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013:モーメント 作:天2
013:モーメント
「ぐぎゃああああぁーーーーグェッ!!」
《ライトニングコード・トーカー》の直接攻撃をまともに受けて、ふっ飛ばされた瓜生が地面を転がる。
顔も服も砂や土にまみれて、一瞬でグズグズに汚れてしまった。そうして地面に横たわるその姿には、先程まであれほど勝ち誇っていた面影はもはやない。
「ぐッ……がッ……」
身体は動かないらしいが、呻き声が聞こえるため意識はあるようだ。
デュエルで受けたダメージは、精神への負荷となって現れる。モンスターが撃破されただけでも相当な負荷が掛かるが、それが直接攻撃ともなればその苦痛は想像するだけでも薄ら寒くなる。
瓜生はその直接攻撃ーーーましてや一度に4000を超えるダメージを受けたのだ。ともすれば致命的にすらなりかねない苦痛を味わっていることだろう。気絶せずに意識を保っているだけでも驚きだ。
瓜生の取り巻き達が慌てて駆け寄るのを横目に、ユーイはフィールドのモンスター達を消し、ハヤト達に向き直る。
「これでキミは自由だ、ハヤト」
あまりに鮮烈なデュエルの決着に呆気に取られていたハヤトが、そう声をかけられてようやく我を取り戻した。
ユーイを信じてはいたのだろうが、それでもやはり不安はあったのだろう。その表情には喜びより安堵の方が濃いように見えた。
「ありがとうなんだな、ユーイ。瓜生達から解放してくれたこともそうなんだけど、何かを護るために戦う勇気ってのを教えてくれたことに本当に感謝してるんだな」
「キミに助けてもらった恩を返しただけさ」
「恩?」
ユーイが視線をドールに移すと、ハヤトもそれに倣う。その先には空になったペットボトルを揺らす少女の姿。
「あ……」
そのペットボトルはハヤトがドールに施した水が入っていたものだ。
「言うたじゃろ、恩には報いるとな」
ドールが煌めくルビーのように微笑うと、釣られてハヤトも相貌を崩す。
たった1本の水のために自らが奴隷に堕ちるかもしれないデュエルに挑んだユーイ達に、驚きや呆れを通り越して可笑しさが込み上げてきたのだ。
「凄い奴らなんだな、キミ達は……!」
こんなに強く、こんなに温かく、こんなに馬鹿な連中には今まで会ったことがない。
「でもこれじゃあ、してもらい過ぎなんだな。オレもキミ達にこの恩を返したい。行く当てもなくなったし、キミ達の人探しに協力させてもらいたいんだけど、どうかな?」
「そりゃ助かる。是非頼むよ」
ユーイ達にとってこのサテライトはまだまだ未知の領域だ。ここに一日の長があるハヤトが仲間に加わってくれれば、その経験が活きることは多々あるだろう。ユーイ達にとってはまさに渡りに船だ。
ユーイが手を差し出すと、ハヤトは少し照れぎみにその手を握り返した。
その時だーーー。
「ぐぅあああがぁあああッ!!」
まるで猛獣の鳴き声のような叫声が上がった。
咄嗟に振り返ったユーイ達の目に飛び込んできたのは、苦しみのたうち回る瓜生の姿だった。
「何だ、何か様子がおかしいぞ」
近寄ってみると、目は血走り、鼻からは鼻水が口からはよだれが垂れ流され、揉んどり打って取り巻き連中の手にも負えない暴れようだ。
攻撃力4300の直接攻撃は、まるで刃で両断されたかのような痛みを瓜生に与えたかもしれない。
しかしそれは一瞬の幻痛であるはずだった。痛みのショックで気絶したり、或いはショック死してしまったりすることはあるかもしれないが、こんな狂ったような苦しみ方をするはずがない。
「『モーメント』なんだな……」
この症状に心当たりがあるのか、ハヤトが呟く。
その表情は瓜生への憐憫(れんびん)を帯びている。
「モーメント?」
