HOME > 遊戯王SS一覧 > 遊戯王 REVERSE > 第6話 壁と修理とハリケーン

遊戯王 REVERSE/第6話 壁と修理とハリケーン 作:イベリコ豚丼

「なん、だと……」
夜の学校で嵯峨野との激戦を制し、全身激痛感謝祭《マッスルペイン・カーニバル》を経た、4月某日土曜日。
遊午は自室の学習机の前で膝から崩れ落ちていた。
「でゅ……でゅ……!」
遊午は震える手で学習机にのった物体を持ち上げる。
赤を基調として、ところどころに白色で意匠が加えられたタブレット端末。一昨日の夜から放り投げられたままの遊午のデュエルディスクである。
より正確には、かつて遊午のデュエルディスク『だったもの』である。
基盤が覗き、ヒビが入ったタッチパネルは完全に白濁し、デュエル時に展開してモンスターゾーンやフィールドゾーンとなる下部パーツが廃屋のドアのようにふらふらとぶら下がったそれには、もはや精密機器だった面影など微塵も残っていない。
そう。つまりは。
「デュエルディスクぶっ壊れたぁぁぁぁっっっっ!!!」
うららかな春の朝、今日も今日とて少年の叫びがこだまする。
直後に眠りを妨げられた銀髪の美少女が後頭部にドロップキックを喰らわせたことで、すぐに静かになったが。

「学ランの袖が肘から引き千切られてた時点でなんとなくそんな気はしてたけど、あまりにもあんまりすぎるぜ……」
さめざめと嘆きながら、遊午は市販の瞬間接着剤で欠けたパーツをつなぎ合わせようと試みる。もちろん、そんな程度で修理出来るような希望に満ちた壊れ方ではない。
「あんな鎖の濁流に飲み込まれたのじゃ。むしろそれだけですんで良かったではないか」
遊午の騒々しさに二度寝を諦めた八千代は、ウサギの耳のような赤い髪飾りを揺らしながら小さく伸びをする。。
「それとも金が惜しいのか?」
「いや、新しく買い直すつもりはないからそこは別にいいんだけどさ。ただなぁ……修理ってなると『アイツ』んとこに行かなきゃならないんだよなぁ……」
「ほう、ユニオンモンスターのところに」
「『アイツ(発音注意)』じゃねぇわ。えぇと、知り合いのエンジニアなんだけど、出来ることなら関わりたくというか……」
「そんなに恐ろしい者なのか?」
言われた遊午は、どこか遠い目で窓の外へ目をやりながら、
「恐ろしいっていより、危険、かな……」
「?」
要領を得ない言葉に八千代は首をかしげた。
「じゃが遊午、CHESSがいつ襲ってくるかわからんのじゃ。まさかそのまま放って置くわけにもいかんぞ」
「ですよねー……。あーもうしゃーない! パッと行ってパッと帰る!」
わしゃわしゃと寝癖のついた髪をかき混ぜ、とにもかくにも遊午は用意を始めることにした。
素人の付け焼き刃でさらに異形なビジュアルになったデュエルディスクを掴み直し、モスグリーンのカーペットにほっぽり出した学生カバンを拾――えなかった。
「Oh……」
カーペットの上にあったのは、持ち手がもぎ取れ、布地がほとんど弾け飛んだ、荷物を持ち運ぶどころか急な雨を防ぐ傘代りにもならなそうな大きなボロ雑巾。
鎖の濁流のとき、学生カバンは床に放置してあったのだから当然の結果である。


