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HOME > 遊戯王SS一覧 > 第4話 寝起きと化学と鎖の槍

第4話 寝起きと化学と鎖の槍 作:イベリコ豚丼

『起きろ! ……何? まだ夢の世界を堪能していたいだと!? そのような腑抜けた戯言を抜かすような輩には、我が僕の怒りの鉄槌を食らわせてくれよう! いでよブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン!! 滅びのバースト・スト——』

遊午は手探りで上部のボタンを押し、伝説のデュエリストのけたたましい咆哮を停止させる。
物心つく前からお世話になっている目覚まし時計だが、朝起きるたびに何故このデザインを選んだのかと不思議に思う。もっと美少女が優しく起こしてくれるタイプのものを選んでおけば、と今さらながらに後悔している。
まぁ、買ってもらった頃の彼はまだ性に目覚めていない純朴な少年だったので、仕方のないことではあるのだが。
遊午は寝ぼけ眼を擦りながら、2本の針が指し示す時刻を確認した。
午前7時10分。
昨夜(というか早朝)長いこと会話をしていたせいで睡眠時間が短くなってしまったのだが、どうやら疲れは取れているようだ。
半分脱ぎかけのタオルケットを無造作に剥ぎ、床の上から上半身を起こした。
のっそりと顔を右に向け、自分の部屋を打ち眺める。
水色のカーテンの隙間から差し込む柔らかい朝の日差しが、モスグリーンのカーペットに一筋の光の線を描き出している。
部屋の隅のコンセントから生えた2本のケーブルは、それぞれ彼のデュエルディスクとD-ゲイザーへと接続され、緑の液晶に『100%』という文字をチカチカと点滅させていた。
いつも通りの朝の一幕である。
と、そこでようやっと、どうして床で寝ていたのかを疑問に感じた遊午は、普段自分が寝ているセミダブルのベッドを探す。
はたして、彼の左側にあったそれの上では、透き通るような銀髪の美少女がすぅすぅと寝息を立てていた。
(あー……。そうだそうだ。そういや美少女にベッド譲ったんだった。さっすが俺ってば紳士ー。これじゃあ女の子がほっとかないぜ。多分あの美少女も俺のことだぁいす…………って)
まだ覚醒しきらずに惰性で回転していた遊午の脳が、そこでぎょっと飛び起きる。
「いやいやいや! ちょっと待て! なんで俺のベッドで美少女が寝てるんだよ! あれ!? ゆうべはおたのしみだったっけ!? まったくもって身に覚えが無いんだけど!」
遊午は慌てて立ち上がり、食い入るように美少女の姿を観察した。

眩しいほどに太陽の光を反射するきめ細かい肌。まるで雫を蓄えた蜘蛛の巣のようにキラキラと輝きを放つ長い銀髪。その下で赤ん坊のように丸められている華奢な体躯。きゅっとシーツを握る細い指。
微塵も邪気の感じられない無防備な寝顔の上で、伏せられた長い睫毛が寝息に合わせて上下する。ぷっくりとした唇からむにゃむにゃと言葉にならない声が発せられた。
寝相があまりよろしくないのか、チョークストライプの袖なしブラウスは鳩尾のあたりまではだけ、わすかばかりにへこんだおへそが露わになってしまっていた。
プリーツスカート、ニーソックス、そしてほどよく肉の付いたふとももによって作り上げられる魔性の三角地帯は、迷い込んだ男の視線を掴んで逃さない。

(…………! そうだ、八千代ちゃん!)
そこまで確認したところで、遊午はようやく彼女が誰であるかを思い出した。
八千代。
遊午が命懸けで庇い、そうして散った彼の命を繋いだ謎の美少女である。
(だんだん記憶が戻ってきたぞ……。確か俺の中は意外に寝心地が悪いとかでベッドを奪われたんだっけ)
訳あって遊午と魂を共有している彼女は遊午の身体の中でも就寝が可能なのだが、あまり安眠とはいかないらしい。
(それにしても、マジで可愛いな八千代ちゃん……。もうこのまま美術館とかに飾れるんじゃねぇか?)
銀河系レベルの美少女の寝姿は、もはや一種のオーラのようなものを放っており、どこか近寄りがたい雰囲気すら醸し出している。
(……さて。どうする俺)
ゴクリと生唾を飲み込んだ遊午の脳内に、3つの選択肢が浮かぶ。