聞きなれないワードにユーイが聞き返した。
ハヤトは沈痛な面持ちで目を伏せる。
「モーメントはーーーグールズの罪そのものなんだな」
瓜生の取り巻き達は青白い顔で目を泳がせる。
その様子から、モーメントというものが酷く良くないものであることを察する。
「さっき瓜生さんが言っていたことを覚えているか? 『サテライトに来て力を得た』って言っていただろ? その『力』ってのが、モーメントのことなんだな」
確かに瓜生は言っていた。シティにいた頃はただのこそ泥だったが、このサテライトに来て他人を虐げるだけの力を得たと。
「魔力増幅剤『モーメント』。服用するだけで、魔力を大幅に高めることができる薬なんだな」
「飲むだけで魔力を高められるじゃと……?」
ハヤトの話に、ドールが眉を寄せる。
ハヤトが心得ている様子で頷いた。
「訝るのは当然なんだな。何の努力もリスクもなしに魔力を高められるなんて有り得ないんだな」
確かに瓜生は最上級モンスターであるレベル8の《エビルドーザー》を、苦もなく操っていた。もしそれがモーメントの影響というなら、その効果は本物だ。
だが、もしハヤトの言うように何のリスクもなく魔力を高められる薬があるとすれば、それは世界そのものが引っくり返るほどの大発明だ。一般的にその存在が知られていないわけがない。
「オレもそんなに詳しいわけじゃないけど、モーメントは脳に作用してドーパミンの過剰分泌を起こすことで精神を活性化させる精神刺激薬らしいんだな。精神が活性化すれば、精神エネルギーである魔力も当然強くなるんだな」
「そうか。それは一種のーーー」
ユーイにはハヤトの言っていることの意味が理解できる程度だったが、ドールはそこから別の答えを導き出したらしい。
ハヤトもそれを察したらしく、顔に影を落としながら頷く。
「うんーーー『覚醒剤』なんだな」
『覚醒剤』ーーー。
記憶を失っているユーイでも、その単語には後ろ暗い印象を受ける。
覚醒剤とは、広義でいう精神刺激薬の一種。脳神経を刺激して一時的に心身の働きを活性化させる作用がある。
一方で中毒性が高く、依存症を誘発する可能性が高い。また副作用として食欲低下、不眠、血圧の上昇、便秘、幻覚、幻聴等を引き起こして健康被害を及ぼし、最悪死亡するリスクもある。
このことはこの世界でも広く周知されており、所持・使用の両方が違法薬物取締法に相当する法律で厳罰に処されるケースが多い。
そんな代物が法の目が届かないのを良いことにこのサテライトでは蔓延しているというのか。
「モーメントの依存性はその中でもかなり強い方なんだな。一度でも手を出せば、もう手離せなくなるって聞くんだな」
この世界ではデュエルが全てだ。そしてデュエルは魔力が全て。少なくとも人々はそう信じ込んでしまっている。
服用するだけで誰でもトップデュエリスト並みの魔力を得られるとなれば、薬の作用としての依存性以前にデュエリストの性として手離せなくなる気持ちは分からないこともない。
だが、そんな都合の良いものが何のリスクもなく手に入るわけはないのだ。
「当然、副作用も強烈なんだな……」
ハヤトは地べたを這いずり回って苦しむ瓜生に哀れげな視線を向ける。
「どういう原理だかは分からないけど、デュエルに負けると死ぬより苦しい苦痛に襲われるって聞いてたんだけど……」
瓜生の苦しみ方は明らかに尋常ではなかった。
涙、鼻水、涎。垂れ流されるそれらで顔や服が汚れるのも構わず、胸を押さえながら悶絶している。まるで身体の中で何かが暴れまわっているようだ。
「とにかくこのままじゃあ命に関わるかもしれないぞ。医者に見せた方がいい」
瓜生は確かに嫌な奴だったが、デュエルに負けたからといって何も死ぬことはない。
近くにあるのかどうかも分からないが、病院に連れて行った方が良いだろう。