手早くハムエッグにチーズをのせたトーストを腹に入れた遊午は、クローゼットから引っ張り出してきたサンドイエローのデイパックを背負って家を出た。
「この時間帯だとバスより電車かな」
左腕にはめた腕時計を見て遊午が呟く。
「む、『電車』か。たしか長くて早い乗り物のことじゃったな」
まるで見た目通り7歳児のような八千代の台詞。彼女は20年もの間人間社会に紛れ込んではいたが、実際に関わりを持ったことはない。ゆえに、〇〇とはこれこれこういうものだという知識はあっても、そこに経験が伴っていないのだ。絵本だけで情報を得る子供の認識のようになってしまうのは仕方のないことなのである。
「あれに乗るということは、そのエンジニアの家は随分と遠いのか?」
「うん。あそこは『壁』の近くだからさ」
「……『壁』?」
唐突に飛び出した意味不明なワードに、八千代はわずかに眉をひそめた。
「あぁえっと、『壁』っていうのはこのハートピアを囲ってる外壁で、外からの侵食を防ぐと同時に内側の環境を整えてて、うんたらかんたらがどうたらこうたらで……」
「まったくわからん」
いつぞやとは逆に、さっさと理解を放棄してしまう八千代。
(ううむ。あれを口で説明するのはさすがに無理があるか)
『壁』。
それは遊午たちハートピアの住人にとって何より馴染み深く、重要な意味を持つ単語なのだが。
「うーん、町を上から見られれば一発なんだけど…………あ、そうだ。そういえばデュエルディスクの中にハートピアの航空写真が入っ……おっふ」
デイパックからデュエルディスクを取り出そうとした遊午は、再び残骸を見て絶望するのであった。
「なんじゃ、空からの景色が見たいのか? なら良い方法があるではないか」
悪夢のような現実から目を背けていると、斜め上から八千代が言った。
「良い方法? 紙飛行機にでも乗るの?」
「『アイツ(発音注意)』かお主は」
違う違う、と八千代は首を横に振って、
「飛べばいいのじゃよ」
さらっと無茶苦茶なことを言い放った。


「ひっぎゃぁぁぁ――――っっっ!!」
5分後、遊午は八千代に襟首を掴まれ本当に空を飛んでいた。
「無理無理無理! 降ろして! 離して! 死んじゃうぅぅぅっっっ!!」
「こら、暴れるな」
皮膚が絶え間なく波打ち、半分崩壊した表情で遊午は叫ぶ。
現在地上から35メートル。一般的なビルに変換して約10階分である。
リアルに効果線が見えてしまうほどの速度で景色が後方に流れてゆく。なおも上がっていくスピードに、遊午の黒いパーカーがばさばさと鳥のようにはためいている。
「ひぃっ! 地面があんな遥か遠くに! これはあかんやつだって! 落ちたらグッチャグチャだわ!」
「安心せい。グッチャグチャになっても妾と魂を繋いでおるゆえ、死にはせん。人の身では経験出来ん激痛に悶え苦しむだけじゃ」
「マジで洒落になんねぇ!」
言ってる間にも、高度はぐんぐんと上がっていく。
今さら抗ってもどうしようもないことを察し、遊午は思考を切り替えにかかった。
(セイセイセイ、落ち着け、落ち着くんだ白神 遊午。八千代ちゃんは飛び慣れてる。気絶してて記憶にないが、一度は家まで運んでくれたことだってあったらしい。安心して任せておけば大丈夫なはずだ。だから考え方を変えよう。今俺は天使に運んでもらってることにしよう。丁度八千代ちゃんの可愛さは天使どころか神クラスだし、そんな美少女だらけの天国に近付いてると思えばいい。ほら、そうやって見てみればこの景色も中々の絶景じゃあ――――)
「ところで遊午。荷物を抱えた妾の限界高度は80メートルと少しぐらいじゃからな。このままじゃとまもなく振り落とすぞ」
リアルに天国が近付いていた。
「え? いや、ちょっ、はぁぁっ!? なにそれ嘘だよね!? 俺のびびった姿が滑稽だからちょっと脅かしてやろうとかそういう茶目っ気だよね!?」
「いやマジマジ。そこで手放さんと今度は妾の飛行に影響が出るからの」
「じゃあどうすんのさ! なに、空から町を眺めようっていうのは建て前で、ほんとは八千代ちゃん俺をミンチにしたかったの!?」
「それが嫌ならさっさと自力で飛べ。あと10メートルじゃ」
「無茶言わないでよ! どうやったって人間が飛べやしないのは中1の夏に散々思い知らされたよ! 蝋の翼でも飛べないんだ、そんなのもう背中から翼生やすぐらいしないと――――あ」
「やっと気付いたか。ほれ、残り8メートル」
人間の背中から生える翼。
遊午はその存在を知っている。というか、実際に体験したことがある。
(ウィングリッターの翼……!)
強力過ぎる-Noの力はその所有者にも影響を及ぼす。それは掌から鎖を射出する能力であったり、カードによって様々だが、遊午の-No、ウィングリッターの力は背中に巨大な白翼を広げるというものだった。
(たしかにあれなら落下せずに済むかもしれないけど、でもあれどうやって出すんだっけ!? 一昨日はがむしゃらにやってたらなんか勝手に出ちまったからわっかんねぇぞ!?)
記憶をひっくり返してなんとか手順を模索する。
だがまさかそのためにわざわざ飛行を止めてくれるはずもなく、ついに高度は80メートルに達した。
「さーんにーいーち」
「わわわっ! ちょまっ……!」