①風邪をひかないように優しく布団をかけてあげる
②起きるまで正座で眺め続ける
③襲う

「③だな」
迷いはなかった。
遊午は流れるような動作でTシャツを脱ぎ、無駄に綺麗に畳んでカーペットの上に置いた。
助走をつけていざ————というところで、遊午の足がはたと立ち止まる。
(馬鹿か俺は。相手はロリっ娘だぞ!)
そう。さしもの遊午でも冷静になれば未成熟児に興奮するなんてことは
(どこでセキュリティが見張ってっかわかんないのに無闇に飛び込むなんて素人のやることじゃねぇか!)
あった。条例がギリギリ判定勝ちしただけだった。
いそいそとTシャツを着直した遊午は、やっぱり2番にすることにして、膝を折る。
そこで、ふと深夜の会話が頭をよぎった。
(あれ? 八千代ちゃん、CHESSの奴らにもう20年も追われ続けてるって言ってなかったっけ? ……ってことはなんだ。八千代ちゃんって少なくとも俺より年上なの!?)
遊午は信じられないという風に八千代の顔を二度見する。どうみても8歳ぐらいにしか見えない。この幼い身体のどこにそれ程の年月が詰まっているのだろうか。
もちろん、さすがの遊午でも自分とはるか歳の離れた女性に興奮するなんてことは、
(ってことは合法ロリじゃん!!)
あった。彼の獣欲の前に年の差など関係なかった。
ちなみに、八千代の実年齢は20年など軽く誤差に含んでしまえる域に達しているのだが、遊午には知る由もないことだ。
早速Tシャツを、今度はジャージのズボンも一緒に脱ぎ捨て、遊午はカーペットの上でクラウチングスタートの構えをとる。瞼を閉じる。頭の中で、ポロシャツを着た審判員がピストルを掲げた。
(On your mark——)
血液が全身を駆け巡り、身体中の筋肉が乾いた破裂音を今か今かと待ち受ける。審判員が片耳を押さえ、もう片方の手で引き金を————引く。
「Gooooォォォォオブファッ!!」
勢いよくベッドに飛び込んだ遊午の顎が、鮮やかなハイキックによって撃ち抜かれた。後方三回転半宙返りを決めると同時に天井の照明カバーに激突し、重力に従って落下する。
「朝っぱらからいい度胸じゃのう、この虫ケラめが」
下顎骨を貫く鈍痛に床を転げ回る遊午に向かって、いつの間にかベッドの上に立ち上がっていた八千代が絶対零度の視線を突き刺す。
「ご、誤解だよ八千代ちゃん! 俺はただ八千代ちゃんに布団をかけてあげようと!」
「半裸でか?」
「うっ……。こ、これはその…………そう! 寝汗をかいたから着替えようとしただけで!」
涙目になりながらの遊午の言い訳に、八千代はしばらく穢れた豚を見る目を送っていたが、突然妙に優しい笑顔になって、
「そうかそうか。着替えようとしておっただけじゃったのか。それは悪いことをしたの。てっきり妾はお主が寝込みを襲おうとしておると思ったのじゃ」
「あ、あはははは! そそそそんなわけないじゃないか! もう、八千代ちゃんは心配性だなぁ」
「はっはっは。そうじゃな、妾は心配性じゃな。ところで遊午、今正直に言えばご褒美をやるぞ?」
「はい! 私、白神 遊午めは八千代様の寝姿に興奮して全身でその柔らかさを味わおうと痛いっ! ちょっ、痛いよ八千代ちゃん! パーフェクトルールブックの角はつむじを攻撃するためのものじゃないよ!?」
淡々と分厚い本を振り下ろす八千代に、遊午は普通に恐怖を覚えた。

「痛てて……」
遊午はたんこぶをさすりつつ、コチミールの半袖シャツの上から学ランに袖を通す。
「まったく。初日からこんな始末では先が思いやられるわ」
もはや定位置となった学習机の上で、八千代が盛大にため息を吐いた。透き通るような銀髪が軽くなびく。
「大丈夫だって。こんなのはまだまだ序の口だから」
「さらに悪化するのか!?」
「ふっ。俺はまだ2段階変身、いや変態を残している」
「残すな。晒せ。そして捕まれ」
遊午はコンセントからケーブルを引き抜き、デュエルディスクとD-ゲイザーを学生カバンにしまう。緑の液晶から文字が消え、代わりに日付けと時刻が表示される。
手探りで軽く寝癖を整えながらカバンを右手で掴み、八千代とともに階下に降りるのであった。

「八千代ちゃんも食べる?」
冷蔵庫からタッパーに入った作り置きのカレーを取り出しながら遊午は尋ねる。彼の両親は海外出張中なのでこのカレーは遊午の手作りだ。
「妾のことは気にせんでよい。お主らと同じものも食べられんことはないが、栄養にはならんのでな」
「それじゃあいったい何食べてるの? 寝るの好きみたいだし、食欲はあるんでしょ?」
タッパーを電子レンジの中に無造作につっこみ、慣れた手付きでタッチパネルを操作する。
「そうじゃな、なんと言ったらよいか……。概念、いやオーラ……。……ううむ、まぁ空気を食べておると思え」
「そんな植物みたいな感じなんだ……」
電子レンジを待つ間に、すでに炊いてあった炊飯器の蓋を開ける。熱気を帯びた水蒸気とともに、水分を含んできらきらと輝く白米が顔を出す。
「む、なんじゃその言い草は。お主らもそんな泥水か獣の糞かもわからんものを食ろうておるし、大差ないじゃろうが」
「やめて。それはさすがに食欲無くす」
カレーにその比喩は禁句である。
食器棚から取り出した大皿にご飯を盛り付ける。と、同時に電子レンジが短いメロディーを奏でた。
「ん? 待てよ。睡眠欲も食欲もあるってあるってことは、八千代ちゃんにもちゃんと第3の欲がンッ!」
タッパーを取り出して大皿にルーを
かけていた遊午は、腫れたつむじに振り下ろされる手刀に気付かなかった。またもや床の上で身悶える。
「そ、それで、俺が学校行ってる間は家にいる? それとも一緒に来る?」
「無論ついて行くに決まっておろう。消滅に震えて篭っておっては、いつまでたっても目的のモノは集まらん」
目的のモノ——とはもちろん−Noのことである。
どうしようもない規格外。
八千代の魂のカケラ。
確かに、少しでも早く回収を完了するためには、どこへなりとも足を延ばしたほうがいいだろう。
遊午は手早く空にした皿をシンクで軽く水にさらす。洗い物は帰ってからでいい。
「じゃあ向こうに着いたら俺の友達を紹介するよ。もちろん、八千代ちゃんのこともね」
「……多分、無駄じゃと思うぞ」
「え?」
「いや、なんでもない」
呟きの真意を計りかね、遊午は少し首をかしげたが、それ以上気にもとめずに、隣の席の学生カバンを肩にかついで立ち上がる。
履き慣れたスニーカーに足を入れ、玄関のドアを開け放つ。
軽く息を吸い込むと、朝のすっきりとした空気が肺の中に流れ込んだ。
頬をパンパンと叩き、最後の眠気を吹き飛ばす。
「よし」
心機一転。一度は幕を下ろした遊午の人生が、再び始まる。