「……その必要はねぇ」
苦しむ瓜生に手を出そうとするユーイを遮ったのは、その瓜生の取り巻きの1人だった。
「瓜生さんはオレらでアジトに連れて帰る。モーメントの副作用は死ぬほど辛いけど、死にはしない。連れて帰って安静にしていればその内治まる」
そう言って暴れる瓜生を無理矢理押さえ付けて両脇を抱える。
「テメェらは瓜生さんより自分達の心配をした方が良いぜ。瓜生さんはこれでもグールズの幹部候補だったんだ。その瓜生さんを倒したってことは、グールズに手を出したってこと。グールズは必ずチームを上げてテメェらに報復する。グールズのメンバーはサテライト中にいるぞ。逃げ場はねぇ。覚悟しとくんだな」
忠告だか脅しだか分からないそんなことだけ言い残して、彼らは瓜生を引きずるようにして行ってしまった。
「大丈夫なのか、本当に?」
先ほどまでバチバチに戦っていた相手だが、ああなると同情せずにはいられない。
「死にはしないというのはたぶん本当なんだな。モーメントの副作用で死人が出たって話は聞いたことがないんだな。まぁ、元通りってわけにはいかないかもしれないけど」
それは死人にはならずとも廃人にはなるかもしれないという意味だろう。
改めてモーメントの危険性を認識する。
「モーメントを売りさばいているのは彼ら自身じゃから、その特性は心得ているというわけじゃな?」
ハヤトは首肯しドールの推測を肯定する。
確かに瓜生自身が言っていた。『グールズに入って力を得た』と。
「モーメントがグールズの罪そのものーーーってのはそういう意味か……」
モーメントをサテライトで売りさばいているのはグールズ。
確かにそう考えれば、グールズが瓜生に『他社を虐げ得るだけの力』としてモーメントを与えたことと辻褄が合う。そしてそれは(無理矢理とはいえ)元構成員だったハヤトの証言からも間違いないのだろう。
現実の暴○団やマフィア同様、違法薬物の密売は巨額の利益を生む金の卵だ。グールズもまたこのモーメント密売により多額の資金を得ていることだろう。グールズがサテライト有数の有力組織として影響力を持っているのも頷ける。
だが一方で、グールズのばらまいたモーメントにより廃人に追い込まれた人々が確かに存在する事実は見過ごせない。それも決して1人や2人ではないはずだ。
誰かを不幸にしながら自らは莫大な利益を得る。それを悪と言わずして何を悪というのか。
モーメントの密売は、まさに『悪魔の商売』だと言える。
「そんな行いに手を染めている奴らを、このまま野放しにしておいて良いわけがない……!」
ユーイの心に確かな怒りが芽生えていた。
そんな非道を行う組織など、ユーイの作りたい優しい世界には不要なのだ。
「しかし妙じゃの……」
憤りを見せるユーイを目の端に留め、ドールが眉を寄せる。
「何がだ?」
「ぬしはおかしいとは思わんか? いくらグールズ共がサテライトの一大勢力とはいえ、要は無法者共の集団じゃろう。そんな輩がどうやって魔力増幅剤なぞ開発できよう。その技術は、その資金は、一体何処から来たものじゃ?」
ドールの疑問にユーイもハヤトも怪訝そうな顔になる。
「言われるまで疑問にも思わなかったけど、確かにドールの言う通りなんだな。グールズの幹部とも何度か会ったことがあるけど、そんなに頭が良さそうとかお金持ちそうな人はいなかったんだな」
「それはそうじゃろう。言うてはなんじゃが、サテライトは落ちぶれ者共の吐き溜まりじゃ。そんなものを開発できる力があるなら、最初からサテライトになど来てはおらぬじゃろう」
「それにグールズのアジトは街外れの廃工場跡なんだけど、モーメント開発のためにそこが稼働しているなんて聞いたこともないんだな」
フム、とドールは腕組みをする。
グールズが現在サテライトに影響力を持つ一大勢力であるのは間違いない。