ぱっ

と、遊午の体が宙に放り出された。
上空83メートル。タワーマンションの屋上にも匹敵するその高さから落ちれば、人間などひとたまりもない。骨が砕け肉がすり潰され見るも無残な骸が一人前完成すること請け合いだろう。
だが、遊午はそうはならなかった。
もちろん、車に轢かれた蛙のようにグッチャグチャになったまま生きているわけでもない。
「あっぶねぇぇ……っ!」
季節外れの雪が空を舞う。
その正体は、作り物のように白い羽の群れ。
「うむ。うまくいったようじゃな」
遊午の背に広がる白翼を見て、八千代は満足そうに頷く。
「では行くぞ。ついて参れ」
「つ、ついて参れって、これどうやって動かしたら上に昇れるの?」
頼りない浮遊感に、遊午の額に冷や汗が浮かぶ。
翼は相変わらず直感だけで動いてはくれているが、一定の高さを保つだけでそこから移動しようとはしない。
そもそも普通の人間に翼が生えた経験などあるわけないのだから、飛び方がわかるはずもない。
「なに、簡単じゃ。こうブワァーっとやってグワッーっとやったらシュバァン! となるからあとはそれに任せておけばよい」
「わかるかこの野郎」
あの女の子大好き食べちゃいたい(エロい意味で)な遊午が女性にこの野郎とか言ってしまっている時点で、どれほど切羽詰まっているかが見てとれる。
「むむ。まぁこんなものは慣れじゃ慣れ。初めは手を引いてやるから適当に翼を動かしてみよ」
柔らかい感触が遊午の右手を包む。
華奢な八千代の手に引かれるままに、遊午は人生初の自力遊覧飛行へと旅立った。