☆ ☆ ☆

「わわわっ、し、白神くん! どうしたのその顎!?」
教室に入るやいなや、艶やかな黒髪を肩で切りそろえた美少女、九津 麻理が心配そうに遊午に駆け寄った。反動で胸部の双子山が派手に脈動する。
「そんなに心配してくれなくても大丈夫だぜ、委員長。これぐらいの怪我ならいつものことだ」
「それはそれでどうかと思うけど……。そうだ、わたし絆創膏持ってくるね」
「あーあーいいいい。絆創膏なんか無くても委員長のオッパイにくっつけとけば一発で治るから」
健気な少女の献身に、遊午は気持ち悪いくらいに爽やかな笑顔とサムズアップを返した。
「ふえぇっ!? えぇっと、その、それは……!」
麻理は頰を紅潮させ、わたわたと両手を振りながら表情を青目まぐるしく変化させる。
百面相を一通り終えたあと、何かしらの決心があったようで、
「ぅう……。恥ずかしいけど、それで白神くんが元気になるなら……」
自分の胸と遊午の顔を何度か見比べ、麻理は恐る恐る体の後ろで両手を組んだ。きゅっと目をつむり、豊満なバストを遊午に向かって強調する。
「ど、どうぞ……」
緊張で小刻みに震える体に合わせて、支えの無い胸がふるふると揺れ動く。
清純派美少女が恥ずかしそうに自ら痴態を晒す姿に、遊午は鼻の下は伸びきらせた。
「では失礼して」
吸い込まれるように麻理の胸へと頭を降ろす。だが、魅惑の谷間にたどり着くより早く、遊午の顎は冷ややかな金属の感触にぶち当たった。
横から割り込んだ金属の塊はそのまま上方へと振り抜かれ、本日2度目の後方三回転半宙返りを披露する。
「あらあら白神君たら、私の目の前でそんな愚行に走るだなんて、ちゃんと遺書は書いてきたのかしら?」
攻撃の主、樫井 寧子は、ポニーテールを左右に揺らしながらゴキゴキと首を鳴らす。眼鏡の奥で凍てつく殺意が燻っている。どこから持ってきたのやら、手にはジュラルミン製の特殊警棒が握られていた。
「ね、寧子ちゃん……」
「ダメよ麻理。こんな獣欲丸出しのケダモノは相手にしたらつけあがるだけよ。ケダモノはケダモノらしく、ちゃんと人間様との格差を教えてあげなくちゃ」
床に這いつくばったままぴくりとも動かない遊午の顎は、もはや青を通り越してどす黒く変色している。
そんなことはお構い無しに、寧子は特殊警棒による容赦無い連撃を加える。その顔は歴戦の殺し屋のように無表情だ。

コンボ数が30に達しようかというそのとき、特殊警棒を掴んで止める手があった。
「樫井、どうせ全面的に遊午が悪いんだろうが、その辺で許してやってくれ。もう白目剥いて気絶しちまってる」
「……出浦君」
寧子はおもちゃを取り上げられた子供のような不満顔で、教室に入ってきたばかりの少年を睨みつける。
出浦=T=ノースゲート、通称ウラ。
名前の通り半分外国の血が混ざった、金髪緑眼の少年だ。
「お断りね。本当ならあと10発ぐらいで許してあげるつもりだったけれど、貴方に言われて気が変わったわ。ホームルームまで続けようかしら」
拘束を振りほどこうと、寧子の腕に一層力がこもる。
「じゃあ残りの分は俺を殴っていい」
しかし、そこはやはり男と女。手の中の特殊警棒はびくともしない。
二人の間に剣呑な空気が横たわる。
「……貴方のそういうところが嫌い」
「そうかい。俺はわりと気に入ってるよ」
渋々力が緩められるのを確認したウラは、気を失っている親友の頭を軽くはたく。
「おい起きろ馬鹿。そんなドアの前で寝てたら通行の邪魔だ」
「…………はっ! なんか天国みたいな場所にたどり着けそうで着けなかったような気がする」
「よかったな。そりゃ多分本物の天国だ」
「あれ、ウラ? なんでウラ?」
「今来たんだよ。ほら、手貸してやるからさっさと体起こせ」
遊午は差し出され手を掴んで立ち上がった。
「っと、そうだ。実は三人に紹介したい娘がいるんだよ」
「紹介したい娘?」
三人がキョロキョロと遊午の周囲を見回す。
「うん。こちら八千代ちゃん。ちょっと訳あって一緒に暮らすことになったんだ」