しかし、だからといってモーメントなどという全く新しい覚醒剤を作り上げるだけの技術力があるかは甚だ疑問だ。
どちらかと言えば、そのモーメントの売買によって得た資金を背景に成り上がってきたという方がしっくり来る。
「そうなるとモーメントの出所(でどころ)はサテライトの外か……。奴らはどういうルートかは分からんが、サテライトの外ーーーつまりはシティからモーメントを密輸しておるとしか考えられんの」
シティにいる何者かがモーメントという新薬を開発し、グールズにそれを流している。
モーメントの手綱を握り、グールズを裏で操っている何者かがいるのは間違いない。
その時、ユーイの頭に閃くものがあり、我知らずポツリとこぼれ出していた。
「『海馬コーポレーション』……」
「何じゃと?」
その言葉に素早く反応したのはドールだった。
ユーイは神妙な面持ちになる。
「いや、何か確かな根拠があるわけじゃあないんだ。ただ、ここに来る前に闘った死の物真似師が言っていた言葉を思い出した。奴は確かに『海馬コーポレーションで魔力を増幅する措置を受けた』と言っていた」
「つまり海馬コーポレーションには実際に魔力を増幅することのできる技術がある……ということじゃな?」
ユーイは頷く。
「もちろん、それだけで海馬コーポレーションとモーメントを繋げて考えてしまうのは暴論かもしれない。だがサテライトに何をどれだけ密輸しようと海馬コーポレーションなら不可能じゃあない」
「うむ。確かに奴らならば充分あり得ることじゃ。奴らはサテライトの人間を人とは思うておらんからの、密売人として利用しようと常習者が廃人になろうと何の痛苦もあるまい。ましてシティから薬物をサテライトに密輸することなぞ造作もない」
ユーイとドールの剣呑な会話に、ハヤトは青ざめて目を丸くする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それが本当なら、この国は国を上げて違法薬物の密売に荷担してるってことになるんだな!」
当然ハヤトも海馬コーポレーションがこの国そのものであることは知っている。
その国の根幹たる海馬コーポレーションが違法薬物の密造・密輸・密売に手を染めているなど、ただの醜聞で済む話ではない。下手をすれば国が傾くほどの一大スキャンダルである。
慌てるハヤトにドールは冷静な視線を向けた。
その瞳には冷ややかな色。
「街に不要なら人をも捨てる国ぞ。それくらいやっておっても不思議ないわ」
吐き捨てるように言うと、ハヤトは絶句して青ざめた。
「その真偽はともかく、さっきの奴らの仲間に見つかると面倒なことになる。早めに城之内くんと合流した方が良いだろうな」
モーメントに関することは、今ここで議論していても何も分からない。
それよりももっと直近の厄介事の対策を考えた方が有意義だろう。
目下の厄介事と言えば、瓜生の取り巻き達が残した捨て台詞だ。
「グールズは必ず報復する」ーーー。
グールズの性質を考えれば、これをただの負け惜しみと斬って捨てるのは楽観に過ぎるというものだ。
ここにこのまま留まっていれば、彼らの仲間に見つかり易くなる。そして一度彼らに見つかれば、かなり厄介なことになるのは目に見えている。
流石のユーイでも1人でグールズを相手取るのは骨だ。戦力である城之内と合流し、協力して事に当たるか、少なくとも情報を共有しておく必要がある。
「城之内? 他にも仲間がいるのか?」
「ああ。頼りになる奴さ」
ユーイが太鼓判を押すのに、ドールはため息を吐いて肩を竦める。
「だと良いがの。あやつ、真面目に聞き込みをやっとるんじゃろうの。手ぶらで合流なぞしてみよ、灸を据えてやらねばならぬわ」
とにかく一先ずユーイ達は城之内との合流ポイントまで急ぐことにしたのだった。