そんなこんなで、ハートピア最大のランドマーク、『ハートピアタワー』すら見下ろす高度800メートル。
つい足下を見てしまった遊午がぶるりと震えたのは、地上より気温が5度ほど低いせいだけではない。
「驚いた……。この町は箱庭じゃったのか……」
八千代が唖然と声を漏らした。
二人の下に広がるハートピアの町並み。
ハートピアタワーを中心として町の外周にそびえる白い壁が作る、半径110キロメートルに及ぶ巨大な円。中心から流れる6本の川によってピザのように等間隔に区分けされた町の内側には、ビルや民家の他に工場や駅や高速道路、はたまた小さな丘や湖などが所狭しと配置されている。
だが、壁の外。
幅40メートルほどある極厚の隔壁の向こう側には、何もない。
見渡す限り建造物はおろか、木も、水も、平らな大地すらも見当たらない。無と有の境目のような景色が広がっていた。
「『ワールドリバース』」
「ッ!!」
その単語に、八千代の顔が強張った。
「20年くらい前、まるで『世界を丸ごとひっくり返した』みたいにこの世の全てを等しく10分の1にまで削り取った史上最悪の大災害。……あれのせいで住める場所も住む人も10分の1になっちゃったからね。みんなで寄り集まってスペースを区切って内部の環境を調整しないと、もう人間は生きていけないんだよ。そうやって出来たのが、この第1ビオトープ『ハートピア』」
遊午は歴史の教科書を思い出しながら続ける。
「この国はもともと自然にあふれてたらしいけど、それも今じゃほとんどが人工物。ほら、例えばあそこ」
遊午の指先にあるのは町を区切る、極端に真っ直ぐ過ぎる6本の川のうちのひとつ。岸に沿って葦が群生する、流れているかいないかもわからないほどゆったりとした川。
「あれ、俺と八千代ちゃんが出会った川だけどさ。あの川も当たり前のように作り物だよ。6本の川と『壁』に沿った環状の浄水路で、限りなく天然に近い人工の水を循環させてるんだ。だから流れの速さも水質も思いのままなんだぜ」
6本の川は流れの速いものと遅いものが交互に並んでいる。二人が出会った川はもちろん遅い方に分類される。
「他にも気候を読んで最適な実をつける木とか、多様性を生むためにわざと栄養分を減らしたした土とか、おかしなものは色々ある。幸か不幸か、操る人間の数は減ってもテクノロジーだけは生き残っちゃったからね。そこんとこはどうにでもなるわけ」
「……皮肉なものじゃな」
まるで何事もなかったかのように、人の手で調整された、仮初めの平和。
まさに箱庭。
「ま、中には昔は良かったなんて愚痴を言う人もいるけど、俺達みたいは災後生まれにしてみれば綺麗なハートピアしか知らないわけで。今さらこの状況に疑問を持ってる人の方が少ないんじゃないかな」
「そういうものか」
「そういうものだよ」
遊午は軽く肩をすくめる。
「ついでに他の説明もしとこっか。見ての通りハートピアは6つに分けられてるんだけど、それぞれの区画にそれぞれの特色があるんだ。例えば1区」
遊午は町の上部、時計の文字盤でいう11時から1時にあたる区画を指差す。
「1区は行政特区。議事堂とか郵便局とか、そういう政治関係の施設はほとんど全部あそこに集まってる。あとは、さっきハートピアを第1ビオトープって呼んだように、こんな感じの町が世界中に点在してるんだけど、そこから来た人用の大使館なんてのも1区に入ってるかな」
指先が右に回っていく。
「そっから時計回りに、2区は福祉、3区は教育、4区は娯楽、5区は工業、6区は交通。その区画がまるっきりそればっかってわけじゃないけど、担当区画に行けば目的の物はまず手に入る。限られたスペースで町を回す工夫だよ」
そこで遊午は右手を手元に引き戻して、今度は人差し指を立てた。
「それに加えて、目には見えないけどハートピアにはもうひとつ区分けがある」
再度町を指でなぞる遊午。人差し指が円形の町をさらに3つのブロックに分けるように同心円を描いた。
「中心から遠いブロックになればなるほど、町の質がどんどん下がってく。そこに住んでる人の収入や地価、治安もね。壁の真下なんかはほとんどスラム街だ。中心部の子供なんかは大体みんな壁には近付いちゃいけませんって教えられてるよ」
ちなみに、遊午の家は3区の中でも2区に寄った真ん中のブロックにある。子持ちの中流階級が最も多い地域である。
「……随分とCHESSから逃げておったつもりだったが、まさか同じところをぐるぐる回っておっただけじゃったとはな。笑い話にもならん」
空中で腕と脚を組んだ八千代はふん、と鼻を鳴らす。
「それで説明は終わりか? ……そうか。ではそろそろそのエンジニアの家へ行くとしよう。どの辺りなのじゃ?」
八千代の問いに、遊午は黙って3区の後方を指し示した。
「飛んでるところを見られると面倒だから、着地は人気のないところにね」
「心得ておるわ」
言って、八千代は行きよりもゆっくりと高度を下げてゆく。
その後ろ姿を追いながら、遊午はふと気になったことを口にした。
「そういえば、『壁』を知らないなら、八千代ちゃんどうやってこの町に入ったの?」
一瞬、遊午の目には八千代の肩がピクリと固まったように見えた。
しかし、すぐにまた降下が再開され、
「……覚えておらぬ。目覚めたときにはもう、この町の中におった」
聞こえるか聞こえないかぐらいのか細い呟きは、風に紛れてかき消えた。