空気が、凍った。

「…………。」
「…………。」
「…………。」
三人が三人とも微妙な表情で固まっている。居心地の悪い沈黙がその場を支配した。
10秒、20秒、たっぷり30秒後。
「…………白神君、こちらとは一体どちらのことかしら」
「? こちらって言ったらこちらに決まってるじゃん。ねぇ八千代ちゃん」
なんだその質問は? と不思議に思いながらも、遊午は左斜め上で静止している八千代を振り仰ぐ。
ところが、なぜかその八千代さえも『あーあ』と言わんばかりに苦笑している。
「…………あれ? 俺、なんか変なこと言った?」
もう一度ゆっくり友人たちの方を向きなおると、遊午の肩に優しくウラと寧子の手が置かれた。
「遊午……。まさかお前がそこまで追い詰められていたとは……」
「ごめんなさい白神君。そうとは知らずに随分と脳細胞に負荷を与えてしまったわね」
「おい待て。なんだその可哀想な子を相手にする感じは」
「いいんだ遊午! わかってる、ちゃんとわかってるから! ……もう脳内彼女に頼るしか道がなかったんだろ?」
「1ミリもわかってねぇよ! なんだ脳内彼女って! 八千代ちゃんは実在するわ!」
「もうやめて! これ以上は見るに耐えない!」
「誰が直視できないほどイタいヤツだこの野郎! くっ、いくら俺の状況が信じられないからってこいつらは……! そ、そうだ、委員長! 委員長は大丈夫だよな!?」
二人の憐れみの目に耐えきれず、遊午は縋るように最後の一人を見る。
「白神くん」
「は、はい。なんでございませうか!?」
「白神くんはね、頑張りすぎてちょっと疲れてるんだよ。だから——」
麻理は《白衣の天使》も斯くやあらんという穏やかな微笑みを浮かべながら、
「おいで?」
両手を大きく広げて、遊午を抱きとめる体勢を取った。
「あれれー? なんでだろう、目から激流葬が溢れてくるよ? トラジック・エレジーを相手にしたときでさえこんなことはなかったのになー。ふふふ、ふふふふー」
息子を慰める母親のごとき無償の優しさに、遊午はしくしくと泣き崩れる。
「あー遊午、少しよいか」
壊れたおもちゃのように『うふふふふ』とか『あはははは』とかリピートしている遊午の袖を、ある意味この事態の元凶とも言える八千代がくいくいと引っ張った。
「やだなぁ八千代ちゃん、『遊午』だなんてそんな丁寧な。こんな信用ゼロの塵芥はもっと『生きた産業廃棄物』とか呼んでいいんだよ?」
「おぉう……。今妾は割と本気ですまんと思うておるぞ……」
ポジティブだけが取り柄の彼が、もはや溶けて消えてしまいそうな有様である。
「それで、ものすごーく言いづらいのじゃが…………実は、力を失っておる妾は同時に存在感も薄れておるようでな。だからその、恐らく妾の姿は普通の人間には見えんのじゃ」
「え」
今度は遊午が固まる番だった。
「……ってことはナニカ? 三人には俺がいもしない女の子を紹介したように見えたってコト?」
「う、うむ。まぁそういうことになるな」
遊午は今までの自分の言動を思い出す。
(そっかー、だから全然話が噛み合ってなかったのかー。そりゃあみんな俺の頭がおかしくなったと思うよなー。そうとは知らず、「実在するわ!」とか言っちゃったよ恥ずかしいなぁもう。はっはっは。あっはっはっはっ)

…………。

「離せウラっ! 俺は学校中の窓ガラスに頭をぶつけて回るんだぁぁぁっ!」
数分後、羽交い締めにされながら悲愴な叫びを上げる哀しい男の姿がそこにはあった。

「……い。おい、いつまで騒いでいるつもりだ白神!!」
ウラに押さえ込まれてじたばたしていた遊午は、いきなり襟首をつかまれて引き上げられた。
慌てて首を後ろに向けると、そこにはグレーのスーツを着込んだ男が仁王立ちしていた。灰をかぶったような鈍色の前髪のむこうで、険しい目付きが光る。
「げっ、嵯峨野センセ……」
「1時間目は化学室で実験だと言ったのが聞こえなかったか? オマエら以外の連中はもうとっくに移動したぞ」
見ると、いつの間にか教室には遊午たち四人の他に誰もいなくなっていた。
「それともオレの授業を受ける気がないのか?」
「い、いや、そんなことは……」
ただでさえ彫りの深い嵯峨野の眉間に何本も皺が寄る。
「す、すいません嵯峨野先生っ! すぐに移動します! だから白神くんを……」
じろり、と嵯峨野の目線が横にずれる。
「九津、オマエが一緒になって遊んでどうする? 委員長はクラスのバカを指導するのが仕事じゃないのか? あぁん?」
「うっ……」
さらに目線が横にずれ、
「樫井、出浦、オマエらもだ。多少成績が良いか知らんが、その程度で何でもかんでも許されると思うなよ?」
「……はい」
「……さーせん」
二人が渋々という風に返事をする。
嵯峨野はしばらく一同を見下ろしたあと、「ふん」と鼻を鳴らして遊午から手を離した。空中に放り出された遊午は情けなく尻餅を付く。
「さっさと行け。次は無いぞ」
その声に追いやられるように、四人はそそくさと教室を後にした。