「ぐぎゃああああぁーーーーグェッ!!」
《ライトニングコード・トーカー》の直接攻撃をまともに受けて、ふっ飛ばされた瓜生が地面を転がる。
顔も服も砂や土にまみれて、一瞬でグズグズに汚れてしまった。そうして地面に横たわるその姿には、先程まであれほど勝ち誇っていた面影はもはやない。
「ぐッ……がッ……」
身体は動かないらしいが、呻き声が聞こえるため意識はあるようだ。
デュエルで受けたダメージは、精神への負荷となって現れる。モンスターが撃破されただけでも相当な負荷が掛かるが、それが直接攻撃ともなればその苦痛は想像するだけでも薄ら寒くなる。
瓜生はその直接攻撃ーーーましてや一度に4000を超えるダメージを受けたのだ。ともすれば致命的にすらなりかねない苦痛を味わっていることだろう。気絶せずに意識を保っているだけでも驚きだ。
瓜生の取り巻き達が慌てて駆け寄るのを横目に、ユーイはフィールドのモンスター達を消し、ハヤト達に向き直る。
「これでキミは自由だ、ハヤト」
あまりに鮮烈なデュエルの決着に呆気に取られていたハヤトが、そう声をかけられてようやく我を取り戻した。
ユーイを信じてはいたのだろうが、それでもやはり不安はあったのだろう。その表情には喜びより安堵の方が濃いように見えた。
「ありがとうなんだな、ユーイ。瓜生達から解放してくれたこともそうなんだけど、何かを護るために戦う勇気ってのを教えてくれたことに本当に感謝してるんだな」
「キミに助けてもらった恩を返しただけさ」
「恩?」
ユーイが視線をドールに移すと、ハヤトもそれに倣う。その先には空になったペットボトルを揺らす少女の姿。
「あ……」
そのペットボトルはハヤトがドールに施した水が入っていたものだ。
「言うたじゃろ、恩には報いるとな」
ドールが煌めくルビーのように微笑うと、釣られてハヤトも相貌を崩す。
たった1本の水のために自らが奴隷に堕ちるかもしれないデュエルに挑んだユーイ達に、驚きや呆れを通り越して可笑しさが込み上げてきたのだ。
「凄い奴らなんだな、キミ達は……!」
こんなに強く、こんなに温かく、こんなに馬鹿な連中には今まで会ったことがない。
「でもこれじゃあ、してもらい過ぎなんだな。オレもキミ達にこの恩を返したい。行く当てもなくなったし、キミ達の人探しに協力させてもらいたいんだけど、どうかな?」
「そりゃ助かる。是非頼むよ」
ユーイ達にとってこのサテライトはまだまだ未知の領域だ。ここに一日の長があるハヤトが仲間に加わってくれれば、その経験が活きることは多々あるだろう。ユーイ達にとってはまさに渡りに船だ。
ユーイが手を差し出すと、ハヤトは少し照れぎみにその手を握り返した。
その時だーーー。
「ぐぅあああがぁあああッ!!」
まるで猛獣の鳴き声のような叫声が上がった。
咄嗟に振り返ったユーイ達の目に飛び込んできたのは、苦しみのたうち回る瓜生の姿だった。
「何だ、何か様子がおかしいぞ」
近寄ってみると、目は血走り、鼻からは鼻水が口からはよだれが垂れ流され、揉んどり打って取り巻き連中の手にも負えない暴れようだ。
攻撃力4300の直接攻撃は、まるで刃で両断されたかのような痛みを瓜生に与えたかもしれない。
しかしそれは一瞬の幻痛であるはずだった。痛みのショックで気絶したり、或いはショック死してしまったりすることはあるかもしれないが、こんな狂ったような苦しみ方をするはずがない。
「『モーメント』なんだな……」
この症状に心当たりがあるのか、ハヤトが呟く。
その表情は瓜生への憐憫(れんびん)を帯びている。
「モーメント?」
聞きなれないワードにユーイが聞き返した。
ハヤトは沈痛な面持ちで目を伏せる。
「モーメントはーーーグールズの罪そのものなんだな」