☆ ☆ ☆

「うぅ、まだ浮いてる感覚が消えない……」
人気の無い空き地に着地した遊午は、浮遊感の残る両膝をさすりながら辺りを見回す。
一面に生温い霧がうっすらと立ち込めた、『壁』からおよそ10キロメートルほどに位置する地域。
表札も付いていない木造の民家が不規則に並び、その影にはペンキで汚れたベニヤ板やトタンが捨てられている。唯一小学校らしきものだけはコンクリートで建てられているのは、曲がりなりにもここが教育を司る3区に属しているからだろう。
遊午の住む地域とはひと回りもふた回りも劣る住環境。
これがこの町の実態。
たとえ世界が滅びようと、国中の生き残りが一ヶ所に集められようと、決して格差は無くならない。
「ほれ、呆けておらんと、さっさとエンジニアの所に向かうぞ」
「ほいほい」
二人はとりあえず平らにはしましたという感じの砂利道を進む。
しばらくすると、霧の中にぼんやりと山のような輪郭が現れた。高さ6メートル、幅15メートルほどのこじんまりとした山。
だが、さらに歩みを進めると、その正体が普通の山ではないことがわかった。
可燃ゴミも不燃ゴミも粗大ゴミもペットボトルもプラスチックもカンもビンもぐちゃぐちゃに積み上げられた、ゴミの山。霧が日光を遮っているおかげかそれほど腐臭は漂っていないが、不愉快な威圧感がある。
その麓、ゴミの山に紛れるように一軒の店が建っていた。外れかかった看板に書かれている文字は薄汚れて読み取れない。
遊午は家の前で一旦立ち止まると、ごくりと唾を飲み下して、木製の扉のノブに手をかける。
その直前だった。
「テメェの小便で顔洗って出直して来いや三下ァ!」
「ドゥアッ!?」
外開きの扉が派手に開いて、巨漢の男が勢いよく吹っ飛んできた。
「クソッ! お、覚えてやがれこのアマ!」
男は水切りの石のように二、三度地面をバウンドすると、典型的な捨て台詞を吐いて遊午たちの来た道を走り去ってゆく。
その一方で、
「デコッ、デコがっ! デコがぁぁぁっ!」
と奇妙にハウリングがかった喘ぎ声を奏でながら、扉の角が直撃して結構な量の血が流れ出る額を押さえて砂利道をもんどり打つ遊午。
「あン? 遊午? なんでテメェがここにいんだ?」
扉の内側には、カーキ色のタンクトップに雪原仕様のミリタリーパンツを合わせた長身爆乳の女が、球を投げ終えたピッチャーのような体勢で立っていた。
のたうち回っていた遊午は女の姿を視界にとらえると、鈍痛にもがきながらもなんとか上半身だけは起こして食ってかかる。
「ッ、翠嵐! いきなりなにしてくれやがんだ!」
「いやぁ悪りぃ悪りぃ。修理代踏み倒そうとしたカス野郎をぶちのめしてたとこだったんだが、まさか扉の前に人がいるとは思わなんだ」
あっはっはっと笑いながら、女は頭の後ろでひとつにまとめた燃えるような赤毛をぽりぽりと掻く。
「悪りぃで済むか! 見ろこれ! 俺のキュートでプリティーなおでこが真ん中でパックリ割れちまってんじゃねぇか!」
「……ちっ、うるせぇな。だから謝ってやってんだろ。つーか野郎一人分の衝撃ぐらいテメェでなんとかしろよ。受け止めるどころか避けもできねぇとか鍛え方が足りねぇんじゃねぇのか? アタシならカウンター合わせるぐらいはしてたぞ」
「ぐっ……! お前の基準で比べんな、こんの【ハリケーン】がっ!」
「……あァン?」
どこからか、ブチリという束ねた繊維を引き千切る音が聞こえてきた。
刹那。
「アタシをそのあだ名で呼ぶなっつってんだろうがァァァッッ!!」
声が遅れて届く速度で間合いを詰めた翠嵐のアッパーが、遊午の顎にクリーンヒットした。遊午は悲鳴を上げる間も無く斜め上へと射出され、綺麗な放物線を描いて霧の向こうへと消えてゆく。
しばらく遅れて、ガシャンッという何かが崩れる音が聞こえてきた。