「悪りぃ、俺のせいだ」
「気にすることないわ。気付かなかったのは皆一緒だもの」
「そうだよ。白神くんだけの責任じゃないよ」
「つーか、嵯峨野の機嫌が悪いのはいつものことだろ」
化学室への道筋を急ぎながら、遊午たちは会話を交わす。
自然と互いが互いを庇いあう。そんな関係性に、遊午はあらためて居心地のよさを感じた。
「のう遊午、今から授業というやつが続くのか?」
「(うん、そうだよ)」
八千代の姿が周りに見えていないことを知り、遊午の声は無意識のうちに小さくなる。
「ふむ。では妾はその間、この学校を適当に見回ってくる」
「(え? 大丈夫なの、それ? もし本当にCHESSの連中がいたら危なくない?)」
「心配無用じゃ。さしもの奴等でも、こんな人目につく場所でいきなり襲ってくることはなかろうよ。それに、妾に反応するかどうかで、こちらも探りを入れられる」
「(うーん……。八千代ちゃんがそう言うのなら安全なのかもしれないけど……。でも一応気を付けてね。呼んでくれたら、授業でもなんでも抜け出してすぐ駆けつけるから)」
「言われるまでもない。では、また後でな」
そう言うと、八千代は開いた廊下の窓からするりと飛び立っていった。
その様子を横目に見ながら、遊午は少し考える。
(学校の中にCHESS、か……)
なんだか自分のよく知る場所が急に異世界に変わったような感じがして、遊午は窓から見える校舎を見下ろした。

☆ ☆ ☆

嵯峨野 京司は教室のドアから半身を乗り出し、遠ざかってゆく生徒の後ろ姿を見送っていた。
その右手はグレーのスーツのポケットに無造作に突っ込まれている。
(苛つく……)
ポケットの中でゴキャリ、と何かが崩れる音がした。
(苛つく……苛つく……)
右手で鎖の塊を握り潰す。鎖にはいくつもの南京錠が取り付けられており、それぞれが擦れ合う度にコンクリートを削るような嫌な低音を響かせる。
(苛つく……苛つく……苛つく……!)
さらに指に力を込め、冷徹な金属を掌に食い込ませてゆく。万力のように、じりじりと。
刹那、最後の抵抗が手の中から失せる。金属が砕ける鈍い余韻を残し、鎖の塊は跡形も無くポケットから消え去った。

☆ ☆ ☆

「いいかオマエら。実験中は私語禁止・着席禁止・不必要な動作禁止だ。器具の一つでも壊してみろ。しかるべき罰を与えてやる」
化学室の長い教壇に立った嵯峨野から実験前の諸注意が告げられる。
もう飽きるほど聞いたその文言に、遊午は軽く肩をすくめた。
「白神くん。よろしくね」
「おう委員長。今日も頼りにしてるぜ」
『しらかみ』と『ここのつ』で出席番号の近い2人は、こういう班分けで同じことになることが多い。真面目でなんでも器用にこなす麻理は、あまり真剣に授業を聞いていない遊午にとってありがたい存在である。
「それじゃあわたし試験管取ってくるから、白神くんはフラスコをお願いね」
「ん。フラスコってあれか?」
遊午はステンレスの棚に並べられた、ガラスの器の1つを指差す。
「あ、ううん。今日は三角フラスコじゃなくて丸底フラスコを使うの」
「ふーん。じゃああれか?」
「あれはメスシリンダー」
「あれか?」
「あれはガスバーナー。……今のはわざとだよね?」
もしやこの友人は本気で馬鹿なんじゃないだろうかと麻理が心配そうな目を向ける。
「はっはっは、当たり前だろ? 俺だって丸底フラスコとバスガーナーの見分けぐらいつくさ」
「わぁ、駄目そう」
自分が何を間違えたのかもわかっていない馬鹿はきょとんと首をかしげた。
「まぁとにかく丸い底のヤツを持ってくりゃいいんだな」
馬鹿はいかにも馬鹿っぽい答えを出して、ステンレスの棚へと向かっていった。
(丸い底……丸い底……。これか?)
遊午は棚に並べられた器具の中から適当に1つを掴んでもとの机に戻る。
ちょうど麻理が洗浄済みの箱から数本の試験管を取ってきたところだった。
「ほい、委員長。これでよかったか?」
「…………ごめん、わたしの説明が足りなかったね」
遊午から器具を受け取った麻理は憂いの表情を浮かべる。
「でもまさか中華鍋を持ってくるとは思ってなかったよ。これの主な用途は実験じゃないよ。ていうかどこにあったのこんなの」
「なんか棚の下のほうに……」
普段温和な麻理の辛辣なツッコミに、さすがに遊午も少し反省した。