瓜生の取り巻き達は青白い顔で目を泳がせる。
その様子から、モーメントというものが酷く良くないものであることを察する。
「さっき瓜生さんが言っていたことを覚えているか? 『サテライトに来て力を得た』って言っていただろ? その『力』ってのが、モーメントのことなんだな」
確かに瓜生は言っていた。シティにいた頃はただのこそ泥だったが、このサテライトに来て他人を虐げるだけの力を得たと。
「魔力増幅剤『モーメント』。服用するだけで、魔力を大幅に高めることができる薬なんだな」
「飲むだけで魔力を高められるじゃと……?」
ハヤトの話に、ドールが眉を寄せる。
ハヤトが心得ている様子で頷いた。
「訝るのは当然なんだな。何の努力もリスクもなしに魔力を高められるなんて有り得ないんだな」
確かに瓜生は最上級モンスターであるレベル8の《エビルドーザー》を、苦もなく操っていた。もしそれがモーメントの影響というなら、その効果は本物だ。
だが、もしハヤトの言うように何のリスクもなく魔力を高められる薬があるとすれば、それは世界そのものが引っくり返るほどの大発明だ。一般的にその存在が知られていないわけがない。
「オレもそんなに詳しいわけじゃないけど、モーメントは脳に作用してドーパミンの過剰分泌を起こすことで精神を活性化させる精神刺激薬らしいんだな。精神が活性化すれば、精神エネルギーである魔力も当然強くなるんだな」
「そうか。それは一種のーーー」
ユーイにはハヤトの言っていることの意味が理解できる程度だったが、ドールはそこから別の答えを導き出したらしい。
ハヤトもそれを察したらしく、顔に影を落としながら頷く。
「うんーーー『覚醒剤』なんだな」
『覚醒剤』ーーー。
記憶を失っているユーイでも、その単語には後ろ暗い印象を受ける。
覚醒剤とは、広義でいう精神刺激薬の一種。脳神経を刺激して一時的に心身の働きを活性化させる作用がある。
一方で中毒性が高く、依存症を誘発する可能性が高い。また副作用として食欲低下、不眠、血圧の上昇、便秘、幻覚、幻聴等を引き起こして健康被害を及ぼし、最悪死亡するリスクもある。
このことはこの世界でも広く周知されており、所持・使用の両方が違法薬物取締法に相当する法律で厳罰に処されるケースが多い。
そんな代物が法の目が届かないのを良いことにこのサテライトでは蔓延しているというのか。
「モーメントの依存性はその中でもかなり強い方なんだな。一度でも手を出せば、もう手離せなくなるって聞くんだな」
この世界ではデュエルが全てだ。そしてデュエルは魔力が全て。少なくとも人々はそう信じ込んでしまっている。
服用するだけで誰でもトップデュエリスト並みの魔力を得られるとなれば、薬の作用としての依存性以前にデュエリストの性として手離せなくなる気持ちは分からないこともない。
だが、そんな都合の良いものが何のリスクもなく手に入るわけはないのだ。
「当然、副作用も強烈なんだな……」
ハヤトは地べたを這いずり回って苦しむ瓜生に哀れげな視線を向ける。
「どういう原理だかは分からないけど、デュエルに負けると死ぬより苦しい苦痛に襲われるって聞いてたんだけど……」
瓜生の苦しみ方は明らかに尋常ではなかった。
涙、鼻水、涎。垂れ流されるそれらで顔や服が汚れるのも構わず、胸を押さえながら悶絶している。まるで身体の中で何かが暴れまわっているようだ。
「とにかくこのままじゃあ命に関わるかもしれないぞ。医者に見せた方がいい」
瓜生は確かに嫌な奴だったが、デュエルに負けたからといって何も死ぬことはない。
近くにあるのかどうかも分からないが、病院に連れて行った方が良いだろう。
「……その必要はねぇ」
苦しむ瓜生に手を出そうとするユーイを遮ったのは、その瓜生の取り巻きの1人だった。
