが再び止まる。
「お姉ちゃんに、近づかないで……!」
即座に元来た道の方向に向けて、穂香が声を荒げた。それと共に、視界の端で穂香が吊るされた右腕へ、包帯越しにデュエルディスクを装着するのが見えた。
「いっ……!?」
穂香が痛そうに表情を歪める。デュエルを行う為にも、無傷の左手は自由にしておかなければならない。だからこそ、痛みで絶叫を上げそうになりながらも、穂香は破壊された右腕へディスクを装着せざるを得ないのだ。目元に涙を貯めながらも、その瞳に宿る闘志は消えていない。
「ほ、のか……ちゃ……」
満足に息が吸えない中、穂香の名を口にする。自分を守ろうと、穂香がデュエルを始めようとしているのだ。死ぬかもしれないデュエルを……。
「あいつか……?いや、違う……そこで寝てる方か……!?」
最初に進んでいた通路の方から聞こえる疑惑に満ちた声が、期待に膨らんでいく。そして、元来た道の方向から、何者かの足音が聞こえてきた。
「(挟まれたんだ……)」
呼吸するのに精一杯で、満足に周囲の状況を把握できない梨沙が、そこでようやく事態を呑み込んだ。進行方向に現れた被験者。それを避けようとして、振り返った先にも別の被験者。この場所は、不規則に閉じるシャッターによって一本道になってしまっている。つまり、逃げ道が塞がれていた。
「ぅぐ……こ、来ないで……!近づくと……ひどいから……!」
穂香がデュエルディスクを構えようと動かすと、痛みで苦悶が浮かぶ。それでも、接近してきているであろう者達へ声をあげて威嚇する。
「……お、おいガキ!失せねぇと……お前もころすぞ!?外に、出られるんだ……こんなチャンス、もう二度とねえぇんだよ!!」
最初に道を塞いだ男から荒々しくも震えた声が放たれ、ひっと穂香が怯えた声を溢す。恫喝した男の足音が恐る恐る近づいて来る。そして、反対から近づいてくる足音は対照的に何の感情も感じられない無機質さだ。
「来ないで……」
「……ミア!まだ着かないのか……!?」
穂香が怯え、ディスク越しの父親の声は焦っていた。梨沙の身体は、ほとんど動かせないでいる。戦う事はおろか、梨沙達を囲む被験者の顔すらまともに確認できない。
「(どうしたら……どう、したら……)」
思考の加速と共に、弱った心臓が必死に鼓動を強める。呼吸すら忘れ、考える。
考えれば考える程に——死が、着実に形を持ち始めていった——。
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| 83 | Report#75「喪失」 | 564 | 2 | 2024-11-05 | - | |
| 74 | Report#76「黙殺」 | 435 | 2 | 2024-11-10 | - | |
| 73 | Report#77「残されたモノ」 | 477 | 2 | 2024-11-20 | - | |
| 101 | Report#78「死別反応」 | 720 | 2 | 2024-11-30 | - | |
| 68 | Report#79「メモリアリティ」 | 407 | 2 | 2024-12-10 | - | |
| 71 | 観察報告レポート | 556 | 2 | 2024-12-10 | - | |
| 76 | Report#80「始動」 | 432 | 2 | 2024-12-20 | - | |
| 66 | Report#81「不可視」 | 511 | 0 | 2024-12-30 | - | |
| 70 | Report#82「揺れ惑う正義」 | 585 | 2 | 2025-01-10 | - | |
| 66 | Report#83「研ぎ澄まされし逆鱗」 | 523 | 4 | 2025-01-25 | - | |
| 68 | Report#84「解と答え」 | 488 | 0 | 2025-02-10 | - | |
| 59 | Report#85「序曲-死という舞台」 | 453 | 0 | 2025-03-20 | - | |
| 57 | Report#86「終幕-道化な生き方」 | 497 | 0 | 2025-03-25 | - | |
| 70 | Report#87「白き魚と朱の花」 | 613 | 2 | 2025-04-25 | - | |
| 79 | Report#88「死線」 | 636 | 4 | 2025-05-10 | - | |
| 77 | Report#89「衝撃」 | 508 | 4 | 2025-05-30 | - | |
| 72 | Report#90「愛着障害」 | 505 | 4 | 2025-06-10 | - | |
| 54 | Report#91「囚われの愛」 | 900 | 5 | 2025-07-05 | - | |
| 67 | Report#92「募る心労」 | 481 | 2 | 2025-08-25 | - | |
| 57 | Report#93「父と子と娘」 | 359 | 2 | 2025-09-20 | - | |