中華鍋を持ったまま、二人は連れ立って棚の前に引き返す。
「……ねぇ白神くん」
「なんだ?」
重い黒鍋を一番下の段に戻し、真ん中の段から丸底フラスコを取り出しながら、麻理は迷ったように口を動かす。
「その……困ったことがあったら、なんでも相談してね? わ、わたしは出浦くんみたいに力があるわけでも、寧子ちゃんぐらい頭がいいわけでもないし、頼りにならないかもしれないけど……。でも、話し相手くらいなら、なんとか頑張るから」
眉尻をわずかに下げ、力無く笑う。
それは、まるで自分の非力さを嘆くように。
「白神くんはいつも私を助けてくれるから……、私も一度くらい恩返しがしたいの」
それは、まるで眩しさに目を細めるように。
「め、迷惑、かな……?」
麻理は恐々と顔をあげ、遊午の表情を伺った。
黙って麻理の横顔を眺めていた遊午は、その目を真っ直ぐに見つめ返して、
「ありがとな、委員長。今日俺の様子が変だったから、心配してくれたんだろ?」
いつになく優しい笑顔で麻理に微笑みかけた。開いた口もとから白い歯が覗く。
「委員長は頼りになるよ。そうやって気にかけてくれるだけで、俺は十分委員長に助けてもらってる。他人を思いやれるってのは、ウラや樫井には無い、委員長だけの力だ。だからもっと自分に自信持てって」
「!!」
遊午の右手が麻理の頭に乗る。そのまま日本人らしいつややかな黒い髪が軽くかき混ぜられる。
「俺は好きだぜ、委員長のそういうとこ」
「————!?」
ボッ! と麻理の頭から湯気が噴き出した。顔どころか身体まで燃え上がり、ぐるぐると目を回す。不規則に口を開閉する姿は、まるで酸素の足りなくなった金魚のようだ。
「な、なひゃっ!? し、しりゃかみくん! い、いきなりにゃにをっ……!」
今にも卒倒してしまいそうな勢いで、ろれつの回らない舌を動かす。
興奮と混乱が脳の許容値を振り切り、半分意識を飛ばした麻理は——つい手を開いてしまった。
丸底フラスコを掴んでいたことも忘れて。
「あっ……!」
フラスコがマリンブルーの床に落下し、軽い破砕音を奏でる。二人の間でガラスの破片が放射状に飛び散った。
もはや丸底と呼べなくなったそれは教卓に向かって転がってゆき、その前に立っていた嵯峨野の革靴に当たって止まる。
「…………。」
嵯峨野は足元の残骸を無言で見つめている。その顔がフラスコの軌跡をたどってゆっくり動く。やがて、棚の前に立つ遊午と麻理に突き当たり、
「オマエらぁ……」
喰い殺さんばかりの鬼の形相で2人を睥睨した。
「あ、あわわ……」
興奮と混乱にさらに恐怖と困惑が入り混じり、麻理は今にも泣き出してしまいそうになる。
「どっちだ……?」
静まり返った化学室を、ドスの効いた声だけが貫いた。
「割ったのはどっちだって聞いているんだ! それともそれすら答えられないぐらいオマエらは馬鹿なのか!? あぁ!?」
「ひぅっ!」
衝撃波の様な声に、麻理は反射的に目をつむってしまう。小さな肩がふるふると震える。
今の事態、どう考えても悪いのは麻理の方だ。彼女が勝手に混乱して、勝手に手を滑らせた。遊午は優しい言葉をかけてくれただけで、何も悪くない。
「わ、わた、し、が……」
痙攣する喉をでたらめに動かし、なんとか声を絞り出そうとした、その時。

「いやー、すいません嵯峨野センセ! ついうっかり割っちゃいました!」

唐突に遊午の声が割り込んだ。
「丸底フラスコの丸底部分と委員長のオッパイ、どっちがデカいかって考えてたらつい惚けちゃって!」
いきなりの下ネタ発言に、どっ! と生徒たちが沸いた。たちまち化学室は爆笑と失笑の渦に包まれた。「なにやってんだよ!」「アホすぎだろ!」という罵声が口々に飛び交う。
それでも嵯峨野は不快そうに顔をしかめていたが、そのうち興を削がれたように舌打ちを吐いた。
「ちっ……。さっさとロッカーの箒で片付けろ。それから白神、オマエは放課後残ってここの掃除だ」
「げ! こんな広いとこを一人でっすか!? そりゃないっすよセンセ!」
「黙れ。器具を壊したらしかるべき罰を与えると言っただろ。ついでに反省文も追加してやろうか?」
「うっ……。わかりました……」
がっくりと肩を落とし、遊午はおぼつかない足取りでロッカーへと歩いてゆく。その途中で男子生徒たちに小突かれて、またなにやら冗談を言い合う。
麻理にはその後ろ姿をただただ見送ることしか出来なかった。