「瓜生さんはオレらでアジトに連れて帰る。モーメントの副作用は死ぬほど辛いけど、死にはしない。連れて帰って安静にしていればその内治まる」
そう言って暴れる瓜生を無理矢理押さえ付けて両脇を抱える。
「テメェらは瓜生さんより自分達の心配をした方が良いぜ。瓜生さんはこれでもグールズの幹部候補だったんだ。その瓜生さんを倒したってことは、グールズに手を出したってこと。グールズは必ずチームを上げてテメェらに報復する。グールズのメンバーはサテライト中にいるぞ。逃げ場はねぇ。覚悟しとくんだな」
忠告だか脅しだか分からないそんなことだけ言い残して、彼らは瓜生を引きずるようにして行ってしまった。
「大丈夫なのか、本当に?」
先ほどまでバチバチに戦っていた相手だが、ああなると同情せずにはいられない。
「死にはしないというのはたぶん本当なんだな。モーメントの副作用で死人が出たって話は聞いたことがないんだな。まぁ、元通りってわけにはいかないかもしれないけど」
それは死人にはならずとも廃人にはなるかもしれないという意味だろう。
改めてモーメントの危険性を認識する。
「モーメントを売りさばいているのは彼ら自身じゃから、その特性は心得ているというわけじゃな?」
ハヤトは首肯しドールの推測を肯定する。
確かに瓜生自身が言っていた。『グールズに入って力を得た』と。
「モーメントがグールズの罪そのものーーーってのはそういう意味か……」
モーメントをサテライトで売りさばいているのはグールズ。
確かにそう考えれば、グールズが瓜生に『他社を虐げ得るだけの力』としてモーメントを与えたことと辻褄が合う。そしてそれは(無理矢理とはいえ)元構成員だったハヤトの証言からも間違いないのだろう。
現実の暴○団やマフィア同様、違法薬物の密売は巨額の利益を生む金の卵だ。グールズもまたこのモーメント密売により多額の資金を得ていることだろう。グールズがサテライト有数の有力組織として影響力を持っているのも頷ける。
だが一方で、グールズのばらまいたモーメントにより廃人に追い込まれた人々が確かに存在する事実は見過ごせない。それも決して1人や2人ではないはずだ。
誰かを不幸にしながら自らは莫大な利益を得る。それを悪と言わずして何を悪というのか。
モーメントの密売は、まさに『悪魔の商売』だと言える。
「そんな行いに手を染めている奴らを、このまま野放しにしておいて良いわけがない……!」
ユーイの心に確かな怒りが芽生えていた。
そんな非道を行う組織など、ユーイの作りたい優しい世界には不要なのだ。
「しかし妙じゃの……」
憤りを見せるユーイを目の端に留め、ドールが眉を寄せる。
「何がだ?」
「ぬしはおかしいとは思わんか? いくらグールズ共がサテライトの一大勢力とはいえ、要は無法者共の集団じゃろう。そんな輩がどうやって魔力増幅剤なぞ開発できよう。その技術は、その資金は、一体何処から来たものじゃ?」
ドールの疑問にユーイもハヤトも怪訝そうな顔になる。
「言われるまで疑問にも思わなかったけど、確かにドールの言う通りなんだな。グールズの幹部とも何度か会ったことがあるけど、そんなに頭が良さそうとかお金持ちそうな人はいなかったんだな」
「それはそうじゃろう。言うてはなんじゃが、サテライトは落ちぶれ者共の吐き溜まりじゃ。そんなものを開発できる力があるなら、最初からサテライトになど来てはおらぬじゃろう」
「それにグールズのアジトは街外れの廃工場跡なんだけど、モーメント開発のためにそこが稼働しているなんて聞いたこともないんだな」
フム、とドールは腕組みをする。
グールズが現在サテライトに影響力を持つ一大勢力であるのは間違いない。
しかし、だからといってモーメントなどという全く新しい覚醒剤を作り上げるだけの技術力があるかは甚だ疑問だ。