朝霧や
男飛び込む
ゴミの音


ワンルームの店内には天井から吊るされた裸電球以外にこれといった装飾も無く、床一面にアルミ箔の切れ端やらネジやらが散乱している。角っこに積み上げられた簡素な木箱が、ただでさえ広くもない部屋をさらに圧迫していた。ただし、木箱とは逆側の角に置かれている長方形の大きな木机の周りは別で、そこだけは不必要なものが一切排された印象がある。
木机の上には直接見れば目をやられてしまいそうなほど煌々と輝くスタンドライトの他に、レンチやドライバーやはんだごてなどいかにも技術者ですという道具、さらには作りかけの基盤なんかが散りばめられている。
「遊午、あの女子がお主の言っておった『アイツ』か?」
遊午とともに店に入った八千代が、木箱に半分隠れたシンクでがしゃがしゃとなにやら作業をしている翠嵐を指差し尋ねた。
遊午はその辺に転がしてあった木箱のひとつに適当に腰掛けると、翠嵐に聞こえないように細心の注意を払いながら返事を返す。
「(そ。あいつは轟 翠嵐。腕は確かなエンジニアなんだけど、先の通り性格が嵐みたいな奴でね……。名前も相まって、ついたあだ名が【ハリケーン】)」
「禁止クラスの魔法カード……」
「(ガキの頃、息子放置して海外のビオトープ飛び回ってるお袋が保育所がわりに俺をこの店に叩き込んでさ。労働力としてこき使われるわ気に入らなかったらボコられるわで、あの期間は今思い返しても地獄の日々だ。その上別れ際にあいつにしか整備出来ないオリジナルのデュエルディスク押し付けられて、否が応でも関わらなくちゃいけなくなったし……。これで性能が悪かったら新しいの買おうって気にもなるんだけど、そんじょそこらの既製品より何倍も使い勝手がいいからなおさらタチ悪ぃ)」
そもそも、他の大人が子供たちに危険だと警告している地域へ自分から息子を放り込むあたりウチの母親はやっぱりどうかしている、と今更ながらに遊午は思った。
「にしても珍しいな」
「(なにが?)」
「あの女子、今は油やらなにやらで薄汚れておるが、きちんとすればなかなか整った顔立ちをしておるではないか。体型も立派なものじゃし、お主好みではないのか?」
「(……まぁ見た目だけは、ね)」
遊午は横目でちらりと翠嵐の後ろ姿を見やる。
燃えるような紅の髪。育ち盛りの遊午とあまり変わらない長身。ほどよく筋肉のついた健康的な肌。そしてなにより、背中側からでもわかるほどたわわに実った胸部装甲はカーキ色のタンクトップの隙間からこぼれ落ちそうになっている。あんな胸の持ち主は、他に麻理ぐらいしか思いつかない。