「ほんっとうにごめんなさいっっっ!」
化学の授業が終わった直後の休み時間、麻理は深々と遊午に頭を下げていた。
「ぜ、全部わたしが悪いのに、なのに、白神くんが、先生に怒られて……。それに、放課後、居残り掃除まで……」
胸の中で溢れる情けなさをこらえながら、麻理はたどたどしく単語を繋げる。
「気にすんなってば。咄嗟に反応出来なかった俺も悪いんだから。それに、嵯峨野のヤツがそう簡単に許すはずねぇし、慣れてる俺が怒られたほうがいいだろ?」
遊午は朗らかに笑った。
「で、でも……」
「じゃあこうしようぜ。代わりに今度また宿題教えてくれよ。委員長の教え方、丁寧でわかりやすいんだよな」
「…………うん」
小さく頷いた麻理の表情は、しかしまだ申し訳なさで満ち満ちている。
そんな彼女の心情を見てとったのか、遊午は穏やかに語りかけた。
「委員長の力が他人に優しく出来ることみたいにさ、こんな風に誰かを庇うことが俺の役目なんだよ。俺はやるべきことをやっだけだ。だから委員長が気に病むこたねぇよ」
つーか俺はそれしか出来ねーしな、と遊午は照れたように頭を掻いた。
「っと、やべ。もう次の授業始まっちまう。ほら、行こうぜ委員長」
遊午が学ランを翻して廊下の先へと駆けてゆく。
だんだんと小さくなっていく背中を見送りながら、麻理はぽつりと呟いた。
「……それが出来るところが、白神くんのすごいところなんだよ」
その言葉は、遠くを走る少年には届かない。
「おーい委員長! はやくしないとまた怒られちまうぜ!」
けれど、いつか隣に立ってちゃんと伝えられるように。
「うん! すぐいくよ!」
今は少しでも彼に追いつくために、走り出す。

「白神くん、わたしも掃除手伝うよ」
「え? いいのか?」
「もちろん!」

☆ ☆ ☆

「うし。終わったぜ、委員長」
化学室の床を掃き終えた遊午は、部屋の反対側にいる麻理に呼びかけた。
黄昏時もとうに過ぎ、窓は黒い闇のみを映す。少し前に廊下の蛍光灯も消され、後には非常灯が薄暗い緑の光を放つばかりだ。その中で、彼らのいる化学室だけが浮き上がるように明々と発光していた。
「お疲れさま。あとはこれを準備室に運ぶだけだね」
麻理は豊満な胸に抱いた黄色いケースの中の試験管をじゃらりと鳴らす。
「そんじゃ、委員長は先帰っててくれ。そいつは俺が持ってくよ」
箒とちりとりをロッカーに戻した遊午は、麻理の腕からケースを受け取った。
「いいよ。わたしも一緒に行くよ」
「大丈夫大丈夫。ついでに嵯峨野にもっかい挨拶してくっからさ」
「そう? それじゃあ先に校門で待ってるね」
「おう」

学生鞄を抱えた麻理が校舎を出てゆくのを確認して、遊午は蛍光灯のスイッチを切った。鞄と黄色のケースを掴んで化学室を後にする。
(そういや、居残り掃除のことを八千代ちゃんに話したら、終わるまで寝てくるって言ってたけど、いったいどこで寝てるんだろ?)
八千代の呆れきった顔を思い出しながら、遊午は右隣の化学準備室の扉を開けた。
同時に、様々な薬品の入り混じった匂いが遊午の鼻をくすぐる。
月明かりに照らされた準備室の両側の壁には大きなガラスケースが連なっており、中にはラベルシールが付いた瓶が並ぶ。その奥でビジネスデスクに乗ったスタンドライトがぼんやりと輝いている。
嵯峨野はそこに座ってなにやら書類の整理をしていた。
「嵯峨野センセ、掃除終わりましたー……」
遊午は遠巻きに声をかけたが、嵯峨野から返事はない。
「えーと、洗った試験管ここに置いときますね……」
黄色のケースを側の台の上に置く。
やはり嵯峨野は無言のままだ。
「じゃ、じゃあ俺は帰りますんで……」
なんとなく気味の悪い空気を感じて、遊午は手早く準備室をあとにすることにした。
「待て、白神」
そのタイミングを見計らったかのように、唐突に嵯峨野の鋭い声が走った。
驚いた遊午の手が静電気が走ったかのように扉から離れる。支えを失った扉がひとりでに閉じてゆく。
「な、なんでしょうかー……っていぃッ!?」
ぎこちなく振り返ると、嵯峨野はなぜか羽織っていたスーツを机に脱ぎ捨てていた。さらにワイシャツの左袖が限界まで捲られ、肩が丸見えになっている。
(やっべぇっ、なにこれ!? ナニ!? 今から俺襲われんの!? 嵯峨野ってそっち系!?)
なかなか失礼な思考が遊午の頭を駆け巡る。
だが、嵯峨野の口から語られたのはさらに予想を上回る台詞だった。
「このタトゥーに見覚えはあるか?」
「は?」
嵯峨野が見せつけるように左腕を突き出す。ほどよく筋肉のついた二の腕には、なるほど、確かに真ん中あたりにタトゥーが刻まれている。
遊午はまじまじとそれを見つめた。
図形のようにも紋章のようにも見える幾何学的な模様のそれは——
(所有者の、刻印…………っ!!)
数字を2つ並べたようなそのタトゥーは、彼が−No所有者であることを示すもの。
「まさか、あんた……!」
「その通り、オレはCHESSのメンバーだ。階級《キャリア》は城の21《ヴェントゥーノ・ディ・ルーク》」
嵯峨野がつまらなそうに息を吐く。
階級《キャリア》、というのは恐らく八千代の言っていた階級分けというヤツなのだろう。城の21《ヴェントゥーノ・ディ・ルーク》というのがどれほど凄いのかはわからないが。
(おいおい嘘だろ!? 今俺ウィングリッター持ってねぇんだぞ!?)
−Noは−No以外のモンスターでは破壊出来ない。
それはただのモンスターでは超えられぬ、絶対のルール。
遊午の−Noであるウィングリッターは八千代が預かっている現状、このままデュエルになだれ込めば、恐らく手も足も出ないまま敗北する。
「デュエルだ、白神。Rがどこにいるのかは知らんが、まぁいずれ出てくるだろう」
「くっ……!」
嵯峨野が耳にD-ゲイザーを引っ掛ける。
それを見た遊午は咄嗟に傍の黄色いケースを引っ張った。
中から無数の試験管がこぼれ、我先に床へと落下する。空気が割れる音が次々に鳴り響いた。
「!!」
一瞬、嵯峨野の意識が足元のガラス片に引き寄せられる。
その隙を逃さず、遊午は準備室の扉を開け放って、廊下へと飛び出した。
(とにかく今は逃げて、その間に八千代ちゃんを探さないと!)
もつれる足を無理矢理回転させ、つんのめりながら前へ前へと体を動かす。いつもの廊下が無限に長く感じられた。
ひとまずこの階を移動しようと、遊午は階段の踊り場へと足を踏み入れた————瞬間、