どちらかと言えば、そのモーメントの売買によって得た資金を背景に成り上がってきたという方がしっくり来る。
「そうなるとモーメントの出所(でどころ)はサテライトの外か……。奴らはどういうルートかは分からんが、サテライトの外ーーーつまりはシティからモーメントを密輸しておるとしか考えられんの」
シティにいる何者かがモーメントという新薬を開発し、グールズにそれを流している。
モーメントの手綱を握り、グールズを裏で操っている何者かがいるのは間違いない。
その時、ユーイの頭に閃くものがあり、我知らずポツリとこぼれ出していた。
「『海馬コーポレーション』……」
「何じゃと?」
その言葉に素早く反応したのはドールだった。
ユーイは神妙な面持ちになる。
「いや、何か確かな根拠があるわけじゃあないんだ。ただ、ここに来る前に闘った死の物真似師が言っていた言葉を思い出した。奴は確かに『海馬コーポレーションで魔力を増幅する措置を受けた』と言っていた」
「つまり海馬コーポレーションには実際に魔力を増幅することのできる技術がある……ということじゃな?」
ユーイは頷く。
「もちろん、それだけで海馬コーポレーションとモーメントを繋げて考えてしまうのは暴論かもしれない。だがサテライトに何をどれだけ密輸しようと海馬コーポレーションなら不可能じゃあない」
「うむ。確かに奴らならば充分あり得ることじゃ。奴らはサテライトの人間を人とは思うておらんからの、密売人として利用しようと常習者が廃人になろうと何の痛苦もあるまい。ましてシティから薬物をサテライトに密輸することなぞ造作もない」
ユーイとドールの剣呑な会話に、ハヤトは青ざめて目を丸くする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それが本当なら、この国は国を上げて違法薬物の密売に荷担してるってことになるんだな!」
当然ハヤトも海馬コーポレーションがこの国そのものであることは知っている。
その国の根幹たる海馬コーポレーションが違法薬物の密造・密輸・密売に手を染めているなど、ただの醜聞で済む話ではない。下手をすれば国が傾くほどの一大スキャンダルである。
慌てるハヤトにドールは冷静な視線を向けた。
その瞳には冷ややかな色。
「街に不要なら人をも捨てる国ぞ。それくらいやっておっても不思議ないわ」
吐き捨てるように言うと、ハヤトは絶句して青ざめた。
「その真偽はともかく、さっきの奴らの仲間に見つかると面倒なことになる。早めに城之内くんと合流した方が良いだろうな」
モーメントに関することは、今ここで議論していても何も分からない。
それよりももっと直近の厄介事の対策を考えた方が有意義だろう。
目下の厄介事と言えば、瓜生の取り巻き達が残した捨て台詞だ。
「グールズは必ず報復する」ーーー。
グールズの性質を考えれば、これをただの負け惜しみと斬って捨てるのは楽観に過ぎるというものだ。
ここにこのまま留まっていれば、彼らの仲間に見つかり易くなる。そして一度彼らに見つかれば、かなり厄介なことになるのは目に見えている。
流石のユーイでも1人でグールズを相手取るのは骨だ。戦力である城之内と合流し、協力して事に当たるか、少なくとも情報を共有しておく必要がある。
「城之内? 他にも仲間がいるのか?」
「ああ。頼りになる奴さ」
ユーイが太鼓判を押すのに、ドールはため息を吐いて肩を竦める。
「だと良いがの。あやつ、真面目に聞き込みをやっとるんじゃろうの。手ぶらで合流なぞしてみよ、灸を据えてやらねばならぬわ」
とにかく一先ずユーイ達は城之内との合流ポイントまで急ぐことにしたのだった。
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