EP36　今を後悔しないように　作：ター坊

「なるほど、あいつの弟が…」
「ご存知なのですか？」
夜、梓はたまたま魅河荘に遊びに来ていた遊路を呼び止めて自室に入れ、中村羅龍風について尋ねてみた。凍りついた遊季都の顔が頭から離れず、何かせずにはいられなかったのだ。
「ああ。何度かやったけどそんなに強くはなかったな。ただ…」
「ただ？」
「…内密な話だがちょっときな臭い噂があってな」
「そう…ですか」
梓はさらに突っ込んで訊きたかったが、普段にこやかな遊路の顔の険しさを見ると、高校生風情がこれ以上立ち入ってはいけないと直感して、一旦納得して話を切った。
「お話、ありがとうございました」
「…遊季都の様子はどうだ？」
「はい…。やはりショックだったようでして…」
「そうか。なら俺から１つ、伝言を頼めるか」









場所を移してここは遊季都の自宅。今は小町と悪魔達と食事中だが、遊季都の箸の進み具合は遅かった。
「遊季都や。何かあったのかい？」
「ばっちゃん…」
「…」
小町は黙る遊季都を見つめる。それは威圧的とは異なるが優しくも不思議と力強さがあり、遊季都は隠しきれないだろうと観念して今日会った羅龍風の弟のことを話した。
「…そうかい」
「うん。もう８年も前の話だから今さらって思うけどさ…」
遊季都の人生はあの日から普通ではなくなってしまった。世間から卑怯者と罵倒され、親に勘当されて家を叩き出され、何処へ行ってもあの汚名がつきまとい傷つく。そして何の巡り合わせか、それらの原因となった人間と接近することとなって遊季都は迷っていた。
―怒りをぶつけるか？しかし、それはもはや過去の話だと一笑に付されてしまうのではないか？むしろ、それをしたことで報復として今の仲間に迷惑が掛かることをするのではないか？
―ならば泣き寝入りか？しかしそれでは昔の自分と変わらないのではないか？
遊季都の思考はほどこうとすればする程余計に絡まってしまう糸のような状態だ。
「…遊季都や。後で夜の散歩に行かんかい？」
「えっ？どうしt」
「ラズベリーちゃん達もどうだい？」
「えっと…じゃあお言葉に甘えて…」
【ラ、ラズベリー！？】
【良いんじゃない？気分転換ってことで】



夕食後、小町は遊季都達を連れて家の裏山に来た。坂道の勾配は緩いから登るのは苦ではないが、田舎故に電灯は疎らにしかなく、大小様々な石にまみれたデコボコ道をなんとか視認しながら歩けるくらいの明るさしかない。
「でもばっちゃん。急にどうしたの？」
「足元に気を付けなよ」
「えっ？おおっ！？」
「遊季都くん！？」
「おふっ / / /」
遊季都の姿勢がよろけるが近くにいたラズベリーがなんとか胸で支えた。遊季都は何があったかと下を見ると、よろけた辺りには周りよりもやや大きめな石が転がっていた。
「遊季都や。この坂、何て言うか分かるかい？」
「ううん」
「ここはねぇ、人生坂って言ってたんだよ」
「じんせい…ざか？」
「おっ父(とう)…、遊季都にしたらひいじいちゃんだねぇ。その人がそう呼ぶんだ」
小町はその当時の事をまるでお伽噺のように語る。
「ばっちゃんが遊季都よりもずぅっとちっちゃい頃、エイコちゃんって地主様の娘さんがおってな。その子とは友達で、遊びはいつも一緒でねぇ。けどある日、大喧嘩して一生口利かんってなってなぁ…。お互い意地っ張りだから謝って仲直りしようにも言い出せなくて…。それを見かねたおっ父がエイコちゃんと一緒に夜中この坂を登らせたんだよ」
「へぇ…」
遊季都の耳は小町の昔話に釘付けになっていた。小町が小さい頃とは１０歳もいってないところだろうか、この暗い坂道を小さい子どもが登るのはちょっと大変そうだな、っと想像を膨らませながら。
「今よりも真っ暗で怖くてねぇ。そしたらアタシがドタッと躓いて」
「えっ。ばっちゃんが？」
「ああ。そん時は怖いの紛らわせようと別の事考えててなぁ。何であんな喧嘩したのかな、仲直りはどうしよって上の空だった。それで転んだら膝擦りむいて血がジクジク出てワンワン泣いたさ。そしたらエイコちゃんがお気に入りのハンカチ汚れるのも気にしないで拭いてくれたんだぁ…」
「そんな事、あったんだ…」
「そしたらおっ父が言ったんだ。《小町、これが人生ってやつだ。前の事や先の事考えすぎるとそうやって足元がお留守になってすっ転んじまうぞ》って」
「…あ」
遊季都の中でピタリと重なる音がした。前の事ーあのデュエルの事、先の事ーこれから過去にどう接するべきかという事。どうすれば良いか分からなくて、けど時間は待ってくれないから分からないながらも進まなくちゃいけなくて…。
「遊季都もそうじゃないかい？」
「そうだね…」
「もしすっ転んでも我慢しないでワンワン泣いたっていい。エイコちゃんが助けてくれたみたいに遊季都にもいるだろぉ？」
「…うん。そうだね」
遊季都は小さくも強くそう答え、こう付け加えた。
「でもね、ばっちゃん。僕は転ばないよ。転んだら、僕自身が後悔するから」










そんな出来事から３日後。Ｄブロック第２回戦当日となった。チャレンジャーＺの面々は控え室のベンチでおとなしく座っていた。特に遊季都はあの時の表情とはうって変わって穏やかになっていた。
「赤崎くん、大丈夫かぁ？」
「心配掛けてすいません。でも、もう決めたんです」
「何をですの？」
「今は目の前の事をやり遂げるって。昔の事も少し先のこれからの事も一旦置いて。じゃないと躓いて転んじゃいますから」
「…ふふっ」
普段から落ち着いてる梓が珍しく笑う。
「どうしたんですか？」
「いえ。実は風峰プロから伝言を預かっていたんですが…」
「風峰プロが、ですか？一体…」
「《過去や未来ばかりに拘るな。今を後悔ないようにやり切れ》…との事ですわ」
「そう…ですか」
遊季都の口許が僅かに緩む。そんなやんわりとした雰囲気でいると控え室の扉が開いた。
「チャレンジャーＺの皆さん。そろそろ入場口にお越しください」
スタッフがやって来て試合開始が近づいているのを知らせる。
「はい。分かりました」
このまま進めば羅龍風の弟にぶつかる可能性も出てくる。けれど遊季都はそんな過去の因縁と未来の不安は一旦蹴って今の一戦、坂木凌馬との対戦を躓かないようにと決意したのだった。入場口に向かうその足取りは軽い。