ヒュッ

と、鋭い風切り音が遊午の耳元をかすめた。
直後に、自動車をプレス機にかけたような音が暗い廊下に轟く。
「なっ……!?」
轟音に引っ張られて首を回した遊午は、目の前の光景に狼狽する。
踊り場に備え付けられていた消火器を鎖が貫通し、前方に激しく吹っ飛んだ。くの字に変形した消火器は亀裂から白煙を撒き散らして転がってゆく。
(っんだこれ!? まさかあいつがやったのか!?)
遊午は来た道を振り返る。
スーツを着なおした嵯峨野は準備室の前に佇んでいた。
ゆらりと嵯峨野の右手が遊午を捉える。
そして、

ヒュッ

嵯峨野の掌から空間を切り裂く鎖の槍が射出された。
「がぁっ!」
全力で体を振った反動で、遊午は不自然に廊下に倒れこむ。ついさっきまで彼の頭があった場所を金属の塊が貫いた。鎖は突き当たりの壁に激突し、窓ガラスを叩き割る。
攻撃はそれだけではおさまらない。2撃、3撃と鎖の槍が遊午目掛けて襲いかかる。
遊午は勢いを殺さないように横転しながらそれらをギリギリで避けた。いくつも南京錠をぶら下げだ鎖に抉られ、白い床材が宙を舞う。
回転する視界の中を嵯峨野の手が通り過ぎる。鎖の槍はどうみても彼の手を突き破って射出されているようにしか見えない。
「てめっ、超能力者かよ!?」
「馬鹿なことを言うな。俺は普通の人間だ」
嵯峨野は右手をだらりと下ろし、代わりに悠々と歩を進める。
「これはただの−Noの力だよ」
「ま、−Noの?」
「なんだ? オマエそんなことも知らんのか? やれやれ。僧侶の8《オット・ディ・ビショップ》を倒したというからどんなものかと思っていたが、てんで素人じゃないか」
嵯峨野が左手で前髪をかき上げた。髪と同じ灰色の瞳が冷徹に輝く。
「人智を超えた力を手に入れているんだ。こんな副産物ごときで今さら驚くな」
またもや嵯峨野の右手が持ち上がる。
「っ!」
あんなものが命中すれば絶対に軽い怪我では済まない。最悪、骨を粉砕されてしまう。
遊午は素早く体を跳ね起こし、階段を駆け上がった。

☆ ☆ ☆

(遅いなぁ、白神くん)
夜にまぎれてしまいそうな黒い校門の前で、麻理は腕にはめたレモンイエローの腕時計を確認した。
麻理がここで待ち始めてからまもなく30分が経つ。
(もしかして、また嵯峨野先生になにか言われてるのかな……)
不安になって、背後に建つ荘厳な校舎を見上げる。月夜にそびえる建造物からは、不気味な静寂だけが漏れ出していた。
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ギガプラント
相変わらずド変態。でも相変わらず憎めない奴。主人公の鑑ですなぁ。
やたらめったら怖い先生は意外にも所有者でした。鎖潰してるあたりとんでもパワーがあるのは明白ですが、デュエルの方はどうだろうか…… (2017-07-17 21:29)
イベリコ豚丼
》ギガプラントさん
コメントありがとうございます。
今のところ所有者がおっさんしかいないという悲劇。 (2017-07-19 09:13)

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