「(ただ、俺にとっちゃもう一人のお袋みたいなもんだもん。さすがの俺でも母親に欲情できるほどオールラウンダーな性癖は持ち合わせてない)」
「そういうものか」
「(そういうものだよ)」
と、翠嵐が両手にジョッキサイズのコップを持って木箱の影から出てきた。そのうち一方を遊午に手渡す。中には黒々としたコーヒーが注がれていた。
「で? 久しぶりに顔見せたと思ったらいったい何の用だ?」
対面の木箱に片足だけあぐらをかいて男らしく腰掛けると、翠嵐は自分の分のコーヒーをすすりながら片目で遊午に視線を送る。
言われるままに、遊午は足元に置いたデイパックからデュエルディスク(残骸)を取り出す。
次の瞬間、遊午の視界が黒一色で埋まった。
「ぶぁあっちぃぃぃぃっ!」
マグマのようなコーヒーが目に鼻に傷口に入り込む。焼けただれそうな顔を抱えながら遊午は木箱から転げ落ちた。
「てんめぇ人がせっかく作ってやったデュエルディスクにいったい何しやがった!」
「ばっ、俺はなんにもしてねぇよ!」
「んなわけあるか! そいつはどうせロクなことしねぇテメェ用にバカみてぇに頑丈に作ってあんだ! 暴走したダンプカー受け止めるぐらいしねぇとそこまでボロボロにはならねぇんだよ!」
実際、ダンプカー並の衝撃を生む鎖の濁流を受け止めたわけだが、そんなことを言っても信じてもらえはしないだろう。
翠嵐は床にうずくまる遊午をゲシゲシと蹴りつけつつ、デュエルディスクをひったくった。反動で自慢の胸部装甲がぶるんぶるんと暴れる。
「あ、しかもテメェ接着剤で誤魔化そうとしやがったな!? 液晶までぶっ壊しといてそれで直るわきゃねぇだろうがクソッタレ! 教えてやったことすっぽり忘れてんじゃねぇよ! もう一回ウチで働くか!? あぁん!?」
「あぁもう! 悪かった! 俺が悪かったから、とにかく早く修理してくれ!」
遊午は這うようにして命からがら攻撃範囲から逃れると、なりふり構わず土下座する。
そんな遊午に一瞥もくれず、翠嵐はさっさと木机の上に道具を並ベ、目にもとまらぬ速さで作業を始めてしまう。
「上等だクソガキ。今度は核ミサイルぶっ放されようが壊れねぇようにしてやるから覚悟しとけ!」
いやその場合俺の方は死んでね? という疑問を聞き入れてもらえそうな雰囲気ではない。
何はともあれ修理してもらえるならそれで構わないので、遊午はさらに刺激を与えてしまわないうちに退散することにした。
「……あ、えーと翠嵐さん? 直るまでの間代わりのデュエルディスク貸していただけませ」グッサァッ!!
最後のは翠嵐が振り向きもせずに投げたデュエルディスクの先端が、額の傷口をさらに抉った音である。