| 56 | Report#94「デジタル・バグ」 | 386 | 0 | 2025-10-15 | - | |
| 49 | Report#95「無理解」 | 356 | 4 | 2025-11-30 | - | |
| 45 | Report#96「私のせいで」 | 306 | 0 | 2025-12-10 | - | |
| 52 | Report#97「積み重なる希望」 | 379 | 0 | 2025-12-30 | - | |
| 43 | Report#98「捕食者の影」 | 214 | 0 | 2026-01-25 | - | |
| 40 | Report#99「不退の弾倉」 | 242 | 2 | 2026-02-20 | - | |
| 42 | Report#100「繋がる選択」 | 292 | 3 | 2026-03-20 | - | |
| 44 | Report#101「無痛の代償」 | 222 | 0 | 2026-06-05 | - | |
| 37 | Report#102「枯れぬ悪意」 | 149 | 0 | 2026-07-25 | - | |
| 41 | サイト閉鎖に伴う今後の方針 | 264 | 0 | 2026-07-25 | - | |
| 33 | Report#103「暴食の竜」 | 165 | 0 | 2026-07-30 | - | |
| 35 | Report#104「散りゆく声」 | 191 | 3 | 2026-08-15 | - | |
| 30 | Report#105「被験者狩り」 | 424 | 0 | 2026-08-30 | - |
更新情報 - NEW -
- 2026/06/27 新商品 WORLD PREMIERE PACK 2026 カードリスト追加。
- 09/13 17:50 SS 第百十一話:祭りの準備
- 09/13 14:16 評価 2点 《マッド・デーモン》「 ジャックが使った下級アタッカーにして、…
- 09/13 12:23 評価 8点 《メタファイズ・アセンション》「総合評価:両方の効果が有力なカ…
- 09/13 11:54 評価 9点 《メタファイズ・ダイダロス》「総合評価:除外による除去、他のメ…
- 09/13 11:42 評価 4点 《メタファイズ・エグゼキューター》「総合評価:《メタファイズ・…
- 09/13 09:00 評価 7点 《メタファイズ・ファクター》「総合評価:手札から展開でき、無効…
- 09/12 19:30 評価 7点 《道化の一座 ドリッシュ》「《道化の一座『極芸』》で、唯一2体…
- 09/12 19:16 評価 9点 《道化の一座『極芸』》「道化の一座を脱法召喚で2体ssできる。…
- 09/12 15:05 掲示板 新オリカコンテスト計画処
- 09/12 04:26 掲示板 新オリカコンテスト計画処
- 09/11 19:18 評価 10点 《スカーレッド・ハイパーノヴァ・ドラゴン》「前人未到のクアド…
- 09/11 19:03 評価 10点 《コール・リゾネーター》「リゾネーター版増援。ジャックデッキ…
- 09/11 16:37 評価 9点 《D-HERO ドミネイトガイ》「 《フュージョン・デステニー…
- 09/11 13:09 一言 サイト閉鎖ですか...。長期の運営お疲れ様でした。 ここ最近は投稿で…
- 09/11 08:31 評価 8点 《ボルト・ヘッジホッグ》「昔のカードなのもあってあまり採用され…
- 09/11 00:29 評価 5点 《フォトン・クラッシャー》「【フォトン】で尚且つ《フォッシル・…
- 09/10 21:52 コンボ ランク3からフェレットジーランティス。レスキューフェレットの新コン…
- 09/10 20:38 評価 10点 《調和ノ天救竜》「マスターデュエルでデュエルしてます。 使…
- 09/10 20:35 評価 9点 《マルチャミー・フワロス》「ワロスと呼んでしまうのでプルリアも…
- 09/10 20:29 評価 8点 《マルチャミー・プルリア》「ティアラメンツだと水族で融合素材に…
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WORLD PREMIERE PACK 2026

REVOLUTION BOOSTER -トゥーン・ウィッチクラフト・破械-
CHAOS ORIGINS
LIMIT OVER COLLECTION -THE RIVALS-
ザ・ヴァリュアブル・ブックEX6
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BLAZING DOMINION
THE CHRONICLES DECK 精霊術の使い手
遊☆戯☆王OCG STORIES 6巻
ジャンプフェスタ2026
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