☆ ☆ ☆

「ちくしょう、だから行きたくなかったんだ……! たった数時間で身も心もボロボロじゃないか……!」
すでに塞がりつつある傷口を撫でながら、遊午は券売機で切符を購入する。
翠嵐の店からかなり歩いたさびれた駅。構内には客どころか駅員すらおらず、自動改札機すら置かれていない旧時代っぷりである。
当然のように八千代は飛んで帰ることを提案してきたのだが、さすがに休日の昼ともなると人目が気になるので、電車での帰宅を選んだ。実際にはもう一度自由な空へとテイクオフするのは精神衛生上よろしくないというのが本音だが。
(えぇい、こうなったら脳内で八千代ちゃんにナース服を着せて色々楽しんでやる! シチュエーションは……そうだな、患部と同時に別の腫れ上がった部分を治療してもらうタイプにするか、長い入院生活で溜まりに溜まったモノを処理してもらうタイプにするか……いや、ここは逆に俺が医者になって新人研修と称してぶっといお注射をぶちこ――あぶっ!」
下卑た笑みを浮かべながら妄想世界にトリップしていた遊午は、駅から出てくる人影に気付けなかった。
「っと、すんませ……ッ!」
遊午は目の前の男の姿にぎょっとした。
黒い髪。黒いタートルネックのセーター。黒い長ズボン。黒い革靴。
全身を黒で統一するという独特のコーディネートが、とある男を彷彿とさせたからだ。
だが、
「いや、こちらこそ不注意だったね」
頭を刈り上げた中年の男は髭で覆われた口元をわずかに緩めて微笑みかける。
服装こそ近しいものはあれど、肩幅の広い筋肉質の体躯や、眼鏡の奥の柔和そうな瞳は咄嗟に脳裏をよぎったあの男とは似ても似つかない。
あの、遊午を殺した男とは。
冷や汗とともに遊午の全身からどっと力が抜けた。
「……ご。遊午!」
「はひゃい!? ななな何八千代ちゃん!?」
隙を突かれ、あたふたと斜め上を振り仰ぐ。
「今すぐあの男を追え!」
「え? な、なんで? もしかしてあいつCHESSのメンバーなの?」
いや、それはおかしい。
もしCHESSだというのなら、わざわざこっちが追わずとも勝手に向こうから襲ってくるはずだ。
「ちぃっ……! 前に一般人の-No所有者に心当たりがあると言ったのを覚えておるか?」
「あぁえっと、たしかCHESSを撹乱するためにわざとばら撒いたやつが流れたんだっけ。それがいったい……」
「今の男がその-No所有者なのじゃよ!」
「んなっ……!」
慌てて後ろを振り返る。
だがすでに男は歩き去ったあとだ。
「もう人目につくなどと言っている余裕は無いぞ。翼でもなんでも使って、なんとしてもあの男を探し出すのじゃ! ここで見逃すわけにはいかん!」
「くそっ!」



裏の無い表などありはしない。光あるところ必ず闇は存在する。
きらびやかな町並みの陰に見捨てられた人々がいるように。
永遠に続くように思えた人生が簡単に終わりを迎えるように。
そしてどうやら、遊午の考えていた以上にそれらの境目は曖昧らしい。
少なくとも、 何気ない日常がいきなり非日常へと切り替わってしまえる程度には。
現在のイイネ数 6
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ター坊
作られた箱庭の世界…。エロアhいや、明るく快活な遊午のキャラのせいで余計物寂しく感じます。 (2017-09-21 21:28)
ギガプラント
想像以上に特徴的な世界観でした。階層がしっかり分かれていて役割ごとに施設が整理されている…まさに効率重視の近未来といった感じでしょうか。
荒っぽいけど姉御系エンジニア翠嵐さん(なんて読むんだこれ?)。早速修理に取り掛かってくれて、代わりのディスクもちゃんとくれる。ヤバそうな第一印象とうってかわってなんだかんだ良い人のようですね。 (2017-09-23 02:16)
tres(トレス)
なかなかディープな世界観で驚きました。遊午君たちがどういう環境で過ごしてきたか想像が膨らみます。
それにしても遊午君はよく痛めつけられてますね…その分治癒速度は比較的早そうですが。 (2017-09-23 09:26)
イベリコ豚丼
》ター坊さん
コメントありがとうございます!
物語の設定組むとついついダークな設定組み込んでしまう謎の業を背負っています。
その反動で遊午がエロアホキャラに……あ、言っちゃった。 (2017-09-23 18:52)
イベリコ豚丼
》ギガプラントさん
コメントありがとうございます!
翠嵐(すいらん)ですね。読みにくい名前ですいません。
テンポと見栄えの事情で人名のルビは省略させていただいてます。
いつかまとめてキャラ紹介をせねば……。 (2017-09-23 18:55)
イベリコ豚丼
》tresさん
コメントありがとうございます!
こういうエロアホキャラ(もはや躊躇なく)はボコられてなんぼだと思っています。
八千代とつながっている故の再生力が大活躍だよ! 書き手としても便利だよ! (2017-09-23 18:58)

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